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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十六章
588/1593

約束を、一つずつ

 酩酊状態の対象を発見すると、スペランツァは静かに近づいた。


 少し凍った地面は、音を良くたてる。酩酊状態の相手では自分の足音で気づかないかもしれないが、用心に越したことは無いのだ。


 そして、刃渡り四十センチほどの剣を抜く。ファルカタに近い形状だが、ファルカタよりも刺突に優れた武器。イフェメラの開発した剣。その剣が、瞬く間に発光しない黒のオーラに包まれる。


「んあ?」


 流石に気づいたのか、男が振り向いた。躊躇は敵。時間は無い。音をたてて踏み込む。膝を沈める。男の手は腰元へ。だが、沈み込んだスペランツァを一瞬でも見失ってしまったようだ。


 動きは斜め。上下で視界からもずれる。

 そのまま、斜めから入り首元に一撃。

 オーラを流し込みながら、刃の三分の一ほどを首に埋めると、引き抜く勢いで切り裂いた。


 血が噴き出し、男が地面に倒れる。


 ポーンニーム・グラム、享年三十二。

 マールバラを除くグラム兄弟の最後の一人は、冬の夜に呆気なくその命の炎を消した。


 静かに、剣を振るとスペランツァはポーンニームの死体をまたぐ。後ろからついてきた者がポーンニームの首を斧で落としたのが音と振動で伝わってきた。


「さあ。狩りを、始めましょうか」


 声変わり前の棒読みに、足音も無く黒い者達が立派な建物に侵入していった。


 少し待てば音も無く門が開く。足を踏み入れ、建物へ。

 すっかり冷えた建物だが、外よりはまだ良い。その建物を音も無く、静かに進む。


 右。左。敵はいない。気配も無し。ただただ暗い。その中で、部屋にいるのが一人ならば静かに忍び寄り、頸動脈を刈り取る。複数ならば静かに通り抜けた。


 間取りは知っているのだ。

 事前に集めている。情報なんて垂れ流し。簡単に手に入った。


 が、これも父が手配したことだとは知っている。スペランツァの手柄では無い。しかし、そんなことはスペランツァにとってはどうでも良いことだ。


 手を伸ばす。奥の間の板を、静かにはがした。

 口を開けた乳母に左手を押し当て、すぐさま首を刈る。血は壁に。勢い良く染め上げたようだが、暗闇の中では色が濃くなったなぐらいの感想しかない。


 部屋には、赤子が二人。


(どっちだ?)


「うぇ」


 そんな迷いも、泣き始めの声で中断させられる。

 スペランツァはすぐさま近づくと、泣き出した赤子の小さくやわらかい足を掴んだ。そのまま、片手で思いっきり壁にぶつける。ぐちゃ、とした音と、ばき、と言う感触が伝わってきた。粘体が降り注ぐ。気にする間もなく、もう一人の赤子の足も掴んだ。


 同じように、全力で壁に饅頭のようなかわいい頭を叩きつける。華が咲く。灰色のゲルに血が混じることによって鮮やかな桃色となった粘体が、スペランツァの顔を勢いよく汚した。


 無論、色は分からない。


「ばっちい」


 言って、顔を思いっきり拭う。

 寝台の布も一枚めくり、比較的綺麗なモノでもう一度顔を拭いた。


 足音。光。

「きゃ」

 後は、音になってなかった。


 後ろから口を塞がれ、首をすぐさま斬られている。首を倒され、血は横へ。


「どうか、安らかに神の御許へ」


 ウェラテヌスの被庇護者、ソルプレーサが静かに言って女を横に寝かせる。


「無垢な魂よ。汝らに恨みは無い。どうか安らかに神の御許へ」


 スペランツァも、取ってつけたように頭の無い二人の赤子に向かって呟いた。


「大事なモノができるたびに、一つずつ。父上の言葉を無視した貴方が悪いんですよ」


 そして、唾も吐いた。


「スペランツァ様」


 ソルプレーサに窘められ、首をすくめる。


「所詮、愛人の家でしょ」

「弟の家でもあります」


 ポーンニームの妻の妹と、マールバラは男女の仲になり、子も設けていたのだ。

 だから、奪った。それだけ。


 犯人は、ハフモニの元老院に当たる百人会の既得権益者と言うことになる。


「スピリッテのおじさん、じゃなくて、従兄だから兄上? 兄上はマシディリの兄上だけだし?」


 んー、とスペランツァは人差し指を唇に当て、中空を見上げながら首を傾げた。


 かわいらしい子供そのものである。

 その後ろに、赤い花が二つ咲いて首の無い赤子の死体が無ければ、であるが。


「まあ、スピリッテ様の仇ってことで。僕、好きだったんだよね。あの人。遊んでくれたし。優しいし」

「存じ上げております」


「でも、これでマールバラも悲しみを分かってくれるよね」

「存分に」


「でもやっぱりたーりない」


 言って、ぴょん、と部屋から出た。


 静かである。

 静かであるが、至る所が血に塗れているはずである。


「ひっとつずつー、積みあっげってくのー。あーなたが死ぬそっの日っまでー」


 歌いながら月の上に掌を持って行った。


「積み上げて、崩すのも楽しいよね」


 ゆっくり、月を下げるように手を動かす。もちろん、空に浮かぶ月は何も変わらない。変わらないが、黒のオーラで自分からは見えなくした。


「ヴィンドの叔父上も良い人だったなー。お爺様にも会いたかった。ネーレ様は困ると面白かったんだ。みんなみんな、マールバラが奪ったんだけどね」


 ぴ、と剣を振る。

 そして、無邪気な笑みでマールバラの愛人と思われる人と子供たちに振り返った。


「またね」


 子供らしい声で言い、黒のオーラで姿を消す。

 マールバラが、癒しとしていた家族の死を知ったのは、それから数時間後のことであった。


 その報告がエスピラの下に届いたのは、さらに経過して。エリポスでの宗教会議が終わった後で。


「暗殺を楽しんでいるようなら、窘めないとな」


 呟き、ソルプレーサに返す。


「是非、そうしてください。されど、腕に関しては流石の一言です。エスピラ様が直々に仕込んだだけのことはあり、あの年齢で暗殺部隊の中でも有数のうまさがありました」


「君が褒めるとはね」

「私は、良く人を褒めておりますよ?」


 エスピラは、間を開けてソルプレーサを見た。


「そうか?」

「そうかと」

「そうか」

「はい」


 大真面目にソルプレーサが返してくる。


「それは、悪いことを言ったね」


 言って、エスピラはまだ草が生えそろっていない地面に寝転んだ。


 空では鳥が飛んで行っている。冷たい空気が下からも伝わってくる。


 そのまま頭を倒せば、思い思いに休みつつも行軍隊形を維持している第一軍団の第三列の面々が居た。


「たまたま旅行先が一緒だったからって言ってたのにな」


 あれじゃあ行軍だ、とエスピラは寝っ転がったまま笑った。


「行軍にはメルア様やユリアンナ様、リングア様にチアーラ様を連れられることはございません」


 流石に長旅だからフィチリタとレピナは連れてきていない。アグニッシモも、アレッシアで友達と遊びまわっている。


「そうかもな」


 今、エリポスの情勢は不安定だ。

 メガロバシラスと戦争中だし、マルハイマナも信用できない。それなのにエスピラはビュザノンテンに上陸してから陸路で宗教会議に出席する経路を選択したのだ。


 守ろうとするのも分からなくもない。危険だからと、三十八艘もの船団を組むことだって認められたのだから、元老院も文句は言っても実力行使には出にくいのだ。


 出てしまえば、元老院がエスピラを殺そうとしたとみられるのだから。


 それは、立派な暗殺だ。


「最高神祇官が、そのような姿勢ではよろしくないかと」


 ソルプレーサが今更ながら苦言を呈してくる。


「構わないさ。仕事はしたよ。蛮族の国だとか、前最高神祇官様の名誉を回復はさせてあげたからね。あとは、別に。元々政治的な決定ができる場じゃないし。私にその力も無いし。見ている者にもそれを示してやるだけさ」


「しかし、勿体なくはありませんか?」


 エスピラは、目だけをソルプレーサに向けた。ソルプレーサは第三列の面々を見ている。


「此処に第三列。ヌンツィオ様がエスピラ様の第二軍団の精鋭を引き連れてディラドグマ跡地に入る。第一列、第二列はディファ・マルティーマやアグリコーラにいつでも集められる状態。ひとたびエスピラ様が声を上げられれば、たちまちのうちに」


「でも、上官が足りない」

「それもそうでした」


 グライオ、アルモニアはプラントゥム。

 ルカッチャーノとスーペル父子はカルド島から戻りはしたが、タルキウスの当主問題にかかりっきり。


 ジャンパオロ、ファリチェ、ヴィエレ、メクウリオ、マシディリは北方諸部族へ。

 プラチドとアルホールはヌンツィオの軍団に。


 第四軍団の多くも北方諸部族方面軍に居る。


 ただでさえ人が足りないと嘆いていたこともあるのに、これではどうにもならないのである。


「まあ、しばらくはのんびり行くよ。何も、させてもらえないからね」


 はあ、と息を大きく吐きながら、エスピラは妻の乗っている馬車を見た。

 動きは無い。昨夜も遅くまで起きている羽目になり、疲れもたまっているのだろう。


「暇ではいけないはずなんだけどねえ」


 呟きながら、本格的に追放されたなあ、とエスピラはのんきに実感していた。


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