副官として
「シニストラ・アルグレヒトも、ですね。ですが、彼はどちらかと言うと私の傍に置いておきたいと思っております」
「シニストラ。そう言えば、マフソレイオへの使節以来仲が良いそうですね。何でも、闘技場の特等席にも案内したとか」
タイリーが建てた闘技場ではあるが、最近は専らエスピラが運営している。
と言っても、主催者や露店主、剣闘士の所有者との交渉を行っているだけで、細かい所は奴隷を雇い、適材適所を心掛けて仕事を割り振っているだけ。下手をすればエスピラが一切アレッシアに居なくても動かせるようになってきている。
「主催者がアルグレヒトの本流でしたから」
そんな中でエスピラが手配した闘技大会の一つがアルグレヒトの本流が行った葬式。故人に捧げる剣闘士大会である。
故人の意向でアルグレヒトに居る奴隷たちも特例で観覧を許され、彼らを楽しませる目的でいつもより派手な見た目の剣闘士が多かった大会だ。
「それは、ウェラテヌスがセルクラウス以上にアルグレヒトに近づく、という意味でしょうか……。いえ、すみません。余計なことを聞いて本当にすみません」
「メルアもティミド様もアルグレヒトからは等距離。当然、ティミド様のお子も、私の愛しい子供たちも、ですがね」
言って、エスピラはまたリンゴを食べた。
結局一口分しか減っていないティミドのリンゴを見て、エスピラは小さく首を傾ける。
ティミドが小さく頭を動かして、やけに大口でリンゴを口に入れた。薄く切ってあるはずなのに口が大きく膨らみ、不格好に動いてどんどんと皿からリンゴが消えていく。
「タヴォラド様から、何か?」
タイリー・セルクラウスの次男、タヴォラド・セルクラウス。
エスピラが思うに、タイリーの次にセルクラウスを背負うのはその男である。
「いえ、すみません」
短く素早く言って、ティミドが首を横に振った。
「何か?」
対照的に、エスピラはゆっくりともう一度聞く。
ティミドの目がハエも止まれるような速度で斜め下に逃げていった。同時に、体も縮こまっていく。
「決して、喧嘩を売るな、と。私は、その、人の気分を害することを言ってしまうことがありますので」
と言うより、セルクラウスの特徴だろう、とすらエスピラは思う。
長男トリアンフは尊大。三男コルドーニはそんな長男を守ろうとして敵を増やす。次女フィアバは一時実母パーヴィアをタイリーの第一婦人にしようとして暴れまわった。三女クロッチェは妹の夫を公然と愛人にしようとし、五男ティミドは下手に出ようとしているのか口が悪いのか良く分からない。四女メルアは知っての通り。
「なるほど」
子育てについてタイリー様に聞いてはいたが、参考にするのもほどほどにしよう、と。
長女プレシーモ次男タヴォラドと尊敬できる者も居るのだが、それだけでは無いのだから。
「話を戻しましょうか。もう一人、思い出しましたので」
どう言ったのかは分からないが、タヴォラドの中でエスピラの方がティミドよりも高官に向いていると判断されたのならば、それを利用させてもらうだけである。
「もう一人?」
「イフェメラ・イロリウス。確か、来年が十七、初陣の歳ですよね」
「すみません、それは」
ティミドの言葉を、また左手を広げることで封じた。
「本人が望むのなら、です。約束したとはいえ、状況も違いますし、もう二年前の話です。『気が変わっていないのであれば』、私はお待ちしておりますとペッレグリーノ様にでもお伝えください」
イフェメラとの約束があったのは事実である。
と言っても、カリヨの婚姻話のごたごたがあったタイミングであり、その時はまだ自分の父親が執政官になるとは思っていなかったかもしれない。思っていたとしても、若さゆえの勢いと言うこともある。
「……私を、試しておいでで?」
メモを取る手が徐々に遅くなり、完全に止まるとティミドが顔を上げてそう言った。
「ティミド様に権利があるのですか?」
「すみません。無い、ですね。はい。ペッレグリーノ様の御子息については先に本人に確認をしてみます。何か、他に伝言はありますか?」
「イフェメラ様には何も。それと、この五人で私から推薦したい人は以上です。後は、私の被庇護者を中心に五十名の軍団に加えたい人の名簿を後でタイリー様にお渡しします」
「かしこまりました。お伝えしておきます」
ティミドが言った後、義兄の目が外の方へと行った。
「父上は既にある程度軍団の編成を終えているそうですので、名簿を後でお渡しします」
早いな、とは思うものの、準備する時間がたくさんあったのは知っている。
タイリーならば既に準備を終えていてもおかしくはない。
「骨組みが完成している、と言うことでしょうか」
「はい。召集はまだかけてはおりませんが、重装歩兵の名簿はほとんど完成しております」
エスピラは鼻から息を吐いた。
「かしこまりました」
この話がエスピラに来ると言うことは、招集した者の戸籍を確認するということである。
タイリーが率いるのは二個軍団。重装歩兵で言えば約一万六千。
無いとは思いたいが、絶対ないとは言い切れないのはペッレグリーノの軍団の名簿もあること。向こうは向こうの副官でやってくれとは思うが、戸籍を管理している神殿からすればいっぺんに来てくれと思っていることだろう。
「騎兵はどうですか?」
「すみません。それは、まだ……」
ティミドが頭を下げた。
ただ、アレッシアの騎兵は馬を養えるほどに裕福な家庭の者たちが構成する兵種である。
確認作業は比較的楽だ。代わりに、召集の時に思惑が絡んだりすると面倒くさくもなる。
「あと、その、どれくらいで出撃準備が整うのかの目算も聞きたいと、父上が。いえ、すみません。本当にすみません。帰ってきたばかりで色々と聞いてしまって」
「ティミド様に非はありませんよ」
お使いならむしろティミドが最も損をしている役回りだ。
それに、本来はエスピラがタイリーの元に行くものである。謝るべきであるならば、第一にエスピラが謝るべきであり、次にタイリーがティミドを労うべきである。
「目算も、既にある程度つけておりますから」
エスピラとてもう十五年以上タイリーの傍に居るのだ。
三年前から副官にする副官にすると言われていれば、ある程度の準備はしておくべきだと理解している。
「では、いつ頃に?」
「五番目の月には群衆を軍団に変えておきます。
一番目の月に諸作業が終わってから招集をかけることになるでしょう。新兵と経験の浅い者が集まるのが二番目の月。そこから五日間の訓練と一日の休みを五セット。そこで、装備を整えた状態で一日三十六キロ行軍できる状態に致しましょう。
三番目の月からは全ての兵を集結させます。ここからは実際の武器を使った、人の殺し方の訓練にはなりますが、走れない老兵が大きい顔をするのは許しません。この期間は四日間の訓練と一日の休み。これも五セット。
この後は二日休んでから、実際にアグリコーラまで五日間かけて南下、一日休んで六日かけてアレッシアに戻ってきます。この実地訓練を二回。もちろん、道中は山も通りますし、沼地も行きます。隊列も一通り経験してもらいましょう。
これが終われば六日間の休息の後、四日の訓練のち一日休んで、再度四日間訓練。
これで、軍団に変わると思いますし、二番目の月の一日から始めれば終わるのは丁度五番目の月の一日。何時でも出撃ができるかと」
要するに、ひたすら走る。基本隊形を全て頭に叩き込む。行軍中に位置が変わっても、指示されれば全軍を見た時に同じ隊形を取れるまで覚えさせる。と言うことである。
此処の武勇や剣技ではなく、隊形を整え、敵より走れ、敵より優位な位置を敵より速く奪取するための訓練だ。
「すみません、その、途中の六日間の休みとか、二日間の休みは無駄ではないでしょうか。アグリコーラの一日も、野営訓練だけですぐに返しては……? その」
おそるおそるとティミドが言葉を濁した。
「兵が逃げるかも知れない、と?」
ティミドが目を逸らしたまま小さく何度も頷いた。
「それも訓練ですよ」
エスピラは目の前からリンゴの入った皿をどけ、ティミドとの間に机以外何も挟まない状態にする。
「逃げようとすれば逃げられるように見えるでしょう。ですが、そこで誘惑に打ち勝つからこそ心が鍛え上げられる。アレッシア国民の鉄の心を、より硬く、神の寵愛を受けるにふさわしい鋼の軍団に変えられるのです。それに、逃げた者を見つけるのも訓練ですから」
主に、エスピラの被庇護者たちの、情報を収集するための部隊の。
そのために、あまり土地勘のないアグリコーラでも休息を設けたのだ。
エスピラが幼少の頃より培ってきた技術の一部を実際の妹の婚約者探し、婚約者の情報集めで利用させる。そこで向いていると思った者をマルテレスの護民官時代に情報収集として不特定多数から有用な情報を取る訓練をさせた。実際に利用できる情報を得たりもした。
今年の夏のメントレーが率いた北方諸部族との戦いでは、実際の戦場で動いてもらったのである。
残りは、エスピラの指示が無くともエスピラが望む情報を得られるか。アレッシアのためになる行動をしてくれるかの確認だけ。
「そこは、鍛える必要があるのですか?」
エスピラにとってはおおむね計画通りに諜報機関の育成が進んでいるのだが、そのことに水を差すようにぽつり、とティミドが呟いた。




