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宴の陰

 軍団を見渡せる小高い丘で、エスピラは木に体をもたれかけた。

 眼下では戦いの神を祀る踊りと宴が繰り広げられ、兵たちが宴に踊っている。


「こちらにおられましたか」


 声の主はステッラ・フィッサウス。タイリーの被庇護民だった百人隊長だ。


「何かあったのか?」


 エスピラは宴をぼんやりと見続けながら返した。

 敗報に嘆き、悲しみ、その怒りを略奪と殺戮にぶつけた兵たちは今度はティミドが別の意味で泣くような宴に興じている。


「いえ。エスピラ様のあまりにも見事な手腕。何か起こるはずもありません」

「見事な手腕、か」


「はい。敗報を隠すことなく伝え、すぐに怒りの持っていき場を用意する。アレッシアへの忠誠の薄い傭兵たちは更なる略奪の場を用意してやることで繋ぎ止め、同時にカルド島の者たちで同じカルド島の者を攻撃させてアレッシアを裏切れなくさせた。極めつけは労うための宴に財を惜しまず、兵も喜んでおります」


 空元気に近いかもは知れない。

 兵にとっても、たとえ最初は見ず知らずでも今年に入って濃密な時を過ごした仲間が大勢亡くなったのだ。


 その悲しみは、すぐに癒えるものではない。


「その言葉は、私を喜ばせるのに十分だよ」


 エスピラは自身の懐を探った。


 あったのは、片手でははみ出るほどの金が入った袋。この宴を開くにあたって、会場の準備や料理の準備をしてもらうために人々に配っていた残り。


「子供か、あるいはみんなで分けてくれ。君たちも庇護者を失って大変だろう。タヴォラド様か、トリアンフ様か。誰に着くのか。皆、タイリー様の後を考えてはいたがこんなにも早く来るとは思っていないだろうからな」


 エスピラはその袋をステッラに投げ渡した。


「少ないのは勘弁してくれ。そろそろ一人子供が増える予定なんだ。私に何かが無いとも限らない以上はウェラテヌスの蔵を空にはしたくないからな。まあ、ボーナスを要求されればその限りでは無いよ」


「それは、おめでとうございます。神の祝福に溢れることをお祈り申し上げます」

「ありがとう」


 タイリー様にもみせてあげたかった、と言いかけて、飲み込んだ。


 必要以上に言葉を重ねることは無い。軍団の心が弱っている所に指揮官の弱みを見せる必要は無いのだ。


 ステッラもこれ以上留まることは望ましくないと思ってくれたのか、気配が遠のいていく。

 代わりに来たのは馴染みのある気配。存在感だけでエスピラには誰か分かる気配。


「大盛り上がりだけど、良いのか?」

「タイリー様は私が死なせてしまったようなものだ。交ざるつもりは無いよ」

「随分と飛躍したな」


 マルテレスがエスピラに並んできた。目の前に何かが差し出される。魚だ。魚醤にがっつりと漬かっている、喉が渇く一品である。


「はちみつと家の魚醤が恋しいと言うやつもいるけど、ここの食事も結構評判は良いぞ」

「それは何よりだ」


 エスピラが取る気がないと思ったのか、皿が下がった。


「なんだっけ。マールバラ・グラム? で合ってるよな」

「ああ」

「そいつがタイリー様より上手だったってだけじゃないの?」


 ってことは俺らよりも上ってことだな、と大して重要そうでは無くマルテレスが呆けた声を出した。


「警戒を下げてしまったのは私の責任だ。ピオリオーネ攻略に時間がかかり、内政は父と義兄の方式を引き継いだまま。幼い時から父に着いていったと言うが、戦場経験はタイリー様やペッレグリーノ様に遠く及ばない。目立った軍事功績も無ければ義兄のインクレシベが死んでからハフモニ本国は割れている。


 実質的に引き継いでも本国での立場は低いままにしていたんだ。


 歴史的に本国が足を引っ張っていることを知りながら放置する者だと、侮っていたのは私だ」


 前回の戦争では、ハフモニにアレッシアに負けなしの将軍が居た。

 しかし、彼を活かせることは無くハフモニは負けている。好機は何度もあったのに逃しているのだ。


 好機を逃しているのはアレッシアもであり、あまり人のことは言えないが本国をどうにかしないとまた足を引っ張られるのはマールバラの父なら分かっていたのだろう。インクレシベも掌握に精を出していた。だが、マールバラ本人は怠っていた。


 だから、最大限の警戒に値する人物ではないと、カルド島への出陣前にエスピラはタイリーに報告したのだ。


「お前さあ、それ、イフェメラの前でも同じこと言えるの?」


 間を置いていたマルテレスがそう言った。


「イフェメラ? なぜ」


「いや、そのマールバラと何度か直接戦ったのはペッレグリーノ様だろ? エスピラは軍事行動以外での評価基準も多かったが、ペッレグリーノ様は実際に戦ってマールバラを評価しているはずだ。しかも執政官。権限的にはタイリー様を止めることだってできたろ」


「権限と実際は違う」


 エスピラは木に預けていた体重を足に戻した。


「でも、本気で止めるべきだと思っていたなら強硬手段に出るべきだった。それをしなかったのは、ペッレグリーノ様もタイリー様なら勝てると思っていたからだ。だろ? エスピラがもっと強く止めれば良かったって言うのは自由にすればいいさ。それがエスピラの感情だろうからな。


 でも、実際にエスピラよりもマールバラの戦術眼を知っていて、プラントゥム軍を知っていて、そして無理矢理にでもタイリー様を止められたのはペッレグリーノ様だ。


 エスピラがエスピラを責めれば責めるほど、ペッレグリーノ様はそれ以上に責められなければならないし、自分を責めるんじゃないか? どんな人か良く知らんけど」


 マルテレスの言葉を聞き、咀嚼し、エスピラはゆっくりと一回頷いた。その反動が止まらないかのようにどんどん小さくなる頷きが二回。


 それから、また木に体を預けた。

 マルテレスがそのエスピラの前に座る。


「兵に流行っている遊びを知っているか?」

「いや」


 エスピラが答えると、マルテレスが小さな石を二つ、大きな石を一つ取り出した。これが二セット。そして、十七個のマスが書かれたぼろきれが出てくる。


「賽を振って石を動かす遊びだが、これ自体は他にもあるだろ? でもあれは時間がかかる。何があるか分からない以上、テントで興じるにはすぐに終わる方が良いからな。で、だ。ルールが変わった」


 マルテレスが次に賽を取り出した。


「基本的に三個の石を自陣から敵陣に全部運べば勝ちなのは一緒。違うのは、足止めは大きな石でしかできない。大きな石は小さな石から四マス以上離れられない。大きな石はニマスか三マスの移動しかできないってとこ。それに、大きな石が足止めできるのは相手の大きな石一つの時か、小さな石が二つまで。それ以上は通過されちゃうし、大きな石の前に相手の小さな石が合っても、目的のマスに無ければ飛び越えちゃう。

 だから、大きな石が行き過ぎれば相手を足止めできなくなるけど、小さな石だけを先行させることもできない。賽の目に恵まれて、上手く相手を足止めしながら自分だけ進まないといけないってのがルールさ」


 似たようなゲームは晩餐会後の酒宴でも良く行われているな、とエスピラは思った。

 言わずともマルテレスも分かっているだろうとも。


「それをやろうって?」


 エスピラはマルテレスの返事が来る前にぼろきれの前に腰を下ろした。


「そう。エスピラは兵とは何かを賭けない限りできないからな」

「今、なんて?」


 仕方ないな、と伸ばしていた手が止まる。


 当然だ。


 何がどうなって何故できないのか。全く心当たりがない。そんなに恐怖体制を敷いていたのか、とすら思う。


「だから、賭け事じゃない限りエスピラはこの遊びを俺以外の人とはできないからなって言ったの」


 訳が、分からない。

 兵の心が離れたとでも言うのか。

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