でもやはり実像は実像でしか無くて
綺麗なつるつるの泥団子。均整の取れた丸い泥団子。
その中にたまにある、歪な泥団子。少しぼこぼこで、でも頑張りが見て取れる泥団子だ。エスヴァンネからも微笑ましい空気を感じられる。
「泥団子もきれいにできるとは、流石ですね」
べルティーナちゃん、連れてきたよ! と妹が無邪気に言うので、マシディリはまずはべルティーナに話しかけた。
「違うよ。それは私が作ったの!」
しかし、褒めたのは違ったらしい。
フィチリタがふふんと胸を張っている。
それならば、とマシディリは手を動かした。
「それも私が作ったの!」
マシディリが動かした手の先の綺麗な団子も、フィチリタ産らしい。
「フィチリタもきれいに出来たんだね」
うーん、と小さくフィチリタが迷った。
「うん!」
それから、元気な返事が来る。
マシディリは、もしやと思い横目でべルティーナを覗った。べルティーナの背筋は綺麗に伸びている。顔はやや逸れ気味。髪の隙間から見える耳は、僅かに赤かった。
「あ!」
と、急にフィチリタが声をあげた。
マシディリの顔がフィチリタに戻る。そのフィチリタは、エスヴァンネの袖を掴んでいた。
「あとは若い二人でごゆっくり」
(そのような言葉は、どこで覚えてくるのでしょうか)
呆気に取られているマシディリを置いて、フィチリタがエスヴァンネを引っ張って去って行った。
エスヴァンネも少しの笑みのまま大人しく引っ張られて行っている。何しに呼ばれたのかは、良く分からなかった。
無言の時が、しばし流れる。
無風。匂いもいつも通り。少しだけ、土の匂いが強いか。
手持無沙汰ながら、どうしようか、とマシディリが思案している内に、べルティーナの顔が動いた。
「今日か明日にお義母様が帰ってくる予定でしょう?」
沈黙を破ったべルティーナが、泥団子を手に取った。
真剣な顔で泥団子と向き合っている。マシディリは、そんなべルティーナの前にしゃがんだ。
「だから、見せたいんですって」
「なるほど」
とは言うものの、若いお二人で、の理由も良く分からない。
べルティーナも、泥団子の制作に必死になっている。
「帰って来たばかりのお義母様は機嫌が悪いから、必ず自分の後に話しかけて欲しいってフィチリタさんが言ってきたの」
訳では無かった。
「まあ、子供たちは入れ替わりの中ずっと一緒に入れたのに、最後の最後で先に帰らされれば母上の機嫌は大きく崩れるとは想像に難くありませんが」
「そうよね」
べルティーナの顔が上がった。
もう一度「そうよね」と言って再び泥団子作成に戻る。結構な時間丸めているが、どこかが必ず歪になってしまっている。
思ったよりも、不器用らしい。
新たな発見だ。
「どれほど機嫌が崩れるのかは分からないけど、私もそう思ったからフィチリタさんに同意したの。そうしたら、フィチリタさんが急にあたりを窺って、それから小声になって。兄上もあまり家にいなかったもんね、って。妻は夫が居ないと不機嫌になるものだと思っているみたいだったわ」
くすくす、とべルティーナが小さく華やかに笑った。
あまり良い言い方では無いが、泥団子を手に持っていても似合う、ささやかな笑いでもある。
「だから若い二人で、となったわけですか」
「ええ。でも良かったわ」
「良かった?」
「フィチリタさんが帰ってくるまでの間、練習できるじゃない」
何の、と問えば、泥団子作成の、と返ってくるのだろう。
それほどまでに真剣なまなざしで、べルティーナは手を動かしている。綺麗にできかけても、ちょっとにこだわって崩してしまったり、完成間近で壊してしまったり。
声は上がらないが、そのたびに表情は大きく変わっていた。
いつも堂々としているのに、今回ばかりは年相応かそれ以上に幼く表現豊かである。
「フィチリタと、何か約束でもしたのですか?」
「いいえ。私が妥協したくないだけよ」
泥団子なんて、いわばすぐに壊れてしまうものだ。
その上、すぐに誰にでも作れる。
それでも。
「妥協、ですか」
「下手なままで終わりたくないの」
ああ、とマシディリは納得した。
手が不器用な訳では無い。元来が不器用なのだ。だから、割り切りが上手いだとか評したマシディリに対して、エスヴァンネがそう見えているかと返したのである。
ただし、彼女にとってその不器用さを努力で補うのはいつものことであるため、露見しなかった。その努力を、厳しさを他人に向けることが苦手だから分からなかった。
口調が大分砕けた今でも、ようやく気付いたと事なのである。
他者には強要しない。
恐らく、マシディリが飲み過ぎている時も、あるいはその翌日も。言いたいことは他にもあっただろうが、理想の姿とは違ったのだろうが何も言わなかった。言ったのは、あくまでもマシディリのことを考えた言葉。
おそらく、それが彼女の理想とする彼女の今の立ち位置での振舞いなのだから。
「何かしら」
真剣な顔で泥団子を眺めながら、べルティーナが言う。
ある程度満足がいったのか、慎重にべルティーナが作った泥団子の横にそれを置いていた。
「いや。パラティゾ様もこのように小さなことにも一心不乱に打ち込むのかなと思いまして」
諦観の入っている、義兄は。
「泥団子には、なると思います」
良し、とべルティーナが頷けば、奴隷が水を持ってきた。
土に撒いて、新たな泥を作っている。べルティーナがそれをすくうべく手を伸ばした。
「意外ですか?」
しかし、一度手を止めてマシディリの顔を見てきた。
「ええ。まあ、パラティゾ様は引き際も鮮やかな人だという印象がありましたので」
歯切れの悪いマシディリの返答に対して、べルティーナは聞き届けてからのように手を動かし始めた。
泥が零れ落ちつつも、何とか球形になって行く。
「兄上は、割り切りが上手いのではありません。何をすべきか、サジェッツァ・アスピデアウスの息子としてではなく『アスピデアウスとして』どうするべきかだけを考えているのです。少なくとも、私は勝手にそう思っております」
出来た球体は、水気が多すぎたのか自重で潰れ始めていた。
べルティーナが土を拾い、足している。
「そうか。うん。そうだね」
『ウェラテヌスとして』
その思考は、多分、今の自分に一番必要なものだろう。
アレッシアのために、と行動を決めたことはあった。いや、決めるようにしてきた。だが今は余計なことばかり考えている。言い訳として使用しつつ、そのくせ目の前のみに必死になっていた。
別に悪いことでは無い。だが、それは理想の姿では無いし、ましてや何かの解決にもならない。先送りにしているだけ。
(ウェラテヌスとして)
為すべきことは、メガロバシラス戦争の早期終結。
アレッシアは負けない。勝つまでやる。
しかし、泥沼を望んでいる訳では無いのだ。メガロバシラスとしてもそのことは理解しているだろう。だから、アリオバルザネスの作戦は暗号文書でもあるのだ。
騎兵は技術が必要。
だが、軽装歩兵、特に放火と略奪だけなら多くの技術は必要ない。帰ってくる必要も無い。
そう、犯罪者を使えば。奴隷を使えば。
同時に、それはメガロバシラス側で使える賽が減っていることを意味している。
蔵が空になればどうするのか。
どこかから持って来れば良い。
(即ち、マルハイマナ)
父が動いたのも、そのため。
マシディリの顔が斜め下に動く。べルティーナから逸れつつ、下に。やらねばならぬことを考え、瞬時に北方での失敗が脳裏をよぎったからだ。
その視界の先で、自重で潰れ続けている泥団子がいくつか目に入った。
逆に水が足りなくて割れつつあるものも。
恐らく、全てがべルティーナ作だろう。そのべルティーナは、今も真剣に泥団子を作っている。諦めることなく、しっかりと。
マシディリは、立ち上がった。立ち上がって、べルティーナの横に移動する。
「私にも作り方を教えていただけませんか?」
べルティーナが、大きくなり過ぎた泥団子を片手に乗せ、マシディリを見てきた。
「御覧の出来よ?」
「運や才能と言った伝えられない部分で成功することはできますが、失敗の多くは伝えられることで出来ておりますから。先生は、べルティーナが良いのです」
他人に教えることで知見が深まったり、新たな発見があったりする。
だから、と言うのは、べルティーナへの思いやりからと言うのはおそらく伝わってしまっただろう。
「持ち上げても、手を抜いたりはしないわよ」
言って、べルティーナもマシディリとくっつきかねない距離に移動してきた。
二人の泥団子づくりは、どんどん加速していく。いずれはマシディリの泥団子が仕上がりでべルティーナの出来を抜くが、徐々にべルティーナも追いついて。
そう言えばフィチリタが戻ってこないなと思った時には、大分時間が経っており。
手を拭いて探しに行ったマシディリとべルティーナが玄関で見たのは、メルアに抱き着いて抱っこを強請っているフィチリタと、もう五歳になったフィチリタを持ち上げられなくて困っているメルアであった。




