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誤った見極め

 ソルプレーサがエスピラから見えるように小さく手を挙げた。


 エスピラが目をやると、「実際、ティミド様は人気が無いぞ」と言っているかのようにゆっくりソルプレーサの口が動く。



 大きな足音を立てて、イフェメラが前に出てきた。



「それに、先に謝罪すべきティミド様は謝罪もせずに被害者のような顔をして縮こまっているだけです。そもそも、エスピラ様は俺たちのために怒ったようなモノ。謝罪の必要の無いエスピラ様が謝ってティミド様は何もなしで、エスピラ様が感じている罪の意識に付け込んでお咎めなし? それは間違っていると思います。おかしいと思います。


 親が死んで動転している?

 それで、同じく親が死んで動転している者はティミド様の発言を許せるのですか?


 エスピラ様が若輩者で経験が浅いから私が導かないといけない? 功を焦っている?

 私に言わせれば、ティミド様が年長者だと言うことに任せてエスピラ様ひいてはこの軍団を思い通りに動かしたいと考えているように思えます。これは、明らかな越権行為です。反逆罪です。


 功を焦っていると言うのも、ティミド様に戦術眼が無い証。


 今、この状況で、ハフモニがカルド島に橋頭保を作る意味を考えてください。北方で押されているのにここでも押され始めると言うこと。その動揺は、影響は計り知れないほど大きいです。だって、俺たちは今頃はハフモニ本国を囲っていると思ってましたから。他の国だって思ってましたでしょう。諸都市も思っていたと思いますよ。


 なら、橋頭保が完成する前に素早く行って、素早く叩く。それがやることです。やるべきことです。

 少し考えれば分かるじゃないですか。


 エスピラ様が船乗りを集めるのは経験が欲しい。つまり、奇襲を仕掛け、海戦で勝つ。その後にマフソレイオの攻城兵器を用いてパンテレーアを落とす。


 エスピラ様はしっかりとアレッシアのこと、周りのことを考えているのです。ティミド様のように自分の命をどう守るかでは無いのです。


 ゆるゆる行く、メントレー様を待つと言うことはアレッシアに戦闘能力が無いことを自白するようなもの。その間にカルド島の勢力図は一気に塗り替わるでしょう。アレッシアが動かないんですから。守ってくれないんですから。裏切りが連鎖しますよ」



 エスピラの戦術、戦略を見抜き、話している内に落ち着いてきたのかイフェメラの声が少しゆっくりし始めた。怒っていた肩も戻っている。


 エスピラはティミドを見た。


 ティミドはエスピラからは目を逸らすが、イフェメラやシニストラに対しては彼らの足元を睨んでいてもおかしくない雰囲気で見ている。


 仕方ない、とエスピラは再度口を開いた。


「ティミド様が謝罪の機会を失ったのは、私が話し過ぎたことが大きく、他の者の意見を許したことも大きいな」


 イフェメラとシニストラがややバツの悪そうな顔をした。


「とは言え、ティミド様も先の間ですぐに謝らず、タヴォラド様に注意されていたにも関わらず人を怒らせたと言うのは、些かいただけない」


 そうだそうだ、と年少コンビのシニストラとイフェメラの表情が勢いを取り戻す。


(上に立つ者の苦しみか)


 悪意が無ければ良いと言うモノではないのは分かっているが。


「ティミド・セルクラウス。以降、私の軍事命令権が切れるまでの間一切の指揮を禁ずる。私が死んだときの指揮はスーペル様、次にマルテレス、アルモニア、ズベラン様と続くことにする。全員が死んだら次はステッラだ。


 足りなくなった軍団長補佐の地位はソルプレーサ。仕事が多くなるが、頼んだぞ。

 以降は騎兵隊長スーペル様、副隊長マルテレス。二個大隊をアルモニア、ズベラン様、ソルプレーサで指揮し、三個大隊を含む全軍を私が指揮する」


 そこで、エスピラは一息だけ着いた。


「ティミド様は指揮は外れますが、仕事自体は非常に優秀ですので軍資金の管理はこれまで通りお任せいたします」


「かしこまりました」

 とすぐにアルモニアが頭を下げた。


 スーペル、ズベラン、マルテレス、ステッラ、ソルプレーサがすぐに続き、少し遅れてイフェメラ、シニストラ。最後にティミドが初雪にすら消えるような声で了解の返事をした。


 ティミドの声の直後に、シニストラが剣を鞘に戻す音を大きく立てる。

 何を意図したのかは皆分かるが、誰も注意しようとしない辺り、ティミドは思ったよりも信を失っていたのだな、とエスピラは判断した。


(まあ、泣き崩れたのも大きかったのか?)


 その後の抜け殻のような状態から復活したのに、今は『反逆罪』と言われるほどに空回っている。


「ですが、すみませんが父上も戦いを望んでいないことはお伝えしないといけません」


 もう何も言うな、と言いたい思いは恐らく天幕に居た高官たちの間で共有された感情ではあったが、この軍団はタイリー・セルクラウスの命で集められた集団である。


 故人の遺志を無下には出来ない。


「何を根拠に言っているのかだけは聞いてあげますが、それ以外ならタイリー様を貶める行為ですので控えた方が良いんじゃないですか?」


 イフェメラが吐き捨てた。


「イフェメラ」


 火が大きくなる前に、エスピラが注意をする。

 イフェメラは目を閉じて小さく頭を下げてきた。


「すみませんが、根拠ならあります」


 言うと、ティミドが天幕の出入り口に向かって歩いて行く。そのまま天幕を掴み、思いっきり開けた。


「レコリウスを此処に」


 レコリウス。

 エスピラの記憶の人物と一致するなら、レコリウス・リュコギュはタイリーが北方に連れて行った百人隊長の一人である。四十代半ばだが、十代の子供たちに交ざって走り回っても体力が持つと言われている男だ。こげ茶の髪と髪よりは明るい茶色の瞳である。


 そして、連れてこられた男もエスピラの記憶と相違ない男。夜半に盗み見た時よりは怪我も薄くなり、気力も戻ってきたようである。


「ヴィンツェンツィオ・リュコギュが子、レコリウス・リュコギュにございます」

「勇者が一人、北方戦線を生き延びてくれたと言うだけで十分な朗報です」


 エスピラは優しく言った。

 レコリウスの頭がもう一つ下がる。


「この者は、父上の言葉をエスピラ様に伝えるためだけに一人此処までやってきたのです」


 エスピラは、報告を上げたティミドに目をやった。


「他にも用件があったのではないか?」

「いえ。私がタイリー様から受けたのはエスピラ様への言伝のみにございます。ただひたすらその任を果たすために駆けて参りましたが、随分と遅くなってしまったことをお詫び申し上げます」


 答えたのはレコリウス。


「すみません。できれば、レコリウスを叱らないでくれませんか? 逃げたと思われかねない不名誉な行いをしてまで父上の話を持ってきてくださったのです」


 エスピラは息を大きく吸って、それからゆっくり大きく吐き出した。


 怒りを鎮めるために左肘を軽く机につける。自然と革手袋がエスピラの顔を隠す形になった。右目は完全に見えているが、エスピラはティミドを視界の外においやる。


「ティミド様。エスピラ様はレコリウス様が到着されたことを四日前の夜から知っております。ズベラン様に申し渡し、レコリウス様を休ませている者に一人分多くの食事も渡しておりました。エスピラ様が怒っているように見えたのなら、それはエスピラ様への報告を意図的に止めていたことでしょう」


 ソルプレーサが斜め上を見ながら告げた。


「エスピラ様、これは明確な叛意では? 故人の意思を捻じ曲げ、自分に不都合があれば消し去る気であった。そう、見えますが」


 シニストラが剣を握った。

 イフェメラも剣に手を置いて、ティミドの後ろに回り込めるようにか一歩足を引いている。


 マルテレスの眼球がシニストラの剣、イフェメラの足へと動いた。


「そのように見えたのならすみません。ですが、私にそのような意図は一切ありません。そもそも、人の出入りも多いのです。すみませんが、エスピラ様が見間違える可能性だってあると思います」


 ティミドがシニストラとイフェメラに対して強く出た。

 アレッシア人らしさが、暴力的手段も厭わないとしている二人に対して腰を引いていないところに現れている。


「もう何も言うなティミド。シニストラとイフェメラもやめよ。敵だ敵だと吼えていても敵が減ることは無い」

「すみませんが」


 エスピラに噛みついてきたのはティミド。その足を、ズベランが踏みつけた。


 シニストラとイフェメラは元の位置に戻っている。


「今は誰が敵で誰が味方か分からない時期だ。陣に出入りする者は全て監視している。しかも、順番にエクラートン市街で休暇を与えているのだ。軍団の者の顔と名前は全て把握している。ティミド。私が連れて来た者は元は二万の軍団で同じ役割を行うことを期待していたのだ。それを、この数で失敗しろ、と?」


 エスピラは右手でティミドを追い払う動作をした。

 ソルプレーサとステッラがティミドの両脇に移動する。


「頭を冷やしてこい。それと、財務官は選挙で選ばれた者だから念のため元老院にお伺いを立てる。処罰が不服ならば弁解に行っても構わない。ただ、軍資金は軍団のためのお金だ。銀の一欠けでも使えば軍規に則り軍事命令権保有者としてお前を罰する」


 ソルプレーサとステッラがティミドを抱えた。


「すみません! 私は! 決して」


「私個人として、ティミド様個人を知ってはいます。ですが、今の貴方を許せば軍規が乱れる。ただの軍事命令権保有者としてティミド・セルクラウスを見れば頭に成り代わろうとしている者であり、いたずらに軍団を分裂させる言動を繰り返している一門の力も軍団内の地位もある人物だ。

 安心してください。民の怒りの持っていき場として処刑されそうになった時は庇いますから。今はゆっくりとエクラートンで休んでください」


「すみません! アレッシアの軍団であることを良いことにエクラートンで愛人を作って暇があれば街に繰り出している平民風情こそ」


 ティミドの叫びが完遂することなく天幕の外へ消えていった。

 エスピラは顔をスーペルに向ける。


「職権乱用か?」

「妥当な判断かと」


 スーペルは頭を下げた。


「と、言っているが」


 次にエスピラはアルモニアへ目を向ける。


「軍資金を管理する者としては優秀でした。命は惜しいですが、指揮する立場に置いておけば大事な兵の命が失われる危険性もありましたので、当然の決断かと思います」


 アルモニアも神妙に言う。


「異論は?」


 最後に、エスピラは全員に聞いた。


「独房に入れろって元老院は言いそうだなってだけ。まあ、エスピラの寛容性ってことかね」


 マルテレスが最後に言えば、それでこの話は終わった。


 エスピラは一度、ゆっくりと瞬きすると、再度レコリウスを瞳に映す。


「レコリウス。遅くなって申し訳なかったな。それでは、タイリー様からの伝言を教えてはくれないか?」


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