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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十六章
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炎を囲う煉瓦のように

「その高評価は怖いなあ」

 と、パラティゾが苦笑いを浮かべた。


 マシディリの昨年の任地を見て回り、理に適った言葉で高評価をつけてくれているのに自分自身への評価に対してそう言ったのである。


「エスピラ様では無いからね。期待値は低くしてくれないと越えられないよ」


 パラティゾが笑いながら粘土板の一枚に自身の指輪の印を押した。聞いているかもしれないけど、とパラティゾが机の上を片付けながら会話を続けてくる。


「エスピラ様と言えば、ディラドグマ跡地での行動はヌンツィオ様が弁明の手紙を送ったらしいよ。言葉は選んでいたけれど、要約すればエリポスを黙らせるためにはエスピラ様が必要であり、エスピラ様が軍権を握れるだけの柔軟さをアレッシアが持っているってね。

 何者かによってエリポス諸国家に内容が流れてヌンツィオ様への風当たりが強くなったらしいけど」


「何者か、ですか。アカンティオン同盟に流れた、と聞いておりますが」

「アスピデアウスはヌンツィオ様を更迭できませんよ」

「知っております。手紙が流出して得するのはメガロバシラスと」


 そこから先は言わずに、マシディリは口を閉じた。

 いや、宰相メンアートルは肝を冷やしているかもしれませんね、とだけ呟いておく。


「それだけの思考ができるのなら、十分すぎると思いますけどね」



 察してくれたのか。パラティゾが話題を変えてくる。


「私の行動ですが、べルティーナの言った通りアレッシアやアスピデアウスのために、では無くやりたいから、というのが一番だよ。ティベルディードもそうではありませんかね。サルトゥーラの子として、では無く、むしろサルトゥーラの子としては、と言われているような人ですし」


 でも、あの武勇は頼りになりますよね、とパラティゾがまた別の粘土板に印を押した。


「二代目の苦労だよね。何でも言ってよ。未熟だけど、一応先達で義兄だし。なんてね」

「いつも頼りにしております。クイリッタもそうですが、私の周りには達観した人が多くて。本当に助けられておりますよ」


 手を止めずに、パラティゾが笑った。


「私には父上やマシディリ様。クイリッタ君にもエスピラ様やマシディリ様が近くにいたからね。何でもできる、望めば到達する。そんな幻想が砕かれるのも早かっただけさ。いや、自分を見つめなおす機会が早くに訪れた、と言っておこうかな」


「そのようなことは」

「私はもう二十九だよ。エスピラ様はエリポスを抑えた勇者となってディファ・マルティーマに凱旋し、父上もハフモニとの外交使節として活躍しつつ元老院議員になっていた歳さ。でも、私は元老院議員でもなく軍団長補佐筆頭でもなく、軍団長補佐としてこまごまと働いている。もう憤りは感じないけどね。嫉妬は、うん。あるけども」


 マシディリは思わず閉口してしまった。


 父上の子として。

 マシディリは、非公式にではあるがマールバラと手合わせをする機会に恵まれた。

 最年少財務官にもなっているし、クイリッタの謹慎の軽減など家門のことも少しずつ権限を貰っている。


 パラティゾより、なんと恵まれたことなのだろうか。


 無論、それはマシディリの優秀さとウェラテヌスの人の少なさ、エスピラの我が子可愛さがあってのことでもあるのだが。



「兎も角!


 マシディリ様にもやりたいことがあるのなら、きっとエスピラ様も協力してくれるよ。

 軍団の者達を見ていてもそうだし、クイリッタ君にたくさんの師匠をつけている。ユリアンナさんには衣服も勉学も望むままに与えているように見えるしね。アグニッシモの乗馬ややんちゃ友達を作って自由にしていることも認めていると聞いておりますよ」


「やりたいこと」


 呟きがこぼれる。


「それが無ければ、長続きはしませんから。昔の私みたいに」


 いやあ、エスピラ様に噛みつくなんて。我ながらすごいことをしてしまったモノですよ。

 なんて、パラティゾが後頭部をかき、口角を上げながらも視線を下げた。


 そう言えば、あの後父上にパラティゾ様の対応を任せられましたね、とマシディリも思い出す。


 そう。パラティゾと仲良くなった最初の方のことを、今、思い出したのだ。


「パラティゾ様のやりたいことは何ですか?」


「まだわかりません」

「え?」


 思わず口から出た。

 出てから、失礼な言い方だったなとマシディリは後悔したが、パラティゾは全く気にしていなさそうである。それどころか、また少し気恥ずかしそうに頬を人差し指でかいている。


「でも、一つだけわかったことは別に自分の周りから何人何百人離れても構わないってことかな。そりゃ最初は怖かったけど、どこかで楽になれたんだ。

 私を正しく見てくれる人を。見ようとしてくれる人を取りこぼさずに済むようになった気がしてね」


(正しく見てくれる人)


 父上はどうだろうか。

 恐らく、そう多くはいない。パラティゾ様の理想通りにはなっていない。


 エスピラとサジェッツァは友なのだ。共に、それを認めているのだ。

 にもかかわらず、アレッシア内部の対立軸はこの二人なのである。


「偉そうなことを言ってごめんね。でも、今はとても楽しいんだ。充実している。

 アスピデアウスの後継者、では無くて『パラティゾ』として動けているからね。まあ、べルティーナは不満なんだろうけど。でも、今の自分を見て周りがアスピデアウスの後継者として推してくれる。そうなれば嬉しいなと思っているよ」


 妹の言う通り、恥じない立ち振る舞いだけは続けて行かないとだしね、とパラティゾが茶目っ気を出して胸を張った。


「どう見られているか、なんて分からないから。他人の目は鏡。どこかでそう思っている自分が映し出されているだけ。


 ああ、妹を否定している訳じゃないよ。


 アスピデアウスとして、建国五門として。アレッシアを支えるのは絶対の使命で、決して捨てはしない想いさ。

 でも、ウェラテヌスとは戦わない。それはアスピデアウスの使命では無いし、アスピデアウスの始祖が願った未来でも無いはずだ。何故五門も揃えたのか。常に二番手を維持し続けたアスピデアウスならば、排除しようと思えば他の五門を排除できる機会はあったはずだしね。


 私は、またマシディリ君に重い枷を背負わせてしまうようだけど、マシディリ様こそがアレッシアを導く炎だと思っているよ。それは私では無い。他の建国五門でもなれない。


 私は、ただ自分が誇れる自分になりたいだけ。その誇りにアスピデアウスの魂も入っている。


 なんて、ちょっとクサかったかな」


 パラティゾの手が、素早く動き始めた。

 少し大きな音を立てて粘土板を動かし、印を押す前に手を止め、確認してから押している。


「べルティーナの兄だと良く分かる、良い想いでした」


 マシディリは、落ち着いた穏やかな声を意識して返した。


「そうかな」

 と、少しだけ上ずった声が返ってくる。


 それからパラティゾの手が落ち着いた。

 いや、落ち着いたように見えるが、特に何もしていないところを見るに内面はさほど変わっていないのだろう。少しだけ余裕が出来て、取り繕うことができるようになった、というところか。


「ちなみに、マシディリ君は何がしたい?」


 義兄、あるいは友として聞いてきているのだろう。


「私は」


 だから、素直に応えようと思うものの出てくるのはアレッシアやウェラテヌスに関すること。


「全てを取り払って」


 そんな心を見透かしたかのように、パラティゾが手を置いてマシディリをしっかりと見てきたのだった。


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