順調な道のり
何事においても初めの一歩が重要である。
だからこそ、エスピラは最初の攻略目標を抵抗勢力とみられる都市の中でも三本の指に入る規模の都市に定めていた。
そこに多くの者を潜り込ませ、素早く開門の準備をさせる。本隊は道中にある小都市は無視をしてそこに急行する。潜り込むための二年に及ぶ下準備であり、急行するための行軍訓練だ。
その成果が遺憾なく発揮されたのか、街は二日で陥落した。
もちろん、行軍訓練や潜入、工作の成果だけではない。
街から見えるところ、とは言え出撃してきたら対応できる距離に瞬く間に強固な陣地を作成したのも敵の士気の低下に役立っただろう。
マルテレスやシニストラなどに着けた素早く動ける者達が小競り合いに勝ち続けたのも大きかっただろう。
何はともあれ、最初の一撃でアレッシア軍の精強さを印象付けることには成功した。
後は、宗教的に大事な都市を避けて落としていくだけ。
勝てば略奪するのは当たり前。人は奴隷に、金品は兵のボーナスになる。
瞬く間に陥落した報と、協力すれば略奪を受けないで済むと言う約束だけで工作の多くは成功するのだ。何せ、略奪を受けない、即ちすぐに寝返る者は略奪を受けて居なくなった者や、力を失う者たちに変わってその街を統治することになる。出世のチャンスにもなっているのだから。
こうして、内通によって城門を昼に、あるいは夜に開けさせる形でアレッシア軍は次々と敵対勢力を打ち倒していった。
手こずったのは宗教的に大事な都市。
兵が略奪を働けば一気に民衆が離れて行きかねないこの都市は、他の都市を攻め滅ぼし、あるいは降伏してきた者に寛容性を示すことによってじっくりとほぼ無血での開門をさせる必要があったのだ。
そして、これから手こずるのはアレッシアに良い感情を抱いていないながら素早く忠誠のポーズをとってきた都市。特に良港を保有する都市だ。
攻略の途中であることを考えれば、疑いだけで処罰するわけにはいかない。アレッシア軍を受け入れてもらうためにも下手なことは出来ない。
結果、七番目の月に始めたカルド島三万平方キロメートルでの衝突を主とする軍事行動は九番目の月の始めで終わったものの、ハフモニの警戒を続けなくてはならない状況には変わりなかった。
(まあ、敵対している都市に協力者を多く送り込めただけでも良しとしよう)
メルアの誕生日に届くように送った手紙の他に、念のために当日書いたとする手紙を完成させて、エスピラは一息ついた。手紙自体はソルプレーサが作った地図の下に隠して、仕事をしているように装って。
「終わったか?」
エスピラの天幕でだらけていたマルテレスが顔だけ向けてくる。
「終わったと言えば終わったが、終わっていないと言えば終わっていないな」
マルテレスが、うへえ、と顔を顰めた。
「仕方ないだろ。人質と捕虜の一部をアレッシアに送って、残りの捕虜はエクラートンなどの朋友に分け与える。一部はすぐに奴隷市場に送らねばならない。
同時並行で占領した都市の支配体系も作る必要があるからな。完全に奪った場所は街の協力者やエクラートンから人を引っ張って朋友にも旨味を与える。降伏した街は何か理由を見つけて既得権益者の力を削がないといけない。同時に略奪対象じゃなかった者へは印象を良くするために食糧や荒れた畑を直す手伝いをして、ハフモニも見張る。
戦闘、戦闘、戦闘の方が楽なくらいだ」
「後処理がその分面倒になるけど、ってやつか」
「まあな」
仕事はまだ山積みである。とは言え、一段落ついたのも事実。
エスピラは簡易的な机の下からリンゴ酒と杯を二つ取り出した。
揺らすように見せれば、マルテレスが良い笑みを浮かべる。いそいそと近づいてきて、マルテレスが杯を受け取った。エスピラが注ごうとすれば、「副官殿から先に注いでいただくわけにはいきません」と演技じみた笑いと共にリンゴ酒を取られる。そのまま、エスピラに注いでくれ、エスピラが返礼としてマルテレスに注ぐ。
「無事生き残れた神の寵愛に」
「神の寵愛に」
こつん、と杯を合わせてから二人はリンゴ酒に口をつけた。
「でも相当落ち着いたんだろ? 騎兵の連中もタイリー様の力もあるとはいえ凄いものだと言っていたぞ」
大小合わせて二十余都市。中には、先のハフモニとの戦争で最後までハフモニ側に残っていた都市も陥落させている。
戦果としては出来過ぎだ。
「まあ、ハフモニ本国の動きが鈍いのと以前のハフモニの強さを知らない世代やアレッシアで人質として育った世代が中核を担い始めている都市もあったからな。熟練の皆さんが思っているほど難儀な話では無いよ」
「ハフモニの動きが鈍いのは……」
「何もしていないさ。ただ単にいつもの仲間割れをしているだけ。危機感があれば処罰なんて持ち出さないが、まだない以上は一つの敗北で神の御許に行かざるを得なくなる。そんなんだから行動が遅くなっていると言うのもあると思っているよ」
物価はやっと上がり始め、武器を作る工房の光も長く灯るようになったとはハフモニにも行くマフソレイオの商人伝手で情報を得ている。とは言え、一か月ほどは出陣までにかかるだろう。
その一か月があれば、敵の上陸する都市を誘導することもできる。
『分断して統治せよ』。
その原則に従いつつ、不当な扱いを受ける都市があればそこがハフモニと結びつくのだから。
「エスピラ様」
天幕が開き、シニストラが入ってきた。マルテレスを見て彼の目が僅かに細くなる。
「スクリッロ将軍がお会いしたいとおっしゃっております」
「ああ、大丈夫だ。案内してもらっても良いかな」
「すぐそこまで来ております」
シニストラが体を避けると、元々灰色に近かった髪に白髪の混ざったスクリッロが見えた。
「夜分遅くに失礼します」
小さく頭を下げて、スクリッロが天幕に入ってくる。エスピラはハンドベルを鳴らして奴隷を招き入れると彼に追加の杯を頼んだ。奴隷が駆けていく。
「そこまで長居するつもりは無かったのですが」
とは言いつつも、奴隷を止めなかったあたり疑わしいところではある。
「何かございましたか?」
疑念は掘り下げずにエスピラは聞いた。
「各都市の人事は確定したと聞きましたので、お祝いを伝えるタイミングかと思っただけです。次々と我がエクラートンが手を出せなかった都市を陥落していく手腕。我が王も大層お喜びでした。これからもアレッシアと良き関係でありたいと皆の前で言ったそうです」
エクラートンが手を出せなかった、の部分は嘘だろう。皆の前でアレッシアとの関係について本当にそう言ったのかは不明だが、少なくとも使者には伝え、アレッシアの者にもそのように話すよう伝えたとは思っても良いはずだ。
「祝いを伝えるなら、私ではありませんよ。戦ったのは兵であり、工作をしたのも私の被庇護者を中心とした方々。そして、正しい決断を下した民。私はそうなれば良いなと思っていただけです」
「しかし、指揮を執ったのはエスピラ様です」
「いいえ。この軍の軍事命令権を持っているのはタイリー様。そこはお間違え無きように」
「あー」
スクリッロの目が横にずれ、すぐに戻ってきた。
「確かに、その通りではありますが。ええ。立案から実行にはエスピラ様も大きく関わっていると聞いたものですから。その昔、タイリー様が貴方を連れてきた時には孫ほど歳の離れた者だから後継者候補では無いだろうと思っていましたが、その認識を改めました。
見事な手腕です。何かあれば、エクラートンが必ず協力致します」
口を挟ませないとしたのか、先よりも僅かに間の詰まったしゃべり方であった。
なるほど。エクラートンが協力する、エクラートンが唾をつけると言う決断をし、伝えたいのであればそれも納得できる。
何せ、とっかかりの祝いの言葉で止まるわけにはいかないのだから。




