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平民風情

 軍団の高官が集まったのはスクリッロが来た翌日。


 エスピラは、始めにハフモニについて集めた情報を伝えた。その上で先に食糧の確認と軍資金が自分の覚えとずれが無いかを確かめる。


 そこが大丈夫だったうえで

「多少払い過ぎたとしても優秀な船乗りをできるだけ集めろ」

 と命じた。


「すみません」

 とすぐに反応したのはティミド。


「今のお金ならまた散らばってしまった傭兵を集めることができます。すみませんが、そうした方が良いのではないでしょうか」

「ハフモニの上陸予想地はパンテレーアだとお伝えし忘れたでしょうか」


 もちろん、そんな訳は無い。


「すみませんが、それぐらい聞いております」


 ティミドの語気が珍しく強かったので、落ち着かせるためにもエスピラは一拍置いた。


 しっかりと目を合わせたまま、ゆっくり口を開ける。


「パンテレーアまで、訓練のなっていない傭兵を連れていけば二十二日以上かかります。兵を集め、鍛錬を行い出発しても陸路ならばすぐに帰らないといけなくなるでしょう」


 エスピラの軍事命令権が生きるのは十二番目の月一杯。後はアレッシアへの帰り道だけ特例なのである。と言っても、それは軍団を纏めて帰るだけで戦闘指揮は認められていない。


「知っています。すみませんが、今のエクラートンで休んだ軍勢で勝てると思っているのですか?」


「英気を養っていた、と言った方がよろしいでしょう。それに、海で戦う兵は二千ほど。残りの三千は街の攻略のために陸に残ってもらいます。私がいない間の陸上での指揮はスーペル様に任せたいと思っております。馬は全て陸に置いておきますし、攻城兵器もスーペル様なら問題なく扱えますから」


「命令ならば」

 目を閉じて、スーペルが頭を下げた。


 ティミドの目がスーペルを一瞬だけ睨む。


(タイリー様が亡くなって臆病風に吹かれつつもセルクラウスとしての自覚が出てきた、というところか。まあ、空回っているようだが)


「海戦でも圧倒的に不利なのは変わりありません。エスピラ様は、すみませんが今のアレッシアの苦境をお忘れですか? 父上でも勝てなかった相手に平民風情が勝てるわけが無いではありませんか!」

「ティミド様。発言にはお気をつけを」


 エスピラが注意する。

 マルテレスは苦笑いを浮かべているし、アルモニアはティミドから一度外していた。

 雑務も兼ねて入れているイフェメラは明らかに怒気を見せていたし、百人隊長を代表して入れているステッラは目を落としている。ソルプレーサは目を閉じていた。


「すみません。ですが、北方に送ったアレッシア軍はまた負けたそうでは無いですか。それも、全滅。ハフモニ軍が二倍だと分かっているのに、平民が突撃させたそうですね。エスピラ様。すみませんが、私には貴方がこれから行おうとしていることが同じに見えます。

 名門ウェラテヌスの者であろうエスピラ様が、兵の人気を取ることしかできない平民風情と同じことをしないでください」


「ティミド様。二度目です」


「二度目だろうが何度目だろうがすみませんが私は言います。ウェラテヌスと雖も若輩者で経験の浅いエスピラ様だからこそ、同じ愚を犯そうとしているのです。それを止めるのは年長者であり義兄である私の役割。だからこそ父上は私を残したのだと思っています。


 私は臆病ですが、すみませんがそれでもエスピラ様より経験はあります。

 私はセルクラウスなのです。


 待てばよろしいでは無いですか。戦果は十分では無いですか。名声欲しさに任期ギリギリで攻撃する。無理をする。すみませんが、これこそ愚かな行い。愚の骨頂。どれだけの人がこれをやってきたのですか? どれだけの成り上り者がこれでアレッシアの兵を失ってきたのですか?


 すみませんが、私は承服しかねます。名声が欲しいなら一人で突っ込んでください。すみませんが、エスピラ様に任せるよりもメントレー様の軍団を待てば良いと思います。これはエスピラ様の完全な増長です。一度や二度上手く行ったからと、数々の優位を捨て去るのは愚の骨頂。愚かな行い。


 実力のある貴族に任せられないなんて、馬鹿な平民風情と同じ真似をしないでください。三年前、叔父上と組んだ能無しの所為で父上が苦労したのはエスピラ様も見ていますよね。

 すみませんが、私も名門のセルクラウスを平民風情」

「ティミド!」


 エスピラは、初めてティミドに敬称を着けなかった。


 イフェメラの跳ねた方も、シニストラの驚いた顔も目に入らない。


 ただただ、ティミドがやってしまったと言わんばかりに目を丸めて、それから体も千々籠めたことだけが見えている。



「お前は、何度『平民風情』と言った? 私を侮辱するのはまだ見逃してやろう。経験が浅い、若輩者、功を焦っているように見える。ああ、全て事実だ。


 だが、お前はその『平民風情』に何度救われた? お前はちゃんと軍団の活躍を見たのか? 軍団を構成している者の多くはお前が自然と蔑んでいる平民だ。


 ハフモニとの会戦の時、勝負を決める突撃を決めたのは平民のマルテレスだ。その前、戦えるように傭兵を纏めるように頑張ったのは平民のアルモニアだ。貴重な情報を持ち帰ってきてくれるのはソルプレーサら平民の皆だ。父が心配なのに残って、軍団に鉄の心を植えるのに貢献したのはお前が批判した執政官と同じ新貴族であるイフェメラだ。


 で、今軍団を割ろうとしているのは貴族であるお前と私。違うか?」



 ティミドの目は下を動くだけで口は開かない。

 エスピラはもう二秒ほどティミドを睨んだが、息を吐き捨てた。


「すまない。同じことをしてしまった。どうも、やはり経験不足は否めないな。申し訳ない」


 それから、エスピラはティミド以外に頭を下げる。


「謝る必要はございません。お二人とも、父上であるタイリー様を失った悲しみに暮れる暇もなく戦い続きだったのです。その疲労は、私たちには分からないことでしょう」


 アルモニアがいつもよりやややわらかい声を出した。


「指揮官に不服従で和を乱したと言われれば、私も強くは否定できませんので、特には」


 スーペルがぽつりと続く。


「それに、改めて言われると気恥ずかしい面もありますがエスピラ様がしっかりと私たちを見ていてくれたのが分かっただけでもこれからの働き甲斐があると言うモノです」


 そしてアルモニアが結ぶ。


 エスピラは目を閉じたまま、「すまない」と小さく言った。アルモニアのあたりから頭を下げたような気配も感じる。


「冷静さが大事だと言うのに、軍事命令権を保有している私がこれではいけないな。だが、そうは思っていてもこれなのだ。実の父を失ったばかりのティミド様の混乱はこれ以上だろう。すまないが、此処はもう一度だけチャンスを与えると言うことで見逃してはもらえないだろうか」


 ゆっくり、噛み締めるようにエスピラが言えばティミドの顔が上がった。


 マルテレスは良いといつもの気の良い笑みを浮かべているし、アルモニアは穏やかに顔を上下に動かしている。ソルプレーサは目を閉じたまま。


「流石に甘すぎると思います」


 だが、異を唱えたのはシニストラ。手は剣に置かれている。


「度重なる異議、エスピラ様への侮辱、的外れな意見。加えて兵の士気を下げる発言に反省もしない。最低でも地位を剝奪するべきかと」

「同意です。正直、ティミド様の下で戦えと言われても私は死ねません」


 イフェメラがティミドを睨みつけた。


 イフェメラの意見は否定のしようがないため、エスピラはまずはシニストラに目を向ける。


「シニストラ。多様な意見は私が認めている。その中で、私の意見を否定することが侮辱に見えることもあるかも知れないし、取り入れられなかった意見が全て的外れと言うことは無いのだが、それでも満足できないか」


 シニストラの眉が一度困ったように寄り、それからまた険しい顔に戻った。


「エスピラ様が言うのであれば、その二点は取り下げます。申し訳ありませんでした。

 ですが、今回、平民の皆様を侮辱する意思で『平民風情』とティミド様が使っていたのは事実です。そして、その侮辱の言葉とエスピラ様を並べたのも事実です。そのこと、私には到底容認できるものではございませんし、今回のことを含めずとも、私はティミド様と血の繋がらない遠縁としての縁を切りたい思いもあることを忘れないでください」


「私はティミド様の指示では戦いたくありません!」


 シニストラの声に被せるようにイフェメラがまた吼えた。


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