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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十六章
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謹慎軽減狙い

 パン配りは、すぐに終わる。


 いや、すぐでは無いのだが、父が居た時と比べてしまえばすぐなのだ。アグニッシモとスペランツァと言うパン配りの立派な戦力が居なくてもすぐなのである。


 庇護者によるパン配りは、別に恵みだけでは無い。会話を交わすことも、関係を強化することも含まれている。被庇護者が頻繁に行けば、それだけ庇護者からの覚えもめでたくなるのだ。


 その中で、減る。


 つまり、被庇護者と言う明確なウェラテヌス支持者の中でもエスピラとそれ以外でこれほどまでの差があると言う証明だ。


 数日続けば、帰ってきたのが伝わっていないのではないことぐらい嫌でも分かる。


(と、これがいけないのでしたね)


 数日前に、妻に言われたことを思い出し。

 仕事が早くに進められるようになったから良しとしようとマシディリは自分自身に言い聞かせた。


 次の紙を手に取る。


『思ったことは最初は我慢しないで言う。我慢すると、前は耐えていたのにと思われるのでやめた方が良い』


 走り書きで、そんなことが書いてあった。

 見慣れた字のような気もするし、初めて見る字のような気もする。


 少なくとも、間違って仕事部屋まで持ってきてしまったか混ざってしまっていたのは確かだが、マシディリは申し訳なく思いつつも誰かを知るために読み進めることにした。次の字は、その言葉に後で付け足したように小さく、されどやや整った文字列である。


『お義父様はお義母様に甘いため許されているけれど、私がマシディリ様に対して行えばやさしさと義務感に付け込む形になりかねないので注意するべき?』


(べルティーナでしたか)


 思い出しながら、交換していた手紙を思い出す。

 なるほど。一瞬分からなかったわけだ。手紙の字は、全て綺麗に整っていたのだから。


 駄目だろうなあと思いつつも、好奇心が目を動かしてしまう。


『貴族の妻たるもの、夫の書籍は全て目を通すべき?』


 次に走り書きされている主題が、これ。


『お義母様は全て諳んじることができる。すごい』


 次が小さい字で素直な感動だ。その小さな字は、さらに続いていく。


『造詣が深い。覚えていて流れを作れているだけでは駄目。読み直した方が良いかも』


 読み直した方が良いかも、は二重の円で囲まれていた。

 同時に、だからか、ともマシディリは思う。


 正式な帳簿の他に、父は伝記にも戦利品の分け方をある程度書いていたのだ。皆が知っていると思われるそれも参考にしようと寝室から持ってきた時に、挟まったままだったのかもしれない。


『避妊具は』


 す、とマシディリは紙を裏返した。

 いつの間に部屋に入ってきていたのか、すぐ下のクイリッタと目が合う。


「どうぞ、お気になさらず」


 その弟が深海のような笑みを浮かべて慇懃に腰を曲げ、右の掌を見せてきた。


「読み進める物でもないよ」


 マシディリは半笑いを作って返すと、本当に仕事のためのパピルス紙を手に取った。


「寝ずにやらねば終わらぬような仕事を押し付けられている兄上が、私が入室しても気が付かないほど集中しており、なおかつ百面相をするような内容。是非とも、知りたいモノですね」


 寝ずにやらねば終わらない。即ち、寝ない男ならできる。

 寝ない男とは、遠征中のエスピラを指していた言葉の一つだ。


「夫婦の秘密だよ」


 正確には『妻の』であるが。


「アスピデアウスとの」

「べルティーナとの」


「しかし、兄上。べルティーナはアスピデアウスの娘だと胸を張って言うのではありませんか?」

「それが彼女だよ。家の名を全面に出すことで、自身の行いの全てが家門にあらゆる影響をもたらすことを理解しているだけさ」


 べルティーナに他意はないよ、と言外に告げる。


「それよりも、何か言いたいことがあったんじゃないの?」


 そして、マシディリは机の前を開けた。

 クイリッタとの間に置かれている物が大きく減る。


「私の謹慎を軽くしてほしいな、と願いに」

「それは父上に言ってよ」


 マシディリは苦笑した。

 自分は監視しているだけ。いや、監視と言いつつもクイリッタが自重しているため何もしていないも同然である。


「ですから、少しのお目こぼしを、なんて」


 クイリッタが悪戯っぽく片側の口角を上げた。

 マシディリも口元を変えずに、眉だけを上げる。呼吸は鼻から。


 それから、口を開いた。


「リングアに、きちんと謝ったらね」


 少しだけうらやましくも思う。

 父がきちんと罰してくれる弟を。何かと面倒を見てくれていることを。


 北方諸部族の時は、父の手を煩わせてしまった後悔が最初あったのに、父が何もしなかったと知ると痛みが走ったのも事実なのだから。


(勝手なモノですね)


 別のことを思っていても、クイリッタからの返事はやってくる。


「それは、些細な問題でしょう」


 マシディリの目が細くなった。気温も下がる。

 クイリッタの顔は、変わらない。


「本心です、兄上。実力はあるのにあの心では大事を間違える。父上もそれが分かっているからこそ、リングアを甘やかさない私をリングアの初陣に同行させることにしたのだと思いますよ。去年は、その予行。準備にすぎません」


 なるほど、とマシディリは思った。

 確かに、自分ならばリングアを甘やかしかねない、と。その点、誰がどう見てもクイリッタはリングアを甘やかさない。加えて、誰がどう見ても仲の良いディミテラに対してもわざと冷たく接しているようなところもあるのだ。


 女好きも、エリポス人でありエスピラを殺そうとした女を母に持つディミテラへの配慮であるかも知れないのである。


「と、言いますか」


 クイリッタが強制的にマシディリの意識を今の自分に引き戻してくる。


「兄上があーだこーだ悩んだり、落ち込んだり、それで仕事の能率が落ちたり将来に影がかかれば、私が責められることになるのでやめて欲しいっていうのも兄上に罰の軽減を頼んだ理由でもあります」


 マシディリの右手がおもむろに持ち上がった。行き先は自身の唇。

 全く意識せず、唇を右手でいじり出した。


 数秒。

 なでるように、つまむように動かしてから手が僅かに下がる。口を開ける程度に下がる。


「どういうこと?」

「父上の動きが取りづらくなってしまったこと、最高神祇官なんかに祀り上げられ、本当に政治から引き離されたこと。その原因を突き詰めれば、まあ、私と言いますか、でも、アリオバルザネスの逃亡も通過点に過ぎないとは思いますが」


 マシディリの腰が、僅かに浮いた。

 目の色も変わる。

 クイリッタの淡々とした調子は、変わらない。


「アリオバルザネスを殺すのは、私です」


 が、マシディリの予想の一つ上をクイリッタが言ってきた。


「先生を、逃亡させたのか……!」


 叩きつけられるべき拳は自身の内側に。指を砕かんばかりに力を込めて。

 マシディリは、低く唸るような声を出した。その声が地面をまくるようにしてクイリッタにぶつかる。


「父上だって似たようなことをしているではありませんか」


 威圧の声を受けても、クイリッタは川を割る女神像のように堂々としていた。


「同じ人質のハイダラの家族を使って、マルハイマナにマールバラを逃がそうとしている。人質を利用して強敵の将軍を敵方に流そうとしているのです。


 ええ。ええ。分かっておりますよ。まったく違うとは。

 本気で言えば、そんなことも分からないのかと失望されるぐらいは。


 ですが、大枠は同じ。愚か者から見れば似たこと。


 父上は、マルハイマナにアレッシアを苦しめたマールバラが逃げ込むかも知れないと期待させることでマルハイマナの決断をさらに遅くしようとしているのです。そのためのビュザノンテン滞在であり、マフソレイオへの旅行。


 マールバラの逃亡先も割れている土地。ハイダラの死後、政敵を殺してでもと将軍たちが争っている大地。手引きするのはそこの将軍。力関係によってはマールバラごと死ぬことも、マールバラが干されることもあり得る土地です。


 そうでなくとも、ハフモニ時代のように自由に動くことはできないでしょう」


 ウェラテヌスを名乗る人には説明するまでも無いことでしたが、とクイリッタが一息入れた。

 それから、また雰囲気が戻る。


「翻って、私がしたことは如何でしょうか。


 人質を使って、敵国に強き将軍を戻した。ですが、その敵国内も割れている。将軍を疑いもする。将軍は、全力を発揮してもしなくても仲間から首を絞められることになった。そんな状況にしてから逃がしたのです。


 似ているとは、思いませんか。兄上」


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