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開戦

 四番目の月の末にハフモニへと出発した使節が「マールバラによるピオリオーネ攻撃は不当で、先の戦争の折に結んだ条約違反である」として宣戦布告。その報を持って帰国したのは五番目の月の始めであった。


 もちろん、ハフモニの言い分は違う。「その後に結んだ条約ではトランジェロ山脈以西はハフモニの自由」が認められており、「条約を結んだ時の状態で切り取る」ことは合法である。つまり、ハフモニが守らねばならないのはピオリオーネとアレッシアが友好関係を築く前の条約であり、新たに友好を結んだ都市の処遇について取り決めてはいない。だからピオリオーネの攻撃に関してハフモニに何ら非は無い、とのことだ。


 その場では強引にオルニー島を奪い取ったようにピオリオーネにも出兵すれば良かっただろだの、野蛮なアレッシア人が良く約束を守れましたね、だのと言った喧嘩腰のやり取りが行われていたらしい。


 エスピラは、その実過激な友人がどこまでハフモニの人に怒ったのか気になりつつも尋ねる暇もなく。

 長女ユリアンナの生誕日を祝ってすぐにタイリーに付き従ってカルド島へ向けて南下を始めたのだった。


 日数にして三十二日。カラッと乾いた暑い日差しの下をひたすらさらに温かい南方へ。


 逃げ出す者も無く規律正しい行軍を続けられたのは訓練の成果だとエスピラは信じたかったし、事実タイリーからは行軍中に度々お褒めの言葉を頂いた。


 カルド島へ渡る僅か数キロの海峡は増し増しで搭乗させるために用意した百艘を越える船とエクラートンからの迎えに来た三十艘に分乗して、ようやく任地にたどり着く。タイリーや一部の兵はエクラートンの船で一足先にエクラートンへ。そこで王やエスピラにとって顔の知らない顔なじみと宴会や交渉、確認を行っているはずである。


 顔の知らないのにどうして顔なじみなのか。

 それは、主に金や銀によってつながったからである。


(さて)


 カルド島に上陸後、合流予定地までタイリーの代わりに無事に進軍、そして待機させているエスピラは、先行させた被庇護者クリエンテスからの情報を自身の天幕でまとめ始めた。


「副官殿」


 情報をまとめ始めたところで、乱入者が乱暴にエスピラのことを呼んだ。


 顔を上げれば、軍団長としてタイリーの軍団内でエスピラに次ぐ権力を握っているオックパート・タルキウスが目に入る。後ろにはシニストラ。オックパートを睨むようにして立っている。


「あれでは風紀が乱れます」


「どれのことですか?」


 やや喧嘩腰の男に、エスピラは落ち着いた声で返した。

 オックパートの表情に変化はない。


「兵の服装のことです」


 なるほど、とエスピラは小さく頷いてみせた。


「そのことなら既に何度か説明したと思いますが、この暑さの中で熱のこもる鎧をずっと着ていろとおっしゃるのですか? 緑のオーラは病には聞きますが、太陽にやられた者を回復させることはできません。此処は、アレッシアよりもずっと暑いのです」

「今、敵に襲われたらどうする?」


 オックパートが一歩踏み出したが、シニストラに睨まれたからか足を止めた。

 エスピラは形だけシニストラを抑えて、オックパートに穏やかな視線を送る。


「風習を考えれば可能性は低いですが、念のために軽装歩兵と軽装騎兵を哨戒に出しております。彼らの代わりに重装歩兵が陣地作成の大部分を担っていますので不満もある程度抑えられるでしょう」


 戦争は殺し合いとは言え、ある程度の規則、というよりも暗黙的に避けていることがあらはある。

 それは、例えば雪の積もり場所では基本的に冬は戦いを起こさず、逆に外にいるだけで汗が止まらなくなるような場所では夏に戦いが起こることはほとんどない。


 どちらも、軍隊を動かすだけで犠牲者が出かねないからだ。


「だからと言って半裸になり、川の水を陣地に引き込んで浴びる者が居るか?」


「人気ですよ。哨戒任務が終わった者にとっては特に」

「第一、タイリー様は副官殿に全権を預けると言ったはずだ。聞けば、攻撃計画も副官殿が大方組み立てたと聞く。ならばなぜ動かさない。アレッシア軍が来たことは敵対勢力も知っている。防備を固められる前に叩くべきだ!」


「良く御存知ではありませんか」

「なら!」


 エスピラはオックパートに右手を見せて鷹揚に横に振った。


「私が言ったのは、今、軍団の全権は私が握っていることを、ですよ。残念ながら私は若輩者。侮られることも多いでしょう。補佐として忠告に来てくれているオックパート様が先ほどから諭すような口調ではなく怒鳴るようにおっしゃっているのもその一つ。この状態で、指揮を執れと? それは、軍団を分裂させかねないことでは無いでしょうか」


 オックパートの眉間に皺が寄った。その皺が、ひくひくと動く。


 その状態でも言い返してこないのは、エスピラの言い分も正しいと理解しているからだろう。理解する冷静さが残っている証だろう。


「オックパート様。この暑さです。苛立つのも分かりますし、その上経験の少ない若造が上で悠々と座っていれば貴方ほどの憂国の士ならば焦りもするでしょう。貴方ほど理性的な判断を下せる優秀な人物でそれなのです。私などは責任の重さに肝を冷やしているため体を冷やさずとも落ち着いているように見せることは出来ますが、オックパート様は逆に兵に混じって英気を養ってみてはいかがでしょうか。


 水を浴びることがどれだけ兵を癒すのか。軍団としても飲み水の消費を減らせるのか。是非、実感していただきたいのです。


 私は皆に支えてもらえなければ何もできない若輩者。ですから、オックパート様が頼りなのです。そのオックパート様がいつもの判断ができないのは、アレッシアにとって大きな損失。貴方様がこの調子ならば、私は誰を頼りにすればよいのでしょうか」


 オックパートが口を閉じたまま数度動かし、それから完全に動きを止めた。


「お邪魔しました」


 そう言って、少し乱雑に、それでも入ってきた時よりはマシな動作で天幕を出ていく。

 シニストラがオックパートが出ていった先を思いっきり睨んだ。その動作にエスピラは笑みを浮かべ、窘めたりはしない。


 気持ちは分かるのだ。

 もう何人目だよ、とも思う。


 そんな風に呆れていれば、また天幕の入口が翻った。シニストラが警戒態勢に戻る。が、すぐに緩んだ。


 入ってきたのはソルプレーサ。

 エスピラより年上の、エスピラが望んで自身の被庇護者にした男だ。


「聞こえてしまったのですが、ええ、少し笑いをこらえるのに大変でしたよ。エスピラ様のどこがオックパート様を頼りにして?」


 聞こえてしまった、とは言うが、余程耳を澄ませないと聞こえないはずである。


 そのことでかシニストラが剣呑な目をソルプレーサに向けたが、エスピラは今度は「良い」と言葉でやめさせた。


「頼りにしているとも。残念ながら、まだ私では軍団、特に騎兵がまとまらないからね」


 マルテレスが左翼騎兵の副隊長、つまりエスピラが昨年になった位置に居る。


 とは言え、基本的に騎兵は金持ちの部隊だ。その中には貴族もおり、ウェラテヌスに敬意は持っているがエスピラは若輩者でなぜその地位に居ると思っている者も少なくない。


「ならば作戦をお伝えしてきましょうか?」

「それはやめておこう。大事な私の仲間が危険に晒される」


 エスピラは水で薄めたワインの入った牛の膀胱をソルプレーサに投げた。

 ソルプレーサがそれを受け取り、喉仏を何度も動かしてワインを飲む。


「で、その作戦ですが潜入はほとんどの都市で完了しました。まだのところは、攻める順序も後ろなので時間的にももう十分かと」

「上手くいったか」


 アレッシア軍が来たとなれば、もちろん反アレッシアや親ハフモニで知られている街は戦闘の準備を進める。麦を買い、武器を買い、人を集めて兵を組織するのだ。


 そうなれば、当然人の出入りは多くなり、街に忍び込ませることも容易になっていく。


 何のためにぐだぐだと待ち、すぐに戦えないような状態で滞陣していたのか。


 兵の士気を維持し、兵の疲労を考慮し、暑さに備えることももちろんある。

 タイリーを待っていると言うことも、タイリーが連れてくるエクラートンからの支援物資を待っているのも事実だ。


 だが、相手に戦闘の準備をさせつつも警戒を薄れさせるのもまた目的の一つなのである。


 緩んでいる。防御にしか警戒していない。攻める気が無い。

 ならば今すぐ物資をたくさん集め、防備を固めよう。そっちに意識を集中させるためだ。


「予定通りに進みそうならそれに越したことは無い。一度ひとたび会戦になってしまっては何が起こっても不思議では無いからな」

「全く以って同意ですね。まあ、勝手にエスピラ様が計画の土台を立てたことを流したのは謝っておきますが」


 とは言うものの、ソルプレーサに全く謝っているような雰囲気はない。


「嘘つけ」


 エスピラが言えば、シニストラは何もソルプレーサに言うことは無かった。

 代わりに、天幕にまた一つ影ができる。


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