魔女王女
「マジかよ」
「嘘だろ」
前者がマルテレス。後者がスーペルの声である。
何に対する感想か。
エクラートンに入港した、マフソレイオの船団を見ての感想である。
旗艦に良く用いられる七段櫂船なんてものではない。最早物資補給の効率や速度の効率を投げすてたような十段櫂船である。他にも七段櫂船も並び、船には絹がかけられて絵画の世界の船団と言っても差し支えない絢爛さである。櫂は大きくゆったりと動いており、上に居るのはこれまた立派な装飾品に身を包んだ者達。役者と言っても通用する所作で音頭を取っている。さらに驚くのは、これが音楽を鳴らしながらの入港であると言うことだ。
アルモニアは口が開いたままで、シニストラは瞬きをずっとしていない。
ティミドは魂が抜けたように口も目も丸くなっており、スクリッロの目力も増している。ズベランは瞬きが非常に多くなっていた。
変わっていないのは、出迎えで現れた御年八十歳というあり得ないくらいの高齢なエクラートンの王ぐらいか。
観察しているエスピラも、他者を見ていないと自分を見失いそうになるほどの衝撃を受けていた。
支援物資だとか、戦いが起こっている島に来るべき態勢では無いとか、色々言うべきことがあるはずなのに、誰も何も溢さない。言えないのだ。
船が接舷し、櫂船の上から木でできた立派な階段が下ろされた。仄かに香っており、香木の類かも知れない。あるいは、船上で匂いが染みついたか。
どちらにせよ、見た目だけでもなめらかで艶やかで豪華な船団の中でも一線を画している。
その階段を気にも留めずに降りてきたのはズィミナソフィア四世。九歳の次期女王である。前とは違い、腰元まで綺麗な栗毛を伸ばし風に遊ばせていた。その様すら優雅である。
エスピラは呆けているティミドの手を叩いた。動きはない。
もう一度叩く。飛び跳ねるだけ。
仕方が無いので、エスピラはアルモニアに目をやった。意図を察してくれたのか、アルモニアが頭を下げる。次いで、エスピラ以外のアレッシアの者が頭を下げた。ティミドは一人大きく遅れている。
エクラートンも似たような状況ではあったが、二回の遅れは無かったため、アレッシアは後塵を拝する結果になってしまった。
「大変遅くなってしまい、申し訳ありません」
聞く態勢が整ったと判断したのか、ズィミナソフィア四世が以前より少し大人びた声でエスピラに言った。
「一切問題はございません。こちらこそ、要請に応えていただき誠にありがとうございます」
ズィミナソフィア四世が差し出してきた手の甲を、エスピラは軽くとって小さく持ち上げた。顔は近づけるが、口づけは落とさない。視線も腰は曲げるが上から見下ろす形のまま。
「もし私ではなく母上なら、どういう行動を取ったのかしら?」
ズィミナソフィア四世が悠然と言った。
「女王陛下ならば船の上で私を待ち続けたでしょう」
昇らないよ、とも言うかのようにエスピラは返す。
「私はどちらの女だと思う?」
「女王陛下と異なるのは当然のことですが、出来ればアレッシアにとって良い女性であることを望みます」
「そう。もし私が、母上と同じ扱いを望みますと言ったらどうします?」
「申し訳ありませんが、私はマフソレイオの王族の流儀に従うつもりは一切ございませんので」
にっこりと、ズィミナソフィア四世がエスピラに笑顔を向けた。
それから、エクラートンの王に挨拶をする。
王族同士の、簡素なやり取り。
「物資は、きちんといただけるのでしょうか」
シニストラが小声でエスピラにアレッシア語を使って聞いてきた。
「問題ないよ」
エスピラは唇を動かさずにアレッシア語で返す。
ズィミナソフィア四世の目が、ちらりとこちらに向いた気もした。
「何か、こちらの態度が気に食わなかったと言うことですか?」
シニストラの意識がティミドに行ったような気配がする。
エスピラは後ろを向くわけにはいかないため、声などによる判断がほとんどだが、彼の対応の遅れをシニストラは責めているようだ。
心なしか、他の者の注目も集まってくる。
「大きな問題にはなりませんよ」
エスピラはティミドに意識を持って行きながら言った。
もちろん、本当のところはズィミナソフィア四世はこちらの態度を何とも思っていないのは知っている。あえて言う必要もないと思っただけだ。むしろ言わない方が役に立つと思っただけだ。
「エスピラ」
ズィミナソフィア四世が戻ってくる。
「この物資は、エクラートンに渡した方が良いかしら。悪い意味じゃないのよ。マフソレイオはアレッシアが如何なる苦境に陥っても朋友であり続けると決めたのだから、エスピラが欲しいのならまた持ってきても良いと思っているの。まずは、借りている形ならばそちらを返す方が信義を貫いていると言えるでしょう?」
年相応の幼さとませた可愛さを含んだ動作でズィミナソフィア四世が小首を傾げた。
なるほど。これは、次の発言を待たれているのはエクラートンの王である。
私たちは朋友で信義を貫きますが、貴方がたはどうですか? タイリー・セルクラウスが死んで、連敗のアレッシアを風向きが悪いからと見捨てる人でなしですか? と。
「全て、アレッシアでお受け取り下さい。我がエクラートンからの支援も、貸しではなく全て差し上げているのです。兵も、金も、住居も食糧も」
ゆっくりとしてはいるが、まだまだ覇気のある声で王が言った。
「ありがとうございます。丁度軍資金も小麦も大きく減った後ですのでありがたく頂戴いたします」
エスピラは目を閉じて、腰から上を僅かに下げた。
それから、右手を顔の横に上げる。
「ティミド様、ズベラン様。物資を受け取る準備を。今の軍団に還元する形での計算もお願いいたします」
「かしこまりました」
タイミング的には返事は重なっていたが、ティミドの声が上ずることで大分ずれているようにも感じられた。
「目録を持ってきて」
ズィミナソフィア四世が少しばかり低い声で言う。
すぐさま、マフソレイオの兵らしき四十代ぐらいの男性がパピルス紙を数枚持ってきた。
ズィミナソフィア四世の手に渡り、エスピラの手に渡る。
もう一組は直接若い兵からティミドに渡った。
「どう? エスピラの役に立つ?」
ズィミナソフィア四世が子供が親に甘えるような声を出す。
「軍資金が、聞いていたよりも多いですね」
「ええ」
ズィミナソフィア四世が可愛らしく両手を合わせた。
「それはね、マフソレイオにも傭兵としてハフモニに与した者が居たから、その家族と家財を全て売っちゃったの。草の根もかき分けて、探して。でもまだまだ働けそうな若い男は鉱山に入れたから、安心して。ちゃんと国益も考えているのよ」
少し大きめの声は、エクラートンや他の者へのけん制も含めてか。
本当にアレッシアのため、いや、エスピラのためになら何でもやりそうな危うい雰囲気も少しばかり感じる。
「失礼ながら」
「王なんて使い方次第でしょう? 血筋が変わらないのなら、有用な方を据えるのが賢いやり方ですよね」
エスピラの質問を先回りして、ズィミナソフィア四世がマルハイマナの言葉で答えた。
(失敗したか)
マフソレイオで、王を暗殺したのは。
誤った考えをこのまだ幼き次期女王に植えてしまったかも知れない。
「共同統治者と言うことを忘れないように。恐怖は、一時的な安寧しかもたらさないからね」
エスピラもマルハイマナの言葉で返した。
(いや。私が殺したと言う証拠は何一つないはずだ)
目を少し大きく開いてしまいながらも、先程言った言葉を思い返す。
肯定は、していない。してはいないが肯定よりの言葉だ。
(違う。聞いただけ。例えば女王陛下からや、図書館で何かを見て、と言うことは十分にありうる)
考え過ぎだと、エスピラは思考を沈めた。
第一、本当に疑っているのなら支援を断るのが普通なのだ。文句を言うのが普通なのだ。敵に回っても良いのだ。わざわざハフモニに着いた者を粛正しなくても良いのである。
だから、これは自分の考え過ぎだとエスピラは結論付けた。
「せっかくですから、皆様を船の中に招待いたしましょうか?」
そして、エスピラの瞳を覗き込むようにしてズィミナソフィア四世が皆が喜ぶ提案をしてきたのだった。




