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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十六章
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違法演説

「最後に、声をかけていきましょうか」


 スクトゥムから離れながら、エスピラは言った。


「演台の準備は出来ております」


 プラチドがすぐにやってきた。アルホールが「後は集めるだけですので、少々お待ちいただければ」と続けている。


「悪いね、助かるよ」


 微笑みかけてから、エスピラも移動する。


 規律の整った軍団は、すぐにでも集まり始めた。本当に少々の待ち時間で終わりそうである。


 昔鍛えた行軍を、隊列変化を今も徹底して続けているのだろう。

 そのことに満足感を覚えながら、エスピラは水を取り出して口にした。


 それから準備が整いましたの声を待ち、全軍に紫色のペリースを晒す。


 最早懐かしいとも思える視線だ。

 元老院での演説とも違う。結婚式で会っていた時ともまた違う。期待と、楽しみを感じられる、一種の娯楽を待っているかのような雰囲気だ。


 無論、ただ悦楽を得るだけの娯楽とは違う。戦場で活力とするための娯楽だ。


 その期待に満ち満ちた空気の中で、エスピラは口を開いた。


「まずは、またこうして君達と会えたことを嬉しく思う」


 集まるは注目。

 高まったのは静寂。


 その中でエスピラは笑みを隠し堂々たる様を見せつけた。


「君達一人一人と同じ戦場を駆けた訳では無いからその全てを此処で羅列することはできないが、その全てが例にもれず色あせることのない思い出だ」


 ただ、と哀しさと寂しさを綯い交ぜにした表情を浮かべ、声の調子も変える。



「残念ながら送り出してから会えないまま散った者達もいる。悲しいのは事実だ。覆しようが無い。しかし、それで終わらせず、私は彼らに敬意を表したいと思う。


 アレッシアのために戦い続け、アレッシアのためにと思いその命を使い切った者達だ。


 私のように上に立つ人間が本当に守るべき者達であり、我ら戦友の誇りだ。彼らのような友に出会えたことを、私は忘れることは無いだろう」



 今度は、内に、拳に握りしめた感情を爆発させる。



「犠牲になるのはいつも君達だ!


 私は、この戦争が無駄だとは思わない。メガロバシラスとはいずれ雌雄を決せなばならない時が来る。その時に、君達のような勇者が居た方がアレッシアの有利に働くのは確かだ。火の粉を振り払うためにも、火種を火事にさせないためにも戦いは必要だ。子々孫々のためにも、輝かしい未来のためにも。栄光のためにも繁栄のためにも必要だと思っている。


 アレッシアのために散った者達に、無駄な犠牲など存在しない。

 だが、犠牲が増えて嬉しい者もまた存在などしないはずだ。


 なるほど。戦場は神の御意思が介在する場所。そこで人智を以て犠牲を抑えようとすることはできないだろう。戦場での犠牲を必ず最小限に抑えることができるのなら、それは戦う前に相手の心を完全に折った時だけだ。


 我らの周りに、そのような者が居るか?


 マールバラ、アリオバルザネス、ハイダラ。

 必ず、彼らはそうなる前に民を焚きつけ、軍を立ち上げただろう。我らに攻撃してきただろう。敵にも勇者は居るのだ! 戦いは、必然である。


 しかし、犠牲者の数を減らすことは出来たはずだ。しなければならないはずだ。


 君達のような憂国の士こそがアレッシアの宝。真の勇者を守るのが私の役目。元老院の役目。


 君達に、そして散った者達の関係者に私を非難する権利は確かにある。だが、より良いアレッシアを作るという約束は、輝かしい未来を見せると言う約束は必ず守る。アレッシアに栄光をもたらし、祖国が永遠の繁栄に浴することを何度だって君達に誓おう。


 神々や父祖では無く、君達にこそ誓おう!


 だから、今は信じてくれ。

 命を懸けて戦い続けてくれ。


 アレッシアには、君達を頼りにしている者が居る。君達の戦いに心を躍らせ、時に案じ、何よりも勝利を願っている者が多くいるのだ。皆、君達に期待している」



 す、と息を吸う。


 朗々とした良く通る声のまま、声量を変えるつもりは無い。

 ならば何のためかと言えば、気合を入れなおすために他ならないだろう。



「誰のために戦っているのか。何のために戦っているのか。君達の勇姿を喜ぶのは誰か。


 それを忘れないで欲しい。

 君達は私の愛する友であり、私達が庇護すべきアレッシア人だ。


 誇りを胸に、神々に捧げられ、父祖に堂々と報告でき、未来に繋げられる。そんな生き様を、是非とも体現してほしい」



 ほんのわずかに速度を落とし、最後は完全に穏やかな声音に変えた。

 演説の終わりを告げるような声と、動作である。


 だが、兵は違った。

 姿勢を整え、期待に満ちた目をエスピラに向けている。解散させようとしたスクトゥムの足が思わず止まるほどのものだ。姿勢をピンと伸ばし、各々が息を腹に、胸に溜め込んでいる。


 スクトゥムの様子をしっかりと認めてから、プラチドとアルホールが一歩踏み出した。


「エスピラ様!」


 しかし、二人が制止する前に兵から声が飛ぶ。

 彼は、今回の戦役から十人隊長になった男だ。


「あの言葉を、締めの言葉を、是非!」

「お願いします!」


 別々の男から声が飛んでくる。

 示し合わせた訳では無いだろう。だが、声の発生地点にはそれなりに距離があり。

 兵も、ざわめかずに静かに、熱気を以て同意を示してきている。


「それは、問題になるなあ」

 と、エスピラはこぼして苦笑した。


 あの言葉は、軍事命令権保有者かそれに認められた者が発するべき言葉だ。戦場の言葉だ。

 ただの最高神祇官が言って良いモノでは無く、下手をすれば兵を扇動し軍団を乗っ取る反逆行為ととられかねない。


 ただ、それでも。


 彼らに応えないと言う選択肢は、エスピラには無かった。



 右手を、おもむろに上げる。

 全ての意識が、またエスピラに収束した。


「防衛戦は、非常に摩耗する戦いだ。しかも故郷とは言えないこの土地。君達の労苦は筆舌に尽くしがたいだろう。炎に手を突っ込み、毒を飲み干すようなものだろう。


 でも、君達ならできると私は信じている。


 怪物との苦しい戦いを乗り越え、多くの困難と艱難を歯を食いしばってよじ登ってきた者達だ。


 本当に、私の、そしてアレッシアの誇りだよ」



 すう、と大きく息を吸った。

 空気も一気に澄み渡る。


 高まった期待に向ける言葉は、ただ一つ。



「アレッシアに、栄光を!」


 大気を切り裂き、心に光を灯す言葉がエスピラから。


「祖国に、永遠の繁栄を!」


 大地を揺らし、遠くアレッシアにまで届かんばかりの返答が軍団から。

 そこからは、文字通り大地がめくり上がり跳ねあがらんばかりの歓声が上がり続ける。


 エスピラはその声に応えつつ、壇上を下りた。


「護衛をつけましょうか」


 盛り上がっている兵に紛れるように、静かにスクトゥムが聞いてきた。

 なるほど。演説の意図に気が付いたらしい。高評価を付けつつも、エスピラはスクトゥムに笑いかけた。


「必要ありませんよ。ドーリス人傭兵は名前でも売っておりますから。護衛対象に何かあれば、信用にかかわり価値に関わってしまう。まあ、あえてを起こしてアレッシアに敵対する、という可能性も零では無いですがね」


 その際は、メガロバシラス、マルハイマナ、ドーリスの大連立だ。

 当然、エリポス諸国家は誰もが無関心ではいられなくなる。


「そう言うことであれば」


 スクトゥムが言って、頭を深々と下げてきた。

 こっちの意図にも気が付いたらしい。エスピラは、流石はカリトンの子だと。優秀な者だとスクトゥムを再評価した。


「アリオバルザネスはどうするでしょうか」


 シニストラが常通りの声で聞いてくる。

 近くにいるのは他にはもうソルプレーサだけだ。


「そればかりは分からないな。

 でも、仮に私がアリオバルザネス将軍の立場で信用できる者がいるのなら、グライオをヌンツィオ様に当て、ディティキの攻囲は続けるよ」


「マルテレス様を使えるとしても、ですか」


 スクトゥムが聞いてくる。


「ええ。イフェメラでも、ですがね。この防衛線は抜くべきではありませんよ。エリポス諸国家が勝手に文句を言って、アレッシア軍の動きを止めてくれるのですから。猛将の類で使えるのはジャンパオロぐらいかもしれませんね」


 だからこそ、とエスピラは目を細めた。


「問題は、ディティキがいつまで保つか。結局のところディティキが落ちればアレッシアの士気は下がってしまいますから。しかも、あそこはアスピデアウスの影響下。私はちょっかいをかけられませんね」


 とは言え、メガロバシラスには敗北講和しか残されていない。

 犯罪者も動員したような攻撃を宰相メンアートルが認めたと言うことは、エスピラへの伝言だ。時間が無い、と。抑えられなくなると。


 即ち、勝利に向けて動き出しかねない。

 無駄な戦火の拡大が起こり得る。


 戦いを終わらせるのなら、今のうち。


(だが、今終わらせてしまえば)


 責任は、アリオバルザネスの身に。


 そもそも考えても仕方の無いことだ。

 今のエスピラには何の権限も無い。演説で炎を灯すことは出来ても、一兵も派遣できないのである。最高神祇官と言う仰々しい役職名で、神殿の力を削る仕込みをしつつ彼らに物資を与える。それぐらいである。


 外に対して仕込みも行っているが、この戦争に積極的な介入は出来ないのだ。


「追放生活にも飽きてきたな」

「エスピラ様が今考えるべきは、メルア様のご機嫌をどうやって直すのか、と言うことかと」


 冷徹なエスピラの呟きに、淡々とソルプレーサが返してきた。

 エスピラの顔に苦笑が広がる。雰囲気も、一気に変えた。


「その通りだな」


 メルアは、さぞかし怒っているだろうなあ、と。

 エスピラは愛しい妻を思い、空を見上げたのだった。


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