最後の一段
「エスピラ様はいつ寝ているのですか?」
「? 夜、寝ているぞ」
訓練を終えたらしいイフェメラ・イロリウスがエスピラの天幕を訪れるなり起きた会話が先のものだ。
アレッシア軍はハフモニの上陸候補地を絞るために南部に降りて、敵対的な港町の一つを監視下に置いている。水もあり平地も広いこの地で調練を行っているのだ。
「傭兵と積極的に話し、百人隊長と意見を交換して同時にハフモニの行動を制限するべく各地への工作に動いていると聞いております。何か、手伝えることがあればなんでも言ってください」
父上のことが心配か、と言いかけて取りやめた。
合っていてもそうでなくても、否定の返事しか来ないし、合っていても違っていても聞かれて快くは思わないだろう。
「なら、イフェメラにも意見を聞くとしよう」
「いや、その前に簡単な仕事を押し付けて寝た方が良いんじゃないの?」
「十分に寝ている」
エスピラにその『簡単な仕事』の一部を押し付けられているマルテレスに、エスピラはすげなく返した。
シニストラはその『簡単な仕事』の一つであるカルド島内の有力な神官からありがたい話を至極真面目に聞くと言う仕事を押し付けられてここにはいない。
エスピラとしては運命の女神の加護さえ得られれば十分なのだ。次に欲するものとしては処女神の加護と豊穣神の加護。カルド島内の神は刺激しない程度に、かつ民衆からの支持を得られる程度に崇めておくだけである。
「話を戻そうか」
「はい」
イフェメラが姿勢を整えた。
「手に入れた情報ではハフモニは一万五千の兵を集めたらしい。ハフモニに近い諸都市や遠くはエリポスからも集めている。ハフモニ人は千から二千ほどじゃないかと言われているほど他国に頼った軍だ」
人のことは言えないか、とエスピラは心の中でこぼした。
「一方のこちらはカルド島で集めたカルド島出身の傭兵が多い。傭兵の都市国家が存在していたとはいえ、最早三十年前の話だ。前回のハフモニとの戦いでアレッシアがその悉くを潰し、新しい国家にした。傭兵としての個々の実力は劣るだろう。勝っているのは家族が懸かっているからこそ必死で戦うと言う点。まあ、アレッシアじゃなくても良いと思われているかも知れないがな」
カルド島の上層部の祖先を辿ればエリポス圏に行きつく。
カルド島に住んでいた人を軍事力で押さえつけての入植だったのだ。当然のことながら、彼らが使った傭兵の中にはそのまま残った者も多い。その子孫が各都市の防衛戦力となり、今回の傭兵となっている。
「数は上。覚悟も上。質は劣っている。では、私たちが取るべきは数の有利に任せてハフモニ軍の上陸阻止や上陸直後を狙うことか、それとも質をもっと良くし、傭兵たちの故郷が近い位置で戦うことでやる気を高めることか。どちらが良いと思う?」
「初陣の人に聞くことじゃないって言ってやっても良いぞ」
マルテレスが笑いながらイフェメラに投げた。
イフェメラが困った笑いをマルテレスに返しながら、エスピラの方へと意識を戻してくる。
「集めた傭兵を船に乗せる方が危ない気はします。それに、此処に居ることでハフモニの進軍経路を大きく制限できるのなら、わざわざ水際防衛を行わなくても良いと思いますが……。エスピラ様はどうお考えで?」
「最善の結果になるのは上陸を阻止して海上で叩くことだ。だが、勝利の確率を高めるためには引いて待つ方だと思っている。こちらからわざわざ都市の防衛に兵を割きはしないがハフモニ軍が内部へ進攻しようと思えばそうはいかないからな。数の優勢を高め、さらには敵地と言うことの警戒で敵の精神がすり減れば勝利の確率は上がるだろう?」
「ご尤もです」
イフェメラが頷いた。
「百人隊長と意見交換を良くしていたのは、この作戦を周知させるためですか?」
「意見を求めていたのもあるよ。彼らは歴戦の猛者だからね」
個人的な親交を深め、仮初の忠誠を本物に近づける意味合いもある。
「そうだ。一つ、頼みがあった」
イフェメラに任せられる仕事が思いついたエスピラは、急ではあるが話題を変えた。
「何でしょうか」
「傭兵たちのストレス発散と実力を見極めるのも兼ねて闘技大会を開こうと思っていてね。その場で、最初の小競り合いに強そうな者を見繕ってくれないか。同時に、どこの部隊が精強かもね。周りからどう見えるかを知りたいからでもあるから、気楽に受けてくれないか」
正式な決定な百人隊長の意見を参考にしていくからね、とエスピラは付け加えた。
イフェメラの生真面目な返事が返ってきて、エスピラは彼に詳細な話を渡す。先に全軍に周知してもらえるように。傭兵にやる気を与えるために。褒美はエスピラのポケットマネーから出すと付け加えて。
数日後、耳にしたらしいティミドが何か言いたげに「すみません」と言ってきたが、時すでに遅く。武勇自慢が参加した闘技大会は開かれた。娯楽の少ない陣中に於いて上限付きだが賭け事も認め、短期間で仕上げるために過酷になっていた訓練の良い息抜きとなったのだった。
その闘技大会の開催から九日。
エスピラの予想通りの経路を通ってハフモニ軍がカルド島に上陸した。
「歩兵一万に騎兵が五千。おそらく、カルド島に対して詳しくない者が大将だな」
と、マフソレイオから帰ってきたばかりのソルプレーサがハフモニ軍に探りを入れた結果を伝えてきた。
エスピラの天幕に居るのは騎兵隊長であるスーペル・タルキウスと副隊長のマルテレス。それからアルモニア、ティミド、ズベランと言った軍団補佐の面々。エクラートン騎兵を指揮するスクリッロ将軍とエスピラの護衛としてのシニストラだ。
「騎兵はフラシ騎兵か?」
スーペルが聞いた。
フラシ騎兵とはハフモニの西方、プラントゥムの南端から海峡を渡った先にある国の騎兵である。カタフラクトとは異なり、一撃離脱の投げ槍とかく乱に長けた軽装騎兵だ。
馬上で生活する者も居るくらいの民族であり、アレッシア騎兵の錬度とは比べ物にならない。アレッシア人からのフラシ人のイメージは馬上を自由に行き来し、思いのままに馬を動かし、馬の上で生涯を閉じられる民族なのだ。事実、そのイメージにたがわないほどに馬術が上手い。
「はい。数は二千ほど。おそらく、右翼に配置されるものと思われます」
エスピラは、ソルプレーサの報告を聞きながらスクリッロを見た。
こちらの左翼に配置されるのはスクリッロが率いるエクラートン騎兵三千である。実際に相対する彼の顔には懸念の色が交ざっていた。
(スクリッロ将軍は裏切りはしないな)
ただ、それは覚悟と兵の士気を心配してのものに見える。
「部隊を混ぜることはしたくない。だから、配置は変えない。アレッシア騎兵千が右翼、エクラートン騎兵三千が左翼だ。だが、動かなくて良い。馬に乗っていても槍を投げるのは人だ。こちらは軽装歩兵を隠し、石と槍を降らせてやろうじゃないか」
布陣が上手くいけばな、とエスピラは小声で付け加えた。
スクリッロが腰から頭を下げる。
「その心遣いだけで十分に士気を上げることができます。必ずや、フラシ騎兵を抑えて見せましょう」
スクリッロにはそう言うしか無いのだが。
「スーペル様。騎兵の数を八百以下まで減らし、敵左翼の三千を引き寄せて戦場を離脱することは出来ますか? 減らした二百名は決戦の前におきる小競り合いで積極的に導入したいのです」
「命令ならばやってみるが、期待しないでくれ」
シニストラがスーペルに厳しい目を向けた。
スーペルはどこ吹く風で受け流している。
「アレッシア兵の歩兵第一列と第二列を併せて横並びにし、傭兵たちと前線を交代し続けるための陣形の組み換えは、上手くいっているんだったな」
歩兵第一列、第二列と言うが、もちろん横並びに一直線ではない。今回で言えば、第一列が千二百人、第二列が千二百人、そして古参兵で構成されている第三列も千二百人。
アレッシア軍だけなら、この列を順に突入させて戦うことになる。
「はい。と言いましても、傭兵の中でも重装備を用意してきた五千名との間で、という話になりますが」
アルモニアがいつもよりやや小さな声で言った。
そもそもが一か月足らずで一万五千の烏合の衆を思い通りに動くまでに変えるなんてことが不可能なのだ。それについて、エスピラはとやかく言うつもりは無い。
「良い。最初の投石兵に多く割いて、三千ほどは陣地に残す。この兵も使って良いので、スーペル様は敵左翼騎兵が側面を突かないように動いてください」
「……了解です」
スーペルの返事に、エスピラは不安を拭えなかった。
だが、勝つためにはこちらが数でも質でも負けている敵騎兵をどうにかしないといけない。
時間を稼いでいる間に、敵歩兵の戦列を崩さないといけない。
エスピラは、その後も確認を取りながらどの傭兵をどこに配置しようと思っているのかなどの決戦に備えた布陣を高官たちに発表していった。




