戦争への最後の扉
金の大皿を持ってまだ少女である巫女二人が下がる。
二人が下がり切ったのを見て、木っ端を携えた巫女がシジェロの横に立った。シジェロが礼を言ってから木っ端を掴み、炎へ投げ入れる。
先にタイリーが占って欲しいと伝えたことはハフモニとの戦いについて。
日の吉兆は来る前に占っており、今回は神への挨拶と加護を頼むことがメインでもあった。
もちろん、国を挙げての本格的なモノはタイリーとエスピラでは無く、タイリーとペッレグリーノと言う二人の執政官が揃った時に行う。
その場に副官が居ることもあるが、軍団長が居ることの方が多い。特に、今回は二人の執政官に合計四個軍団。指揮官ともなる執政官が軍団長を兼ねることもあるが、確実にもう一人ずつは両方面軍に軍団長が居るのである。
タイリーの軍はオックパート・タルキウス。
老齢の父に代わり、タルキウス一門の長を実質的に担っている五十四歳の男だ。
エスピラとしてはオックパートの父親はもう引退したような者だと思っているが、どうやらどうしても気に食わないことがあると暴れて撤回させようと試みているらしい。
オックパートを軍団長にすることを約束するよりも、その父親に引退をさせた方がタルキウスにとってもアレッシアにとっても良い取引だったのではないかとは思うが、言うことは無い。エスピラとて、どちらが現実的かは分かっている。
「出ました」
シジェロの言葉を耳にし、エスピラの意識が今に戻ってきた。
「消えにくい炎でも、雷雨に消されてしまうことがある。ただ、消すほどの雷雨からでも炎を守る手段は幾つかあり、新しい薪をくべれば炎は復活する」
(雷雨)
「雷雨、いや、暗雲だったか。確か、ハフモニの者をそう指示していたことがあったな」
エスピラの心の中の呟きを聞いていたかのようなタイミングでタイリーが口を開いた。
「ええ。三年半ほど前の話ですね。ハフモニの者、というよりはハフモニの手の中のプラントゥムの者が多くはありましたが」
エスピラが処女神の神官になっていた時の話だ。
「雷雨に関しても先手を打ち対策をすれば炎は守られる。新しい薪が新しい人材と言う意味ならば君を始め、君が推薦した人もいる。ただ、激戦区はペッレグリーノの方面だったか」
素早く神の意図を解析したのか、タイリーが表情を一切変えず口だけを動かした。
「マールバラが独立を試みていないのであればどのみち本国を攻めれば撤退するのではないでしょうか」
「どちらが早いか、だな。ピオリオーネを落とすのにやけに時間がかかっていたから私と君はプラントゥムの若者の脅威を低く見積もったが、上げといた方が良いかも知れないな」
「こちらが先にトランジェロ山脈にたどり着けなければ、何としてもマールバラに山越えをさせなければなりませんね」
トランジェロ山脈はプラントゥムへ陸地沿いに行く時にほぼ必ずと言って良いほど通らねばならない山脈だ。アレッシアの北部にある山とは異なり、まだ通りやすいが防御には適している。そこに住んでいる部族的にも軍事行動のとりやすい山だ。
「雷雨は山脈で止まる、弱まるとも言うからな」
タイリーが同意を示した。
タイリーの意識がシジェロに向いたことがエスピラにも伝わってくる。
「出陣の吉日は?」
「一番良い日はタイリー様は五番目の月の二十九日。ペッレグリーノ様は五番目の月の一日です」
「二十八日も差をつけるのは厳しいな」
タイリーが眉を顰めたのが声から分かった。
訓練の日程的にも、五番目の月の一日に出陣では任地に着くまでに兵が疲れ切る恐れがある。できないわけでは無いが、厳しいからできれば避けて欲しい。
「揃いの吉日は五番目の月の二十一日です。ですが、その日ですらやや陰りが私には見えました」
「シジェロ様には、と言うことは他の方には」
「見えていない、とおっしゃっておりますので、私の勘違いかもしれません。一応、吉日として出た日ではありますから」
なるほど、と思いはしたが、エスピラは避けるべきだとは思った。
その意味を込めて、今度はシジェロに無言で意思を伝える。
「吉日のままズレを少なくするのであればタイリー様を五番目の月の二十一日。ペッレグリーノ様は一日から離れて行くほど運勢が落ちていきますので二十一日までに、と言うことになると思います」
「それは、ペッレグリーノの運勢が落ちるのか、それとも北方へ行くのが悪いのか。どちらだ?」
タイリーが重い声を出した。
シジェロがゆっくりと瞬きしてから口を開く。
「北へ向かうこと自体良くはありません。ですが、行くのならば早い方が良いでしょう」
タイリーが小さく頷いて、エスピラを見てきた。
「ルキウスを五番目の月の一日にオルニー島へ向けて出発させる。間に合うか?」
「ルキウス様の軍団はディティキ攻略戦の兵が中核を担っております。漕ぎ手の手配は済んでおりますので、すぐにでも招集をかければ一月で出撃が可能になるかと」
タイリーの顔がシジェロへ行く。
「北へ向かう一団は一日に出す。私とペッレグリーノの両執政官は二十一日に出陣しよう。それまでの間、運勢が上向くように頼むぞ」
「かしこまりました」
シジェロともう一人の巫女が恭しく頭を下げた。
それから常駐神官にも挨拶をして、タイリーが神殿を出ていく。エスピラはタイリーを見送り、神殿に戻った。
出陣の日が決まったからこその打ち合わせがあるのだ。
処女神と豊穣神に報告し、アレッシアへの加護を求める儀式を開かねばならないのだ。
その話し合いを詰めるのもまた、副官たるエスピラに与えられた仕事である。もう一人の、ペッレグリーノ側の副官でも良かったのだが、処女神の神殿とも仲が良く豊穣神に供物を捧げている闘技場の運営にも携わっているのはエスピラだ。
同じ役職なら、エスピラ以上の適任はいないと言えよう。
「エスピラ様」
最初の部屋に戻り、ペリースで左半身を隠しているとシジェロがやってきた。
「先ほどはお疲れさまでした」
エスピラが慇懃に頭を下げると、シジェロも流麗な仕草でお辞儀を返してくる。
「こちらこそ、お忙しい中あれだけのためにわざわざ時間を作っていただきありがとうございます」
「神へのお伺いほど大事な用事はございませんよ」
そうとも言いますね、とシジェロが笑った。
エスピラも、一応笑みだけは返しておく。
「神官様の準備が整いましたか?」
「はい。元々、五番目の月の二十一日は想定していた日でもありますので、そう時間はかけずに話はまとまると思います」
だろうな、とエスピラは思った。
シジェロが二番目に提示した日なのだ。選ぶことを想定して準備していてもおかしくはない。
「早く終わるならそれに越したことはありませんね」
冗談めかして肩をすくめ、エスピラは扉へと向かった。
「そうですね。それに、二十一日ならばユリアンナ様の生誕日も祝うことができますし、エスピラ様にとって良いことづくめ、でしょうか」
エスピラは足を止めかけたが、長女ユリアンナの生まれた日を隠しているわけでは無いので知っていてもおかしくは無いと思いなおした。
「ですが、残念な報告もありまして。ウェラテヌスに命が増える日、エスピラ様はアレッシアから離れた場所に居ると出ておりましたので、その、またメルア様の出産には立ち会えないかと」
今度こそ足が止まった。
懐妊の話はエスピラもまだ聞いていない。
「申し訳ございません。個人的に占った時に見えてしまっただけで、他意はありませんでした。それと、神官様がお待ちですので、気になることがあるならば歩きながらでも話しませんか?」
その言葉は流石に断って。
エスピラは、シジェロを置いて常駐神官の元へと歩いて行った。




