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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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まずは祭事が杯に注がれ

サジェッツァの言葉は、まだ続く。


「今回の北方諸部族の暴動は、誰もが損をしている。


 アスピデアウスは、単独で北方諸部族を鎮め、勢力下に収めることに失敗した。

 ウェラテヌスも様子見を続けて影響力を高め、北方諸部族を依存させることは叶わなくなった。


 ジュラメントやイフェメラもエスピラのいない間にと言うのに失敗した。

 クエヌレスに至っては面目丸潰れだ。プレシーモの件から続いて、大きく後退することは免れないだろう。


 名を上げたのはマシディリくらいか? 素早い初期対応と、自らの保身では無く国を考える姿勢。命を懸けた行動。誰もが賞賛するが、マシディリ本人にとっては苦しいだろうな。


 マシディリは、功欲しさに反乱を引き起こさせるような人じゃない。功が欲しければ財務官の任地をエリポスやアレッシアにすれば良かっただけだ。あそこまで命を懸ける必要は無い上に悪評を得る可能性を取る必要だって無い。


 誰も得しない戦いだ。

 誰も望んではいなかった。損しかない。


 エスピラなら、分かるだろ?」


「マールバラにとっては追い風さ」


 エスピラがさらりと言えば、何か知っているのかと問い詰めてくるような視線がやってきた。

 エスピラは、一つ苦笑を返す。


「ディファ・マルティーマで、私が単純に後手に回ったと思っているのか? 違うな。確実に私の隙を作ることができる人物が噛んでいたからだ。だから、アレッシアはアリオバルザネス将軍を失った。二度と帰ってこないだろうな」


「答えになってないぞ、エスピラ」

「口にもしてないよ、サジェッツァ」


 笑いつつ、エスピラは牙を剥くように口を開けた。


「あの男はまだ戦うつもりさ。まあ、マールバラに北方諸部族を唆すだけの回転も伝手もあるとは思えないけどね。でも、政治家としての一歩は踏み出した。民からの支持も上々。あれの父親を見れば補償金は払うが、と言ったところかな」


「アレッシアは容易に手出しできないから、ハフモニの既得権益者をたきつけた方が良い、か」

「どうせ動いてるんだろ?」

「ああ」


「じゃあ何も言うことは無いよ」

「私からはある」

「しつこい男は嫌われるわよ」


 メルアが、鋭い目を向けた。


「知ったことでは無い」


 サジェッツァがメルアに視線を向けずに堂々と返す。


「エスピラ。最高神祇官になれ。

 今の元老院主流派はマルハイマナに対する有効手段を持たない。ディラドグマで分断された今、ビュザノンテンは孤立したに近い状況だ。マルハイマナの心変わりも起こりやすいだろう。そこに、エスピラの影が見えればまた変わってくる。マルハイマナが止まる。止まらずとも、エリポス諸国家も動き方が変わってくるのは明白だ。

 此処に、執政官二人からの要請状がある」


 取り出された羊皮紙は、メルアにひったくられた。

 丸め、捨てられる。

 サジェッツァの表情筋は微動だにしない。


「エスピラ。まだアレッシアは立て直し切れていない。此処で主流派になったところで、ウェラテヌスにもうまみは少ないはずだ」


「うまみが大きい時に取ることができないようにするための最高神祇官だろう?」


 とは言え、どちらを取るかでもある。

 アレッシアを思うのなら、前者を取る方が良いことも分かっているのだ。


(アレッシア、ね)


 腕の中の愛妻は、その言葉に踊ることは無い。


「叩き折れたモノが同じ形に戻ることは無い」


 サジェッツァの言葉に、エスピラは意識を戻した。


「立ち上がっても形は変わる。良い方だとしてもな」

「パラティゾの話か?」


 肯定も否定も無く、サジェッツァの口が動く。


「父親は最年少最高神祇官。息子は最年少財務官。どれも五歳以上更新しての記録だ。嫉妬は起こり得るが、負けた時のことも考えれば悪くはならない。いずれも選挙で決まる以上はそれ以上の攻撃は不可能だ。友としても、友の子にとって、娘の夫にとって悪い話では無いと思っている」


 ふー、とエスピラは息を吐いた。

 メルアは、アレッシアのためと言っても動かない。だが、子のため、特にマシディリのためならば動いてしまう。


 それはおそらく、エスピラ以上に。


(人質を認めないアレッシアの中でも、多くの人質を見捨ててきたウェラテヌスが人質に弱いとはね)


 だが、悪い気はしない。父祖に謝る気も無い。

 これが私達だと胸を張れる。


「私は追放中の身だ。堂々とした選挙活動はできない。


 どうせ、アネージモ様の辞職表明と後任に誰を推したいか漏らす道筋は出来ているんだろ?

 なら、私の出馬受諾よりも先に、他ならないサジェッツァが選挙戦を展開しておいてくれ。それを受け、私が出馬を表明する。アルグレヒトが選挙戦を積極的に行う。私がするのは各神殿に手紙を書くだけ。


 アスピデアウスが私を推戴しろ。


 そして、私が成った暁にはディラドグマ跡地奪還戦を素早く、有能な軍事命令権保有者にやらせるんだ。指名したいところだが、そこは譲歩しよう」


「アリオバルザネスは読んでくる」

「なら、私は出馬しない」


 エスピラが最高神祇官にもならず、ディラドグマ跡地を奪還できなかったらどうなるのか。


 それは、アレッシアの領土が大きく減ることを意味している。

 いや、敵は増え続ける結果になるだろう。そうなればアスピデアウスの時代も終わりで、エスピラが元老院に推戴される時代がやってくる。


 当然、誰にも旨味の無い交代だ。


 エスピラが直々にエリポス奪還に行けば、結局国内はサルトゥーラやサジェッツァが中心になる。しかし、エリポスに迎合する者をエリポスに送る訳にもいかず、かと言って遊ばせておくわけにもいかないからイフェメラやマルテレスは北や西に飛ぶのだ。


 結局、戦争に強くなるだけでほとんど変わらないのである。

 サジェッツァから見ても、アスピデアウスは頭を押さえつけられ、状況によってはエスヴァンネとフィルノルド、パラティゾを奪われて復権は叶わなくなるのだ。


 誰にとっても美味しくは無い。


「分かった。ヌンツィオ様にディラドグマ跡地奪還戦を早急にしてもらう。首尾よく行けば、留守居役にスクトゥム・ネルウスを頭にするが、プラチドとアルホールにほぼ実権を握ってもらう。これで、良いか?」


 スクトゥムはカリトンの子であり、跡継ぎである。


 個人の勇には優れているが、それが役に立たないことをディファ・マルティーマ防衛戦で実感させられ、以降はエスピラの信任厚い父を影ながら補佐してきた。エスピラも数度、エリポス語を習いに来たことなどで会話したことがあるが、エリポス語の実力もメキメキとつけ、各地の微妙な言葉の違いも頭に入れている。真面目な男だ。

 万能で優秀で、誰もが憧れる、と言う訳では無いが、確かな安心感がある人物である。


 防衛戦に於いて重要な士気も、自らが前に立つことで積極的に上げることができるし、突撃もできる。プラチドとアルホールの力も知っているから、自らの命を顧みることも無い。息子、カリトンの孫もエスピラの子供たちと遊んだことから憂いも少ないらしい。


 なるほど。

 援軍の無い場所の守りに最適な人材である。


 一定の戦果を期待でき、失っても痛手にはならない人物と言う意味でも、最適だ。


「それで行こうか」


 エスピラは、すっかり政治家の目で頷いた。


「ティミド様は、また謹慎。クエヌレスは代わりに貰うぞ?」

「ティミド様にはお手柔らかに」


 ティミドが順調に復帰され続けても兵権をその内渡すことになりかねないから良い頃合いか、とも思う。

 もちろん、痛いモノは痛いが。


「クエヌレスは、結構骨を折ったんだけどね。手ごわいねえ。これで、私は北方諸部族への足掛かりを全て奪われた、と言う訳か」


「こちらも建国五門だ。ただでやられる訳が無い。そうだろう?」

「お手柔らかに頼むよ。私たちの兄貴分だろ?」


「背負っているモノが二十年前とは違うとは、エスピラの言葉だったと思うが」

「そうとも」


 ため息を、吐く。

 口は軽いが、痛い。

 未来を考えると暗澹たる気分になる。


 エスピラは、外にも多くの基盤を持っているのだ。それが一つ、最も脆弱なモノであったとしても奪われた。しかも、アレッシアに最も近い場所を。

 かと言って、外の守りに注力するわけにもいかない。エスピラは、あくまでもアレッシアが中心となる国づくりをしたいのだから。諸外国の力は大きく制限したい。


 アレッシア人を守るのはアレッシアであり、アレッシアがアレッシア人を優遇しないで誰がしてくれるのか。


 それが、基本線だ。


 他国の者でも優秀なモノは用いる。だが、要職に就くことは許さない。元老院議員にも絶対にしない。してやるものか。


「ルーチェを、賢く育てすぎたな」


 今後の算段を立て始めたエスピラの脳が、止まった。

 サジェッツァの顔は、風に揺られている以外変化が無い。


「本人にとって悲しい結末だと言いたいだけだ。私は何もしない。違う意味でエスピラも何もしていない。『良いんだな』とだけ、言っておこう。意味は自分で考えろ」


 そして、サジェッツァが服を脱ぎながら海の方へと降りていく。

 マルテレスと張り合う気なのだろうか。だが、思考はそこまで。


「ルーチェ」


 目がくりくりの、かわいい姪。

 そう言えば最近会っていないなと思いつつ、エスピラは、アグリコーラに建設中の別荘に招待する算段を立て始めたのだった。


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