魔女王女
絹で覆われた場所は、中に入れば木箱などで一応攻撃からは僅かばかりに身を隠せるようにはなっていた。ただし、燃やされれば終わりだろう。
「役に立ちましたか?」
年相応の声でズィミナソフィア四世が聞いてきた。
ひょい、と撫でやすい位置に頭がやってくる。
「スーペル・タルキウスの足を止め、扱いを下げる。エクラートンもアレッシアの足元を見ることの無いように言質を取る。上手くやれましたよね?」
ズィミナソフィア四世が上目遣いで見てきた。
「良くそこまで分かったね」
エスピラは少し迷ったが左手を伸ばし、ズィミナソフィア四世の頭を優しくなでた。
「母上ですら足元を見ようとしたのですよ?」
二年前の使節団の時の話だ。
「それが国だからね」
ぽんぽん、とズィミナソフィア四世の頭を軽く叩いてからエスピラは手を離した。
ズィミナソフィア四世のピンク色の唇が尖る。
「短くはありませんか、お父様」
エスピラの動きが止まった。
耳で素早く周囲を確認する。動いた音は無い。肌も、動きを検知はしないが、直感が誰かに聞かれたような気を起こしている。警告を鳴らしている。
「申し訳ありませんが」
「父と言われていた人が二人とも亡くなっているの。幼い女の子が頼りになる大人に父性を求めるのは普通ではないかしら」
ね、とズィミナソフィア四世が言った瞬間に、木箱が一つ開いた。光るモノが見える。
エスピラは腰に差していた剣を抜くと、出てきたモノに突きつけた。
だが、ズィミナソフィア四世に伸ばした手は一瞬遅く、彼女は時間をずらして開いた木箱から出てきた男に捕らえられてしまう。
ズィミナソフィア四世は目を大きくしたが、すぐにエスピラを見てきた。動揺は少ない。少なく見える。王女たる生活による精神力や演技の賜物かも知れないが。
「エスピラ・ウェラテヌスであっているな?」
少したどたどしいエリポス語。出てきた男たちの目の下には黒い紋様。ハフモニやプラントゥムの人に良く見る彫り物だ。
ただし、ズィミナソフィア四世に突きつけられている剣はファルカタではなく、どこにでも売っている一般的なモノ。斬撃に使える刃渡り三十センチほどの剣。エスピラの視界の端から来た男も同じ。
「それが、何か?」
エスピラはエリポス語のままで返した。
「剣を捨てて、オーラを見せろ。そしたらこの娘は解放してやる」
エスピラは目を細めた。
さて、どうしたものか。
気配の消し方、衣擦れの音の消し方、構え。どれも、きちんと訓練を受けた暗殺者のソレである。息づかいも狭い木箱にずっと入り続ける根性も。
仕方ない、とエスピラはウーツ鋼の剣を手放した。
落下した瞬間に横に蹴り飛ばす。ウーツ鋼の刃が木箱の一つに刺さった。
「後は、オーラだったか」
ハフモニ語で言う。
男たちの眉は少し動いただけ。
「オーラ、だったか?」
次はプラントゥムの言葉で。
男たちが不自然な一拍の後で頷いた。
なるほど、とエスピラは納得すると、オーラを流し始めた。緑の光が絹のテントの中で男たちにかかる。ズィミナソフィア四世の目も大きくなった。
「満足かい?」
エスピラがエリポス語で言えば、男の剣がズィミナソフィア四世から僅かに離れた。
その隙に、エスピラはズィミナソフィア四世の髪を巻き込む形で男の腕を蹴り飛ばす。
「待て」
腰に残る短剣を引き抜くと、待てと叫んだ後ろの男に投げた。喉元に刺さり、男がのけぞる。
ズィミナソフィア四世を捕えていた男が剣を捨てたが、エスピラは構わず首を絞め、首の骨を折った。
喉に短剣が刺さったままの男は這うように絹のテントの外に出たが、異変に気付いたらしいシニストラに突き殺さる。
「ハフモニですか?」
シニストラが男の死体からエスピラの短剣を抜き取り、血を拭い取った。
それから、手渡してきてくれる。
「ああ。アレッシアは人質ごと敵を殺すことを知らないらしいからマールバラ方面では無いだろう」
「何故、そうだと?」
「後で伝える。今は、こいつらを運んで捕虜の中の高官を尋問してくれ」
「かしこまりました」
シニストラが首の骨が折れた男も担ぎに絹のテントの中に入った。
血に塗れた剣で周りの木箱も突き刺し、他に人がいないことを確認してからエスピラに礼をし、死体を抱えて出ていく。
「何の真似だ?」
そして、今度こそ本当に誰もいないと結論付けてからエスピラはズィミナソフィア四世を睨んだ。
ズィミナソフィア四世が感情を排した無邪気な目でエスピラを見つめてくる。
「人質を取ろうとしたのがまずかった? それとも、人? やっぱりハフモニの言葉もプラントゥムの言葉も分からないから?」
「答えになっていないぞ」
エスピラはウーツ鋼の剣を引き抜いた。
もちろん、斬る気などは一切ない。
「お父様のオーラの色を知りたかったの。母上も知らないって言うし、他の人も知らないみたいだし。でも、どうせ私の知らないお母様とお父様が認知できる子供たちは知っているのでしょう? それって、悲しいことだと思わない?」
「お前の母親は女王陛下、ズィミナソフィア三世だ」
剣を仕舞いつつ、目は睨んだままで。
エスピラは硬質な声をズィミナソフィア四世にぶつけた。
「生まれた時に親を殺し、男を誘っては殺すお母様よ。お父様と夫婦なら、お母様でしょう? 私、尊敬していますの。だって、あの方は目的を達成するために手段を選ばない。国を率いるのに立派な才能だと思いません? それでお父様を手に入れているのだから、成功しているとは思いませんか?」
「どう思おうと勝手だが、会ったことも無い人が私の妻を評価するな」
「酷い人ですね。滅多に外に出ないのだから、お母様を評価できるのはお父様だけになってしまうのが目的ですか?」
エスピラは大きく息を吸うと、鼻からゆっくり吐き出した。
それから力を抜いて、ズィミナソフィア四世に近づく。
「良いか。私は貴方を殺したくはない。だから私をあまり怒らせないでくれ」
「申し訳ありません、お父様」
ズィミナソフィア四世が膝と腰を使って頭を下げた。
「ですが、今は正真正銘の二人きり、ですよ」
頭を垂れる姿勢のまま、ズィミナソフィア四世が声を溢す。
エスピラは目と耳で周囲を確認してから、口を開いた。
「私は、ソフィアを殺したくはない」
「私こそ、お母様を悪しく言うような真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。私がメルア・セルクラウス・ウェテリ様を尊敬しているのは本当のことです。それだけは信じてください、お父様」
エスピラは、先よりも乱雑にズィミナソフィア四世の頭に手を置いた。
「信じるよ。でも、人の命はもっと大事に使わないと。奴隷や兵に足元を掬われかねないからね」
「以後、気を付けます」
ぽんぽん、と先ほど同様に優しく叩いて、エスピラは表情を緩めた。
先程のオーラは、間違いなくただの強力な緑のオーラ。マフソレイオで振りまいたような殺人性は無い。
ズィミナソフィア四世は人に話すようなことは無いと思うが、露見しても大きな問題にはならないだろう。
「別料金は、これで十分かな」
「はい。測量士五人と投石機を扱ったことのある奴隷十五人をお父様に差し上げる予定ですが、これで足りますか?」
「その後もどう養っていくのかを考えれば多くない方がありがたいからね」
測量士は当然ウェラテヌスの被庇護者に加えるとして、十五人もの奴隷をどうやって養うかが問題だ。
戦場でしか使えないのなら、戦争に連れて行ってもらうべきだろうか。
「タイリー・セルクラウスが死亡したことで、彼の奴隷の取り合いにもなりますものね」
ズィミナソフィア四世が小さな顎に小さな手を当てた。
良くご存じで、という言葉よりも先に、そっちもあったか、とエスピラは暗澹たる気持ちになった。
タヴォラドと比べて随分と出遅れたのは当然のことだろう。すぐにそのことに思考がいったとしても、エスピラは遠方に居るためタイリーが抱えていた優秀な奴隷の取り合いにも遅れが生じる。
「アレッシアより優れた攻城兵器の技術、五人も抱えることなく交換しても良いのですよ」
「そのための、か」
「ええ。そのための、です。ウェラテヌスはアレッシアのために家を傾けた一門なのでしょう? 測量士を数人渡すくらい、すぐに決断しますよね」
「何を得るか、という話でもあるけどな」
養いきれるか分からない測量士と、攻城兵器を扱える奴隷は何組か手放すのは確定だろう。
(まずは、建築関係か)
では、彼らを誰と交換してもらうか。尤も欲しいのは需要が多く、ウェラテヌスが失った後も取り戻せなかった道路や建物を作る設計図を描ける者だと、エスピラは結論付けた。




