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嚙み合う獣

 そっちが正解なのか、とエスピラは迷った。


 迷った結果、マルテレスが馬に飛び乗る瞬間には

「ああ。勝ってこい」

 と友を信じる決断を下す。


「任せろ」


 マルテレスも言って、空に向かって剣を抜いた。



「エスピラの信奉する運命の女神は機を逃すと怒るらしいが、機を逸さない者は愛すらしい。そして、俺の信奉する太陽の神の加護か、今、太陽が燦燦と輝き始めた。


 時は今だ!


 さあ、行くぞ! ついて来い!」



 マルテレスを先頭にアレッシア精鋭騎兵二百、武勇を誇る猛者二百の計四百の槌部隊が槍のごとく突き出された。続くは投擲に向かず重装も用意できていない数だけの傭兵軍団。


「歩兵第二列前進。第一列と交代せよ。第三列も前進準備!」


 槌と金床戦術とは、簡単に言うと槌となる部隊で敵の一角を破壊し、後ろに回る。他の部隊は敵の正面で敵を抑える。この抑えた部隊を金床に見立て、後ろに敵の後ろに回った部隊で挟んで叩き潰していく戦術だ。

 エリポスの密集陣形ファランクスを最大限活かすための戦術であるとも言える。


 欠点は敵の圧力に屈しない屈強な兵と、敵を打ち破れる精兵。そして敵部隊の弱点をいち早く発見し、その隙を逃さない指揮官の戦術眼が必要だと言うこと。


 屈強な兵はアレッシア重装歩兵三千六百だ。精兵は前哨戦で勝ち続けた兵だ。戦術眼は、マルテレスを信じるのみ。


「歩兵第三列前進。全霊でもって敵を押しとどめろ」


 命じるとともに、エスピラも第三列に従って前に出た。

 盾を手に、味方と協力して敵の攻撃を防いで剣を突き刺す。


「青!」


 精神安定の青のオーラを使うように命じて、部隊の不安を一つ取り除く。重装歩兵の最前列は白と赤のオーラ使い。敵の鎧を破壊し、前線の小さな怪我は白が治す。


 エスピラはシニストラと位置を入れ替わりながら右側に目を向けた。


 赤は遠くからでも目立つ。その色が敵陣深くに入り込み、敵陣がほつれ始めていた。

 ややもするとそのほつれに勢いに乗っただけの傭兵軍団が入り込み、穴が広がる。同時に敵左翼の陣形が大きく乱れ始めたように見えた。


 敵の中でも青いオーラが散見されるが、到底全軍を落ち着けるには至らない。


 それどころか敵の縦深が厚くなった気がした。もちろん間はスカスカだ。一部の者たちの撤退準備にも見える。


「戦の神の抱擁は目の前だ! さあ、一歩踏み出そうじゃないか!」


 耐えるのが金床だが、逃がすつもりも無い。


 エスピラの声に応えるように、アレッシア兵が前進を始めた。

 泥中を渡るがごとく。ゆっくりと、着実にかき分け、地面を露わにし、ハフモニ軍を押し始める。一人、また一人と金稼ぎのために集まっている傭兵が逃げ出した。近くの者が逃げ出すと他の者も逃げたくなる。ハフモニのために命を懸ける者でも周りの者が居ないと弱気の虫が顔を覗かせる。


 結果、ハフモニ軍の崩壊が始まった。


 崩れた兵に殺到するのは勝ち馬に乗りたいアレッシアが雇った傭兵。徐々に徐々に坂を駆け下るように勢いに差が出て、ついには完全に潰走に至らせた。


 元気に敵を追撃していたハフモニ左翼騎兵は帰り道をアレッシア重装歩兵とアレッシア騎兵、留守居の兵に挟まれて壊滅。撤退しているハフモニ軍の歩兵も、槌部隊の追撃を受け、マルテレスに指揮官を討たれた。


 ハフモニ軍側の慰めとしては右翼騎兵だったフラシ騎兵が外側に居た傭兵を襲撃し、いくつか散らせたことだろうか。

 それでも大勢に影響を与えることは無く、脇腹に攻撃を受ける前にフラシ騎兵も撤退する。


 傭兵を先行させたエスピラは、偽装撤退ではないと判断すると夜を徹して敵の追撃を開始した。まずは傭兵を先行。アレッシア兵は休んだ後、訓練で培ったその機動力をもって追いつき、傭兵が休憩。


 陣地を攻める戦い、隘路での戦いを越えフラシ騎兵を中心に再度まとまったハフモニ軍は最早四千足らず。一万五千を超える兵で力任せに踏み潰すと、エスピラは瞬く間にハフモニを迎え入れた街を包囲したのだった。



「おめでとうございます」


 街を睨む天幕で、ティミド、スーペル、アルモニア、マルテレス、スクリッロら高官がエスピラに頭を下げた。


「皆が各々の仕事をしっかりと果たしたからつかみ取れた勝利だ。此処は、やりましたね、とでも言うべきでしょう」


 形式的な挨拶だろうとは思いつつも、エスピラはそう返す。

 シニストラはそれが気に入ったようで、小さく何度も満足げに頷いていた。


「攻城兵器は足りていないが、此処も力で落とすのか?」


 初戦で逃げ回っていたことが嫌だったのか。フラシ騎兵がまとめたハフモニ軍の最後の抵抗の時に最も暴れたスーペルが鼻息荒く言ってきた。


 名誉挽回にはまだ足りない、という意識だろうか。


「その必要はありません。降伏した者にはパンを、抵抗した者には剣をプレゼントしてきましたから。ハフモニ兵を捕らえた者には地位を、匿った者には縄をプレゼントするだけです。内通者が既に中に居りますので少し攻めれば門は開きましょう」


 バラバラに撤退する兵でも、カルド島からの帰りは船に乗る必要がある。


 ならば多くの者が船のある街に行くのは当然のこと。行き先が分かれば、先回りも容易である。


「それに、船も欲しいですからね。マフソレイオが支援物資をエクラートンまで運んでくれるそうですから。すぐに帰るには、船が一番でしょう? それと、カナロイアに送る手紙もできましたし」


 戦いの最中に届いた手紙を揺らし、そう言えばアレッシアからも手紙が届いていたなと、エスピラはシニストラに顔を向けた。


「はい」


 シニストラが眉を寄せたまま、手紙を取り出す。


 だが、すぐにはエスピラに渡してこない。

 手紙を見たまま、体から手が離れない。


「どうした?」


「いえ。今、よりも目の前の敵を撃滅してからの方がよろしいかと思いまして」

「悪い報告なら先に知りたい。それによって、打つ手もあるだろう?」


 エスピラは右手をシニストラの方に伸ばした。

 シニストラがさらに眉間に皺をよせ、顔を下げたがゆっくりとエスピラの方へ進みだす。


「メルアか?」


 また、男を誘ったのか。最近は子供ができて落ち着いたと思ったのに。


「いえ、その」


 珍しく歯切れの悪いシニストラからついに手紙を受け取ると、エスピラは中を見た。


 内容は敗報。北方戦線での二度目の敗北。


 そして


「タイリー様が、敗死された……?」


 アレッシア軍、全滅の知らせ。


「すみません!」


 耳をつんざくティミドの声に反応できないまま、ティミドが手紙を覗く位置に来る。


(馬鹿な)


 信じられない。理解できない。

 だが、手紙の下の印はアスピデアウス、それもエスピラの友サジェッツァ・アスピデアウスのもの。エスピラに嘘は吐かない男だ。手紙の上に書かれた印も元老院のもの。


 正式な報告である。


「十番目の月の十一日。まだ暗い内にアレッシア軍陣地に北方諸部族の一部からの攻撃がありました」


 使者の応対をしたシニストラが言葉を続ける。


「雪がちらつく中でしたが、これを追い返している内にハフモニ軍と遭遇。各自徐々に戦力を増やしていく遭遇戦になったそうです。ハフモニ軍の陣地は川を越えた先。戦況はアレッシア有利のまま一度落ち着くと、大雨になったと言うこともありタイリー様も陣に戻るように考えたと言います。


 ですが、アレッシア兵が川のこちら側にハフモニ軍が居るのを発見。冬の川を渡った後ならば有利なのはこちら。北方諸部族も蹴散らした後ならば今が好機。

 そう判断して攻撃に移ったのですが敵は崩れず、食事も満足に取れていないアレッシア兵に疲労が見え始めた頃に後ろから攻撃を受けてアレッシア軍は壊滅したとのこと。


 戦場に出られなかったペッレグリーノ様が兵を纏め、今は植民都市ビルングスに籠ってはおりますが、ハフモニ軍を止める力は無いとのことでした」


 文字が頭に入らないため、エスピラは紙をティミドに渡すように動かした。


 ティミドが受け取ったように一度エスピラの手から離れるが、すぐに机の上に落ちてくる。


「そうか」


 何か言わなくてはと思うものの、短く言うのが精いっぱい。


「他には、なんと書かれておりましたか?」


 アルモニアがシニストラに質問する。


「集めた兵は北方に送る必要が出てきたためこちらには何も送れない、と。それから、エスピラ様の臨時の軍事命令権を正式なものと認め、今年いっぱいのカルド島防衛任務を与える、とのことです。同時に諸都市への命令権、接収権、軍団内の人事権、他国との同盟、和議。戦争に必要なすべての権限を認めると。今より正式に、エスピラ様の軍団へと我が軍団は変わります」


「名前は出さないが、執政武官にされたってことか」

 マルテレスが呟く。


「執政武官とは何ですか?」

 シニストラが聞き返した。


「ちちうえ……」


 間が悪く、ティミドがエスピラの足元へと泣き崩れる。スーペルがティミドに一瞬視線を向けたものの、執政武官が気になるのか疑問に満ちた目をマルテレスに向けた。


(こんな時でも人間観察は出来るものだな)


 エスピラはエスピラで、どこか浮いているように感じつつ手紙に手を伸ばす。


「百年くらい前の制度で、執政文官と執政武官に分けて、戦争と政治を分けようとしてた時の役職です。昔のアレッシアが小さかった頃の話ですから。執政武官一人が率いる兵は五千人程度だったらしいですよ。一応、選挙が必要らしいんで、名前は出せないのでしょうけど。エスピラはまだ執政官選挙に出られる年齢じゃないし」


「何故、その制度のことを」

 シニストラが聞く。


「いや、護民官になる時にサジェッツァに叩き込まれた歴史の中にあって。じゃあサジェッツァが色々やってんならエスピラをそうしてもおかしくはないかなって思ってさ。

 兎も角、俺らがやれることはここを守ること。南からハフモニを入れないことだろ?

 なあ、エスピラ。どうする?」


 マルテレスの顔は名前を呼ぶまでエスピラを見ていなかったが、声はきっとエスピラに全て投げていたのだろう。


 友の声に引きずり降ろされるように地面の感触を足に感じて、エスピラは椅子から立ち上がった。


 マルテレスと目を合わせ、最近の日課のように不敵な顔を作り上げる。


「向こうが北で華麗な勝利を挙げたなら、こっちは南からさっさとご退場願うだけだ。攻撃の準備を開始しろ」


「仰せのままに」

「それが命令ならば」

 アルモニアとスーペルが頭を垂れる。


「それから、アレッシアに了解の返事と此処までの戦局を書いて送る。その際、使者は市民に何かを聞かれた場合、胸をはってこう答えろ。


『勝って、勝って、勝った』と。


 精神力で勝る我が軍団でこうなのだ。市民には、分かりやすくこちらの大勝をお届けせねばならないだろ?」


 そして、全てを押しのけるようにエスピラは天幕の外に出た。


 スーペル、アルモニアと順番に高官も出てくる。

 百人隊長や見回りの兵も近くに寄ってきた。


「皆の者! アレッシアから敗報が届いた。

 ならば私たちがすることはただ一つ! 勝利の報でそれをかき消そうじゃないか」


 理解が及んでいなくても返答の咆哮はやってくる。


「良い返事だ。では、狩りを開始しよう」


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