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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十六章
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後ろ姿を引き継いで

 寝起きと共にやってきたのは、確かな鈍痛であった。


 マシディリは、ぐんぬぬと顔を中央に寄せてしまう。物が過剰に少ない部屋。なれぬ匂い。女性の、匂い。


 マシディリは顔を横に動かした。

 自分が起き上がった寝台には、誰もいない。が、皺の後は少しある。手を置けば、少しだけぬくもりがあった。


(昨日は)


 大丈夫だ。思い出せる。どれだけ、酒を飲んだのかも。


 北方諸部族の反乱は、自分の所為だ。たとえ違うとしても、最後の一押しを加えたのは自分である。その意識があったからこそ、マシディリは精力的に働いたし、アレッシアのために戦ったと言い切れるだけのことはやった。


 が、祝勝会に出られるかと言えば、否だ。

 そんなのは出来ない。勝てたのは、軍事命令権保有者であるエスヴァンネと副官であるフィルノルドの豪胆さと緻密さを合わせた行動指針、ジャンパオロの勇気と勇気を伝播させる演説、マルテレスの戦場不敗の指揮のおかげだ。


 まさに、理想のアレッシア軍がそこにあったのである。


 自分は、良くて功罪打ち消し。父のおかげでなんとか。


 そう言う思いがあったからこそ断ったのであり、そう言う思いがあったからこそ、ウェラテヌス邸に訪れた客人を拒絶できなかったのであり、勧められた酒を飲まざるを得なかったのである。


 いや、それすらも言い訳か。


 要するに、断れた酒を自分は飲んだのだ。それは逃げ以外の何物でもない。飲めば忘れられる訳では無いが、飲めば薄れる。エスピラだって飲んでいたこともマシディリの言い訳になっていた。あの日、アスピデアウスとの対立を明確にした元老院での演説の後。マシディリの尊敬する父エスピラも酒気がむせ返るほどに飲んでいたのだ。


 妻だって、べルティーナだって止めなかった。


 なんて。

 またもや言い訳だ。べルティーナはあきれていただけかもしれない。いや、呆れていただろう。夫のあんな姿を見て、失望せずにいろと言う方が難しいのだ。


 そもそも、言い訳と言えば、エスヴァンネもエスヴァンネである。


「マルテレス様を呼べた時点で、どう勝つかしか考えてなかったではありませんか」


 マルテレスは、インツィーアの大敗後に勢いを増した北方諸部族を叩いた実績もあるのだ。その上、凄みは増している。


 思えば、そうだ。


 プラントゥムからわざわざ外したのに、誰も文句は言わなかった。遊軍として置いておけばメガロバシラスへ出せと言う論調も大きくなるはずなのに、ずっとアレッシアに居た。行っても父の別荘。その父も遊びにあまり誘わなかった。


「あたまいたい」


 呟き、水の入った容器を掴んだ。量は、普段用意してある量とあまり変わらない。自分の寝間着も乱れてない。寝台の汚れも無かった。

 酔った拍子にべルティーナに無体な真似を、と言うことが無かったようなのは、まだ救いか。


 とは言え、神々と父祖に謝ってから、水を一気に飲む。


「誰か」

 と言えば奴隷がやってくるのだろうが、マシディリは自分の力で立ち上がると衣服を取りに行くために扉を開けた。


 ばったりと、妻と会う。


 妻の手にはマシディリの衣服があった。顔を戻せば、じ、とべルティーナがのぞき込んでくる。


「おはようございます」


 挨拶は、マシディリから。


「おはようございます」


 次にべルティーナ。挨拶が遅れて申し訳ありませんと言う妻に、こちらこそ衣服を持ってきていただいてと腰を下げる。


 そそくさと服を受け取り、部屋の中へ。


「お義父様とお義母様も衣服を自分たちでそろえることが多いと聞きましたので」

「あー……。そうですね」


 部屋の外にあったからか、衣服からは僅かに焼き立てのパンの香りがした。


「マシディリ様が帰ってこられたと言うことで多くの被庇護者の方々が集まっておられます。一足早く帰ってこられたリングア様が今は音頭を取っておられますので、マシディリ様は一度顔を洗った方がよろしいのでは無いでしょうか」


 ああ、これは自分がウェラテヌスの奴隷に命令するのは不味いだろうから、という気づかいなのだとマシディリは思い至った。


「お願いいたします」


 べルティーナの凛とした返事がやってきて、すぐに奴隷に伝達が行った。

 その間に寝間着を脱ぎ、着替える。着替えの途中にべルティーナが戻ってきた。沈黙を回避するために、すぐに口を開く。


「クイリッタも帰ってきているのに、リングアが陣頭指揮を執っているのですか?」

「クイリッタ様はレピナ様に髪を引っ張られ、フィチリタ様に逃げられておりました」


 手が止まる。

 頭には、疑問符だ。


「ユリアンナ様曰く、今は謹慎中だそうです。そのユリアンナ様がこちらに来られた方々に当たっておりますので、世話役がクイリッタ様になりました」


「リングアは、家の中のことを、ですか」

「はい。マシディリ様がお嫌なのでしたら、伝えて参りましょうか?」

「そのようなことはありませんよ」


 会話が、止まる。

 鳥の声も無い。夏であっても涼しい朝の風が入ってくるぐらいだ。


(部屋の模様替え、いえ、マルテレス様がすぐに父上と川遊びをしにマフソレイオまで行く話の方が)


 後者なら、ついでに自分たちも行こうかとも提案しようかとも思いつつ、国庫が頭に浮かぶ。


 マシディリの次の仕事は戦利品の整理とそれらを国庫に入れ、国庫をまとめ直すことだ。

 北方諸部族からは引き離された。プラントゥムに居る軍団の後背地整備は、後任も無くマシディリがやって良いことになっているが、中々現地に行けそうにない。


「昨日は、叔父上が申し訳ありませんでした」


 マシディリが、そんなことを考えている間にべルティーナが頭を下げてきた。


 おあげください、と慌てて肩を掴む。細い肩だ。確かに畑を耕してきているだけはあって筋肉はあるが、それでも細い。


「叔父上は、私を良く可愛がってくださいました。マシディリ様のことも高くかっております。ですので、昨日は、想定よりもずっと早く反乱を鎮められたことの喜びもあいまってたがが外れてしまったのだと思います」


「気にしておりませんよ。エスヴァンネ様は喜んで良い立場。人格的にも優れた方だとは良く知っております。それに、大声の度合いで言えば、マルテレス様の方が騒がしかったですから」


 心の中で師匠に謝りながら、マシディリはエスヴァンネを助けようとした。


 す、とべルティーナの顔が上がる。また、奥を覗きこまれるような、いや、入ってくると言うよりは背筋を凛と伸ばしたような視線だ。まっすぐな意思を感じる、強い視線。


「マシディリ様も、喜んでよろしい立場ではありませんか?」

「いえ。私は」


「やましいことがあるならやましいことがあるとはっきりおっしゃたらどうです? 今のマシディリ様は、功を喜ばず、祖国の勝利を喜ばず、まるで北方諸部族に勝ってほしかった人の様。


 それとも、罪人だと? 叔父上は、罪人を起用しなければならないほど人望が無く、元老院は咎人にいくつもの仕事を任せねばならないほど人が不足していると言われるおつもりですか?」


 言うべきか、迷う。

 告白するべきか悩む。


 だが、目の前の女性は妻でありアスピデアウスの者なのだ。


 妹の友達で、良い人で、パラティゾの妹だとしても、素直になるのはまだ怖い。


「申し訳ありません。確かに、先の私は勝利者と私自身の功、私のために働いてくれた者達に相応しくない態度でした」


 だから、新たな罪の部分を改めて謝った。


「失礼のついでに言わせていただきますが」


 ぐい、とべルティーナが踏み出してきた。

 マシディリを見上げてくる形になるが、圧があるのはべルティーナの方である。


「お義父様は、元老院でウェラテヌスは期待に応えると啖呵を切り、執政官となってカルド島へ向かわれました。事実、マールバラに勝ち、民の希望となっていたマルテレス様からカルド島を奪い返したアイネイエウスを討ち取ると言う、民の高すぎる期待に見事に応えております。


 お義父様の後継者とは、そのようなことを言います。そして、マシディリ様は北方諸部族の反乱に対して『エスピラ様がいらっしゃれば』と言う民の期待に見事に応えました。


 ならば、その雄姿をお見せする必要があります。それが、私達建国五門の者の務めです。


 血や、短剣や、家、衣服。名。そのようなモノを継いでいたとしても、何の意味がありまして? 大事なのはそのお姿。魂。生き方。誇りです。それを万人に示してこそ継いだ意味があると言うモノ。継ぐ価値のあると呼べるのです。


 今の貴方はどうですか。


 うじうじして、みっともない。私の前では構いません。ご兄弟の前でも良いのかも知れません。ですが、それは皆が求めるウェラテヌスの跡取りの姿だとでもおっしゃりたいのでしょうか?


 私は、マシディリ様が優秀であると知っております。一流の御仁だとも思っております。


 ならばこそ、ウェラテヌスとして、いえ、エスピラ・ウェラテヌスの子としての堂々たる振る舞いを。被庇護者にはお見せください。貴方様こそがエスピラ様の跡を継ぐのだと、魂を繋いでいるのだと。その心を受け継ぐ存在なのだと演じ切って見せなさい!」


 どん、と胸に小さくも力強い拳が当てられた。

 痛くは無い。勢いも無い。

 それなのに、大きく後ろによろめきそうな、そんな強い力を感じる拳だ。

 知らない力だ。


 マシディリは、自身の胸に当たる拳を見た後で、腕を伝ってべルティーナの顔を見た。


 ややもすれば、力強かったはずのべルティーナの目が小さく泳ぎ出す。


「酒は、抜けましたか?」

「え、あ、はいっ」


 もにょもにょとした声に、おどおどとした声が返って行けば、後はうわべだけの会話となる。


 にょにょにょと数語交わすと、べルティーナが先に、そしてマシディリが後に出て、パン配りへと向かったのだった。


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