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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十六章
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ささやか為らざるささやかな光

 じ、と瞬きせず。宝玉のようなメルアの瞳が何かを映していた。


「父上は、兄上をお許しになるつもりでは無いでしょうか?」

「許す?」


 思わず、エスピラの声が低くなった。

 クイリッタが慌てて頭を下げてくる。音がなる勢いだ。いつも整えている髪も乱れている。


「言葉が過ぎました。私の所為でもあるとは理解しております。しかし、私のおもちゃを兄上が奪ったのもまた事実。それを父上がお認めになるのであれば、私は、新しいおもちゃを所望いたします」


 まさに謝ったと言うべき姿勢だが、クイリッタの声は一切引いていない。

 エスピラは、手を唇にやった。そのまま人差し指の横で唇をなぞる。


「なるほど。言い方は気になるが、主張は尤もだな。しかし、お前は兄弟から師匠を奪った。これは、どう説明する? お前が先だぞ?」


「父上は、アリオバルザネス将軍が素直に祖国がやらていく様を見続けるような方だとお思いですか? 何もしないと? 


 そんなわけはありませんよね。ならば、父上に非が行かない形で脱出させるのもまた英断。アスピデアウスも理解し、警戒は叔父上に移りました。


 ウェラテヌスが弾かれたことで、今のアレッシアの政争はアスピデアウス対ティバリウスと変わったのです。その時間に、アグニッシモとスペランツァまで成人できるでしょう。そして、これだけの時間があれば兄上は二十一歳になる。


 父上が、財務官になった歳です。

 初陣から数えれば、父上が副官としてカルド島攻防戦の指揮を執った時です。


 そして、父上と違い兄上には道がある。後押しがある。十分な基盤がある。


 アスピデアウスかティバリウスか。

 勝者は分かりませんが、ウェラテヌスが全てをかっさらうことも、また、できるのではありませんか?」


 クイリッタが、すっかりと頭を上げた。


「代わりのおもちゃが欲しいと言う話から変わっているぞ?」


 ふふ、と笑いながらエスピラが返す。


「失礼いたしました」


 クイリッタの頭が再度下がった。


「ヌンツィオ様が築かれた防衛線は、今は機能しているがいつ破られてもおかしくは無い。あの防衛線は、封じてもいるが、同時にどこにでも呼び出されてしまう可能性も孕んでいるからな」


 そんなクイリッタの頭に、エスピラは声をかけた。

 クイリッタの頭は変わらない。エスピラの声の方が、変わる。


「だが、突破する利益は薄い。防衛地点を増やすのは、兵力に劣るメガロバシラスにとって不利だからね。この場合、アリオバルザネス将軍が取らねばならない行動は何だと思う?」


「ヌンツィオ様の軍団の撃滅、でしょうか?」

「現実的な策だと思うか?」


「いえ。しかし、父上の質問への答えであれば間違ってもいないと思います」

「そうだな。では、メガロバシラスであれば、クイリッタはどう動く? どういう戦略を取りたい?」


 クイリッタの顔が上がった。まっすぐにエスピラと目が合う。


「北のトーハ族に痛撃を与え、この戦争から蹴り出します。ついでアカンティオン同盟の本格参戦を待つためにアリオバルザネス将軍を別の戦線に回し、ヌンツィオ様を避けつつも他方面のアレッシアを押し戻してもらいましょう。


 ヌンツィオ様一人に、激流が止められたのです。

 控えるはマルテレス様、イフェメラ様、父上。他にもオプティマ様やグライオ様、ディーリー、インテケルン様など、アレッシアは優秀な指揮官に事欠きません。


 勝てないでしょう。それぐらい、誰だってわかります。

 ならばさっさと講和を結び、マルハイマナを焚きつけ、アカンティオン同盟をマルハイマナの呼び水とするためにアレッシアから離反させる。そうして飛び出たアカンティオン同盟をアレッシアと協力して積極的に叩き潰し、面子を回復させる。


 それが最善でしょう」


「できると思うか?」


「アリオバルザネス将軍と言う切り札がメガロバシラスに居る。そうであれば、アレッシアも下手なことはできませんから。

 半年ほどの僅かな間で誰もが思い知ったはずです。その強さを。仮にもアレッシアの執政官、それも開戦を任せられた者を簡単にいなした男の力を。


 そして、父上の評判も上がったはずです。

 それだけの男を有しているメガロバシラスに、全体的な兵数不利で挑み、三年足らずで勝利を収めた名将として。


 最高神祇官に祀り上げられた。

 本格的に追放された。


 それが何です?


 遠征軍に於いて勝利を収められるのは、父上だけです。


 なるほど。ヌンツィオ様は確かに勝ちを収められました。が、それだけ。基盤は増えておらず、エリポス諸国家との交渉は難航しております。補給を受けられているのは、父上が造ったビュザノンテンに父上が奪ったディティキがあるから。その二つの拠点があるからこそ、複数の経路で本国から物資が供給できているからにすぎません。


 父上の時はそれが無かった。

 でも父上は勝った。


 誰にできる芸当ですか?

 父上にしかできない芸当です。


 少なくとも、短絡的な結論に飛びつく馬鹿どもはそうとしか考えられなくなる。



 アイネイエウスは、マルテレス様からカルド島を奪い返した。それ以前にもタヴォラドの伯父上の子供たちを追い返していた。だからこそ、強い者として認識され、それに勝った父上も強いと認められた。


 同じこと。

 父上としか戦っていないアリオバルザネスでは駄目なのです。


 ウェラテヌスのためになるには、きっちりと力を見せていただかないと。アリオバルザネスは、屈指の名将だと。アイネイエウスにも劣らぬ良将だと。



 鳥かごの中の鳥は、本来の良さを出せません。大空を飛び、自由に動き回ってこそ本来の良さが見えると言うモノ。


 同じこと。

 我らの先生としてではアリオバルザネスの良さは出ません。戦場で出て、アレッシアの敵として立ちふさがって、初めてその強さが認識されるのです。


 私は、アリオバルザネスの解放が間違ったことだとは思いません。巡り巡ってウェラテヌスのためになる。そう、信じております」


 また話を変えたな、と思ったが、これもまた納得のいく話である。


「マシディリは」


 と、メルアがエスピラの膝の上で口を開いた。


「北方で、名を上げたそうよ。準備の手際の良さと、友好的な街からの素早い供給を実現させたそうね。エスヴァンネも褒めているとか。おかげで、夏には反乱が平定されるとも言われているわね。


 その上、マシディリは貴方より素行が良いの。


 分かってる? 貴方の言い分は、その兄と比べられたいと言っているのよ。しかも、素行だって無視はできないわ。だって、貴方はアレッシアの名門中の名門、建国五門が一つウェラテヌスの男の子なんだもの。そこらの貴族とは格が違うの」


 起き上がりながら、メルアが長い言葉を言い終えた。

 クイリッタはしっかりとそれを受け止めている。


「存じております。私の才が兄上に劣ることも。その上で、私にしかできない方策を取り、必ずや兄上の役に立つと。その証明をしたいのです」


「違う方策、か。ジュラメントも、似たことを言っていたな」


 エスピラの目が細くなる。焦点は、遠くへ。


「叔父上には野心があります。私にもございますが、あくまでも私の野心は兄上が上に居て初めて成り立つモノ。偉大過ぎる父とは優秀過ぎる兄の目もたまに曇らせる存在でもあります。その時に、私というささやかな光が蝋燭となり足場を照らすのです。


 兄上が転ばぬように私が支える。


 そのためにも、父上の意に反する行動は必要だったのです。なんと罵られようとも、私は父上と母上の子。そこらに転がる者達と一緒にしないでいただきたいと思うのと同時に、人には言えない手段も私が採りましょう。兄上が、その手を無駄に汚さぬように」


 エスピラは、目を閉じて何度目か分からない息を吐いた。

 献身的すぎる。十分だ。お前も、もっと自由に生きてくれ。

 そんな言葉が、出てしまう。例えクイリッタの予想通りだとしても、どうしても。


「分かった。好きにしろ」

「ありがとうございます」


 クイリッタが、今度は膝から腰を曲げた。


「ただし、娼館通いも夜這いもしばらくは禁止だ」

「父上分かってなぁい!」


 しかし、すぐにクイリッタの膝が跳ねあがったのだった。


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