決定づける出来事とは
「お呼びでしょうか」
旗艦である七段櫂船の上、ではなく偵察用の小舟の上でグライオ・ベロルスが兜を脱いだ気配がした。エスピラは海を眺めるのをやめる。そして、目をグライオに向けた。
露わになった髪は小刀を使って自分で切ったかのように乱雑になっているが、高価な小札鎧、うろこ状の金属がびっしりとつけられた鎧がベロルス一門も力がある一門だと言うことを表している。
「君のオーラは赤。実力も申し分ない。私としては船に乗せる部隊に入れたいと思っている」
年齢はグライオが上。今の軍団内での立場はエスピラが上。エスピラは財務官経験があるが、グライオは財務官になったことが無い。造営官が最高官位だ。
「私のから言うことは以上だ。むしろ、話があるのは君の方じゃないのか?」
理由はたくさんあるが、一番はベロルスとウェラテヌス及びセルクラウスの間に起こったことのため、エスピラは敬語を使用しなかった。
船上に居るのはアレッシア語の分からない船乗りとイフェメラ。
グライオがエスピラに何を言っても、ある程度は問題ない環境である。
グライオが右の拳を自身の胸に叩きつけた。血が流れそうな音がなる。
「あまり、言葉を重ねることは得意ではありません。自分ができることは、ただ力を示すことのみ。一門の不名誉はただただ後の働きのみによって注ぐことができる。それが私の信条です」
「それで?」
言葉を重ねるのが得意ではないと言っているグライオに、エスピラは言葉を続けるように聞いた。
頭を垂れているグライオの体は微動だにしない。
「自分の乗る船の兵士は自分一人でも結構です。それでも、衝角に赤いオーラを灯してハフモニの船を破壊し、乗ってきた兵は斬り殺し、この身が貫かれても船乗りと漕ぎ手を守りましょう。その働きを以って、自分の言葉とさせていただきます」
グライオが朗々と述べ切った。
本当にその言葉が人生で発する最後であるかのように黙り込む。
「大変良い覚悟だと思います」
エスピラは木箱から立ち上がり、グライオの前でしゃがんだ。
右手で左肩を掴み、自身の口元へグライオの耳を近づける。
「その覚悟をかって、貴方に最も危険で最も重要な任務を頼みたいのですが、宜しいですか?」
「この命、とうにアレッシアの栄光と一門の名誉のために」
「私は大好きですよ、そう言う人」
エスピラは言うと、イフェメラと目を合わせた。
イフェメラが意図を汲み取ってくれ、元から距離のあった船乗りたちがもう二歩遠のく。
「こちらの船は二十五艘。敵は五十艘。夜明けの奇襲の第一撃を全員が決められたとしても、まだ同数。そこで、敵を混乱と海の底へ落とす策が燃え滾る船を敵船団に突っ込ませる策です。その船に火をつける役割を貴方に」
「是、以外の返事を自分は持ち合わせておりません」
「死ね、と言っているわけではありませんよ」
エスピラは優しく言って、グライオの肩を揺らした。
抵抗なくグライオが揺れる。
「マフソレイオの次期女王が密談に使った船を見ましたか?」
「いえ。自分は、一介の騎兵に過ぎませんので」
「発想が面白かったですよ。船と船を紐でつないで、人がいなくても動くようにしていたのです。まあ、船が大きくなってしまえばそうもいかないでしょうが、潮流を利用すればまだやりようはあります。そのための船乗り、そのためのパンテレーアですから」
潮流と風を読み、敵船団に無人の火船をぶつけるのは元はハフモニが使用した策だ。
エスピラは、それをもっと場所を選ばない作戦として展開しようと考えている。
それに、別に外れても良いのだ。
燃える船は良き目標になり、海戦と言っても陸地の近くでしか行えないので燃えている船は街からも見える。その上でハフモニが敗走すれば、街の人の気持ちはよりハフモニから離れるだろう。
「紐を渡って移動するのですか?」
グライオが聞いてきた。
「板を架けます」
すぐにエスピラは返す。
「燃えている船を持っていけば目立ちますから。直前で火をつけることになる以上足場も安定しない上に敵から攻撃を受ける可能性がある。加えて、貴方の仕事が遅れれば艦隊全体が危険な目に合う。それだけ攻撃の船が減りますから。まさに、決戦の命運を握る男、というわけですね」
「アルトゥーメ神に誓って、必ずや成功させて見せましょう」
アルトゥーメ神は月の女神だ。
グライオ・ベロルスが信奉している神でもある。
「期待しているよ」
肩を強く掴んだ後、エスピラは離れた。
鞘ごと剣を外し、木箱に叩きつける。蓋が外れ、生首が二つ転がり出てきた。
「敵に正確な動きを把握されないように私も全力を尽くす。後は、神の寵愛を願おうじゃないか」
目の動きが激しくなった船乗りを無視して、船はゆったりと進む。
潮流を読み、風を読み、天候を予想する。そのための偵察船で、そのための出航なのだ。
決して、グライオと話をするためだけの船じゃない。
「かしこまりました」
この日の会話は、グライオのこの返事で終わった。
そして、観察の日々の成果が試される場となったのはそれから十日、ハフモニの艦隊がパンテレーアに入ってから三日後のことである。
船乗りたちから翌日の昼には荒れると聞いても決めたのだ。
ハフモニが動く。
この機会を逃すわけにはいかない。
それに、ハフモニが動くと言うことは活動時間に余裕があると言うこと。何事も無く島に行ってからパンテレーアに帰ってくる時間があると言うことだ。現に、暗い間に荒れると言う者はおらず、戦闘が長引かないという条件でなら一緒に来ることに渋る船乗りは居なかった。
「思ったよりも位置が分かりませんね」
シニストラが陸地のある方向を見ながらアレッシア語で呟く。
「どれだけ船乗りが優秀かというのが分かるな」
晩餐会で使う笑みに近い表情を心掛けてエスピラはシニストラに言った。
「計算はどれだけ信用できるのでしょうか」
「そこまでは何とも言えないな。情報が嘘ではない、というのは確かだと思うが」
高額で地元の船乗りたちを集めるとともに『守る』という名目で家族を人質にとって一部の者をパンテレーアに入れたのだ。その者らはもちろんハフモニも船乗りとして利用するため、目標地点と出航時間の知らせは複数人から受けている。
(完全に買収されて釣りだされている可能性もゼロでは無い、か)
金と人質と言葉。そして先の戦いによる勝利と十年以上前の戦いでの戦勝国であると言う事実。できることは全てやった。使えるモノは全て使った。
軍事命令権保有者としては駄目な発想ではあるが、エスピラの心境としてはこれで駄目なら素直にハフモニを褒めたたえて海の底へ行くのみである。
(来たか)
先頭、暗闇の中で赤い光が取り決めていた動きをした。
敵船団発見の合図である。
(フォチューナ神よ、アレッシアの守護神たちよ。我らに、勝利をもたらしたまえ。アレッシアに栄光を輝かせたまえ)
エスピラは、唇から革手袋を離した。
「すべては上手くいっている。神の寵愛は我らに向けられた! ならば我らがやるべきことは一つ! 戦って、勝つ。以上! 戦闘準備!」
エスピラが叫ぶと、シニストラが白いオーラを石に籠める。発光が続く石が投石機から放たれた。夜の闇で、恐らく敵からも味方からもその合図は見えただろう。
櫂が一気に動きを速める。足元から揺れるように、漕ぎ手を動かす太鼓にも力が入っているようだ。敵の船の明かりも見えてきたが、乱れている。体制が整っていないようだ。
「今ならばあの船団に突っ込むと思います」
船乗りの一人が言い、エスピラの船に乗っている他の四人もその意見に同意した。
「火をつけろ」
白いオーラを纏った石と青いオーラを纏った石が夜空に打ち上げられる。
それを合図に、アレッシア船団に燃え盛る船が追加された。




