副官として
「いえ、すみません。父上からはエスピラ様が名誉にならない手段も取るとは聞いていたのですが、軍団を減らすようなリスクを取ってまでするべきことなのかと思ってしまいまして。数を集めて真正面から叩き潰すのが最も確実なやり方です。それを、捨てかねない行動はちょっとと思いまして……。本当にすみません」
エスピラは、ティミドに対して一度頷いた。
「ええ。私もそれが最も確実な勝利の修め方だと思います。相手よりも多い数で正面から叩き潰す。結局、一対一よりも二対一、三対一と数が増えた方が勝利は近づきますから」
少数で多数に勝つようなやり方の方が後世には多く伝わるものである。
だが、普通に考えてそんなものがそう簡単にできるものでは無いのだ。
できる場合は、例えば北方諸部族のように規律のほとんどない、個人の武勇に頼る群衆とアレッシアのように統率の取れた軍団の戦いなどの実力差がある場合がほとんど。
ただ一人の天才が居たとしても、天才の指示が千や万の民衆にすぐに伝わるわけが無い。しかも、戦場は目の前に恐怖があるのだ。パニックになりやすい状態で、最初から精神的負荷が大きくなる数的劣勢は余計に意思の伝達が難しくなる。
だから、数を揃え、部分的な劣勢に陥っても踏みとどまれるだけの精神力を持った者を百人隊長として八十人ごとに置いて起き、誰もが指揮官の意図が分かるように真っ直ぐ叩き潰すのが最も堅実な勝ち方だとはエスピラも思っている。
「まあ、会戦で勝っているのに全体的には押されている、などと言うことにならないためにですよ。特に来年にはタイリー様は前執政官としてハフモニ本国を攻めるおつもりならば、相手との地の利の差を埋める必要がありますから」
エスピラがまだ小さい時に終わったハフモニとの戦争では、序盤は陸地での戦いに勝っているのに頻繁にハフモニ軍を見失い、決定的な打撃を与えることができなかったのだ。
そうしている内に海戦でも苦戦し、国が疲弊した。しかも、海戦ではほぼ必ずと言って良いほどアレッシアに戦場の選択権が無かったのである。
その経験は、最終盤に初陣を果たしたティミドも良く分かっているはずだ。
ハフモニのような『国家』と戦う場合は、ただ数を揃えるだけでは駄目だと。みみっちいと思おうと、隠れてでも情報を集める必要があると言うことを。
「そう言うモノですか?」
「船団も用意しているのでしょう? タイリー様もその気だと思いますよ」
エスピラは立ち上がり、書斎の棚を見回した。
当時は価値を正確に理解できたわけでは無いため、父祖が集めてきた書物はほぼ全て売らずにとってある。そして、その全てをエスピラは頭に入れているわけでは無いが、どこに入れたかの大体の位置は覚えているのだ。
(見つけた)
手を伸ばし、パピルス紙で補修されている羊皮紙を棚から抜き取る。
あまり探してまで見せるような情報が載っているわけでは無いが、ウェラテヌスの邸宅にある広い範囲の地図はこれだけなのだ。
その地図を、ティミドの前に置く。
「ピオリオーネの攻略にマールバラは五万もの大軍を動員したと聞いております」
エスピラは、アレッシアからは山脈を二つ越えた先の地。海路では北側の中継地オルニー島をかすめるように北西に伸ばした先を指さした。
「攻略にかかった期間は六か月。確かに冬を挟んではおりますが、それだけの時間を掛けていながらもハフモニ本国で物価の上昇も無く、国を挙げての小麦の買い取り、武器の製造もありませんでした。信頼かどうかは分かりませんが、今度の戦いでも最初の主力はプラントゥムの方でしょう」
ティミドが同意を示すようにうなずいた。
「海路か陸路かは分かりませんが、きっとアレッシアには五万以上の大軍を率いて入ろうとすると思います。そうなれば当然移動速度は落ちますし、海路でも中継なくしてアレッシアに入ろうとはしないと思います」
嵐に合う。不意に何かにぶつかる。はぐれる。
そんなことがあれば、船に乗っている兵は全て海の女神の胸に抱かれてしまうのだ。
良港を漁り、食糧を奪い取り、ゆっくりと近づいてくるべきである。
「となればこちらが押さえるべきはオルニー島」
エスピラはオルニー島を指さした。
此処にはルキウスらディティキ攻略戦の兵を中心に八千余りの兵と五十艘の船が配備される予定である。
「クルムクシュ」
こちらはエリポス系の移民で形成された、アレッシアの朋友である。
良港に被さるような国土を持っていて、反対側の守りを山脈に任せている都市だ。北西と南南東だけが平地で、プラントゥム方面とアレッシアを繋ぐような位置にある。
「この二つになります」
「すみません。他の小さな島々にと言う可能性もあるとは思いますが」
「それはそれで構いませんよ。分割してしか兵を置けないので、良港を二つ押さえているこちらが相手より多い数を素早く展開できますから」
地図上に諸島は描かれていないが、このあたりだろうと言うところにエスピラは指で円を描いた。
「どのみち、プラントゥムの軍団を抑え込むには相手の位置を先に把握しておいた方が明らかに有利になります。相手の方が数で有利でも、こちらが有利な地点で防衛できれば良し。相手が山越えをして半島に入ってくる決断をしたのなら、なお良しでしょう」
「山越え、しますかねぇ……」
ティミドが眉を寄せた。
七番目の月から一周して四番目の月や五番目の月まで白くなっている場所もある山脈なのだ。エスピラが逆の立場だったら、間違いなく選択しないルートである。
「してくれればありがたい、というだけですよ。輸送は滞り、相手を攻撃しないと生きていけない部族が邪魔をする。しかも悪路が多い上に作物もほとんどありませんから。
兵は弱り馬や戦象はどんどん死ぬ。攻城兵器の多くは破棄せざるを得なくなり、逃亡兵も相次ぐでしょう。半分以下。下手に戦象を養い続ければもっと減るかも知れません。
どのみち、それだけ弱った兵にペッレグリーノ様ほどの戦上手が率いる軍団が当たれば勝率は非常に高いでしょう。どこに降りるのかさえ情報を収集できればですがね」
襲われても所詮は山の中の部族。
国家として軍の体系ができているハフモニならば踏破できる可能性は高いとエスピラは思っているのである。
つまり、
「越えなかった場合は、クルムクシュでペッレグリーノ様が防衛しつつ、叔父上がマールバラの背後やプラントゥムを襲う。その間に父上はハフモニ本国を突いて、マールバラが呼び戻されればペッレグリーノ様の軍団がプラントゥムを荒し、叔父上が道を妨害する、と。
あ、すみません。勝手に言ってしまって、本当にすみません」
「構いませんよ。その通りですから」
ただ、とエスピラはティミドに近づいて声を落とした。
「この作戦が上手くいくかは連絡役の腕。相手から上手く隠れて素早く軍団間の情報を共有できるかにあります。非常に重要な役目だとは思いませんか?」
ティミドが目を泳がせて、小さく何度も頷いた。
「はい。思います。すみません」
「そこまで謝られると、逆に困るのですが」
「すみません」
エスピラは、この十歳上の義兄の対処に困り、場を埋めるように地図を畳んた。
心持ちゆっくりとした動作で棚に地図を戻していると、ティミドの方から衣擦れの音が聞こえ始める。
速度は変えず、丁寧にやっているかのようにあえて横の書物も取り出してからエスピラは地図をしまった。
「すみません。お邪魔しました」
「いえ、こちらこそご足労頂きありがとうございます」
エスピラはティミドの方を向いて、左手を胸に軽く当てる。
「ティミド様に神の御加護があらんことを」
「エスピラ様とウェラテヌスに神の御加護があらんことを」
ティミドも小さくお辞儀をしてそう返してきた。
ティミドが書斎を出て、エスピラは続く。
出てすぐに、あ、と目を大きくしたマシディリと目が合った。奥では汚れた口を乳母に拭いてもらっているクイリッタが見える。
「ち、ちうえ。すみません。リンゴ、おいしかったです」
慌てたようにたどたどしい口を必死に動かしてマシディリが頭を下げた。
エスピラの口が思わず緩む。
「叔父上が居たからの特別だよ」
エスピラはしゃがんで、マシディリの頭をなでた。やわらかい髪がエスピラの手に合わせてふわふわと動く。
「ありがとうございます」
マシディリがティミドに言った。
クイリッタも乳母に促されて、兄の真似をしている。
「すみません。エスピラ様の判断だと言うのに」
「ティミド様のお心遣いですよ」
それ以上は何も言わせず、エスピラはマシディリを抱えた状態でティミドを見送った。
ティミドが消えてから、エスピラの好きな匂いが背後に現れる。
エスピラがマシディリの頭を固定する意味も込めて優しくマシディリの頭に右手を載せた瞬間、肩口に痛みが走り、左腕が強く握られた。
強く、とは言うが、元々の力がそこまで無いのでエスピラにとっては大きな問題にはならない程度だ。
「ねえ。妻を放置し続ける夫って、最低だと思うのだけど」
「マシディリは、分かる形で妻を大事にするんだよ」
言い返したいことは色々あったが、子供の前で言うわけにもいかず。
エスピラは、もう一度メルアに思いっきり噛みつかれたのだった。




