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カナロイア

「知っている」


 タイリーが一番高くエスピラをかっていることを。個人的なモノで行けば、多分メルアに何かを贈って、メルアがそれを売り払うなりしてエスピラに愚痴ることも。多分、またベロルスが大枚をはたいてメルアにお金を渡すことも。


「ところでエスピラ。物は相談なんだが」


 すすす、とカクラティスが近づいてきた。バルコニーの手すりの上をカクラティスの筋肉質な手が滑ってやってくる。


「農業が得意な者を売り払う時があれば、私と言う友達を思い出してほしいな。手数料無しの即決即金で引き取りに行くとも」


 手が離れてもエスピラの前に残ったのは金貨一枚。


 確かに良い物ではあるが、アレッシアの名門であるウェラテヌスとカナロイアの王族との間では賄賂としての価値が微塵も無い額である。物の価値と言うよりも、約束の証としての役割の方が大きいのだろう。


「本当はアレッシア人奴隷が欲しいんだろう?」


 溜息を吐きながら、エスピラは金貨を懐に収めた。


「まあね。でも、色々なところから人を集めた方が良いんでしょ?」

「土地によって育て方が違うと祖父が書き残していたからな。カナロイアで農業を行おうとすればまた異なってくるだろうさ」


 エリポスがなぜ覇権を握ったのか。

 それは、戦う必要があったからだ。作物の育ちが良くなく、常に他国から取る必要があった。エリポス圏内で奪っても足りなかった。だから、外に出る必要もあった。外に出るために造船技術が発達したのである。


 もちろん、メガロバシラスのように細い陸地を通って今のマルハイマナの東端まで兵を進め、海上輸送は傘下に収めた国に任せたケースもある。


 兎にも角にも、軍事的には戦いに明け暮れたため、文化は不作凶作の救いを神に求めたため。他国を圧倒する何かを付加価値に求めたため。


 そのためにエリポスは発展した。

 だから今、土地が豊かでないエリポスは斜陽になりつつある。


「二世、三世に市民権を付与すると言えば、アレッシア人は来るかな」


 カナロイアに、であろう。


「アレッシアに居る農業奴隷は行くかも知れないが、どうだろうな。結局外から来た人という意識は残る上に特権を与えすぎれば第二のカナロイア市民となってまた王権を失墜させるかもしれないぞ」


 それぐらい、カクラティスも分かっており、エスピラよりも賢い解決策は持っているとは思うが。それでもエスピラは言っておいた。


「武器を持てない市民と作物を作れない市民に分けるつもりだよ。自衛のためには国家を頼って兵を使わないといけない。腹を満たすためにも国家を頼って作物を得なければいけない。まあ、まだ机上の空論で、そもそも両輪となれるかは分からないけどね」


 王族も大変だな、とは思うものの、エスピラはカクラティスの現状には不遜ながらも親近感があるのは事実だった。


 力を失った名門と権威が落ちた王家。

 どこか境遇が似ている。似ている気がするからこそ、遊学中のメガロバシラスで仲良くなるきっかけができたのだ。


「それを知るためにも王家に農奴が欲しい、と」

「オルニー島もカルド島も穀倉地帯だからね」


 両島ともアレッシアとハフモニの間に浮かんでいる島である。

 距離はアレッシアの方が近く、ハフモニが大軍を半島に送ってこようとすれば中継地点として必ず通る島だ。


「ね。エスピラ。そこに行くことがあれば」

「分かっている」


 カクラティスが肩がめり込んでくるのではないかと言うほどに距離を詰めてきたため、エスピラは王子に対して失礼ながらも話の途中で返事をした。


「私が兵を率いていくことがあればもちろんだが、そうでなくともその時に軍事命令権の持つ人に進言もするよ。安心してくれ」

「助かる。本当に助かるよ」


 カクラティスがエスピラの右手を取って、両手でぽんぽんと握りながら何度も頷いてくる。


「北のオルニー島、南のカルド島。やっぱり気候も土も違うんだろう? ああ、そうだ。マフソレイオも穀倉地帯を多く抱えていたね。交換とかできないかな。カナロイアの漕ぎ手の奴隷とマフソレイオの農業奴隷でさ」


 いや、そもそも私が漕ぎ手の奴隷を売ることを了承させられないか、と至極明るい調子でカクラティスが結んだ。手は握られたままである。


「カクラティスが王位に就けば少しは話が変わるかも知れないけどな」


 手を外すことは諦めて、エスピラは投石訓練の続いている艦隊に目を戻した。


「陛下は元気そのものだからな」


 暗殺の雰囲気が微塵も出ないのは流石エリポスと言うべきか。

 それとも隠れているだけで、隠す技術が流石王族なのか。


 エスピラとしても暗殺を仄めかしつつも本気では言っていない。エスピラ個人としてはカクラティスが王位に就いてくれた方が楽そうではあるが、カナロイアの混乱は望んでいないのだ。


 精強な海軍を持つエリポス有数の都市国家として存在してくれていた方がメガロバシラスの動きも鈍る。混乱の火種も減る。もしも混乱の最中に戦乱の火が来たのなら、折角変わった王位もさらに危うくなるかも知れないのだ。


「元気そうで何よりだよ」


 一昨日の出迎えの宴の時の王の様子を思い浮かべて、エスピラやや疲れた声を出してしまった。


「一昨日のことなら陛下も張り切っていたからね。アレッシアの旅行者はアフロポリネイオ、探求者はドーリス、勉強だけならメガロバシラスに行ってしまう中で久々にアレッシアの高官になり得る人との接点ができたわけだから」


 アフロポリネイオは歴史の古い都市である。神殿も多く、神に関する様々な文献も残っており景色もきれいだ。そして、神殿が大きな娼館になっている所もある。


 ドーリスは少し前まで最強の重装歩兵を持つ国家として有名だった。今でも国家として傭兵事業をしており、外貨をあらゆるところで稼ぎまくっている。国民一人当たりの奴隷の数もとても多い。


 メガロバシラスは現在のエリポスの覇権国家。マルハイマナ、マフソレイオなども含めて様々な土地の情報、生物の知識が残っている。


「期待に応えられるように頑張るよ」


 エスピラはカクラティスの手から自分の手を抜き取った。


「ああ。是非とも。君がタイリー・セルクラウス、いやそれ以上になってくれるなら協力は惜しまないさ。その過程でもし困ったことがあれば是非私と言う友人を思い出してほしいな。知識と経験に対しては高いお金でも人員でも払うとも」


 王族のイケメンが、爽やかなウィンクをエスピラに飛ばしてきた。


 軽い調子には聞こえるが、実際に軽い調子でエスピラをカナロイアに誘い、約束以上のモノを見せてくれたのである。本気なのだろう。


「タイリー様以上とは壁が硬いな」

「城壁は攻めるモノがあるからこそ存在するんじゃないか。誰もタイリー・セルクラウスに挑まないのなら、彼と言う壁は存在しないよ」

「調子の良い人だ」


 またもや溜息交じりに言えば、エスピラの声に反応したかのように妃がくすりと笑った。


 元来調子の良い人なのだろう。

 カクラティスも気にせずに笑っている。


「タイリー・セルクラウスは近親者の婚姻でアレッシアの内側に根を広げた。だが、それが有効なのは半島内に居る間だけだろう? 飛び出した以上は君のような色んな国に行ける者の方がかえってタイリー・セルクラウスと同じような位置まで行けるんじゃないか?」


 なるほど。


「今までは私を一番高くかっていたのはタイリー様だったが、今からはカクラティスかも知れないな」


 最早ため息も出ないよと続けながらエスピラは返した。


「それは無いそれは無い」


 カクラティスが笑いながら手を振り、眼下の艦隊に背を向ける。


「カナロイアは結局のところアレッシア国内がどうなろうと大きく関係するわけじゃないからね。陛下も私も、エスピラが上に立てばラッキー程度で言っているだけさ。まあ、それでもウェラテヌスらしく複数回の執政官にはなって欲しいけれどね」


「ならばその間の資金援助をお願いしようかな」

「執政官は無給だったか。うちも、宰相は無給にしようかな」


 冗談めかしたカクラティスの声に、エスピラも口角を緩めて返す。


「反乱が起きるぞ」

「アレッシア国軍を投入。カナロイアの王にアレッシアに従順なカクラティス王が即位した」

「流石に、それは洒落にならないと思うのだが」


 言いながらエスピラは振り向いたが、妃も口元を押さえて楽しそうに笑っているだけ。側仕えの人もまただと言わんばかりに呆れた目でカクラティスの暴言を流していた。


「お父さんがいつもこの調子だと、君も苦労するな」


 仕方が無いので、エスピラはカクラティスの息子に話しかけた。

 赤子は寝ているだけ。寝息の返事しか返ってこない。


 いや、赤子の代わりに足音がやってきた、と言うべきか。


 すやすやと眠る赤子から離れれば、扉の方で側仕えの一人が外に出ていった。


「親がこの調子だから、余程しっかりとした子に育つかもとは思わない?」


 カクラティスが妃から赤子を受け取り、あやし始めた。

 少し乱雑に揺れているのにも関わらず、ぐっすりと眠っている。


(親を見てしっかりと言うよりも、親を気にしないずぶとい精神を持ちそうだな)


 口にはできないけれども。


 少なくとも、エスピラの長男マシディリは一歳まではひたすらにメルアに抱かれることを好んでエスピラが抱きかかえても泣き止まないことが多かった。次男クイリッタも冷静さや落ち着きを期待する名前に反してエスピラが抱えると泣いた。メルアが抱けばすぐに泣き止むと言うのに。

 長女ユリアンナだけがエスピラでもすぐにあやすことができたのである。


 もちろん、エスピラが下手なだけであり、やっと慣れてきた可能性も高いが。


「殿下。ソルプレーサ様がエスピラ様に伝言があると申しております」


 先程出ていった側仕えが戻ってくるなりそう言った。


「通せ」


 カクラティスが言えば、落ち着いた明るい碧眼の男、ソルプレーサが入室する。


 同盟都市出身であり、エスピラより三つ年上のこの男は、ディティキ攻略戦の折に知り合った男だ。その才能にほれ込んだエスピラがカリヨの嫁ぎ先であるティバリウス家を通じて自身の被庇護者に加えたのである。


「海より理知深き殿下並びに月よりも美しき妃殿下に拝謁できること、誠に嬉しく思います」


 ソルプレーサがまずはエリポス語で上位者に挨拶をした。


「堅苦しい挨拶よりも、エスピラへの伝言を渡してくれ」


 カクラティスが親しみやすい声で言う。


「は。エスピラ様のお迎えが明後日には到着すると先触れが伝えて参りました」


 それでも堅苦しいなとは思いつつ。

 王族の前であり、ソルプレーサが使い慣れているわけでは無いエリポス語だからかとエスピラは納得した。


「分かった。ソルプレーサは、十分にエリポスを堪能したか?」

「できれば、もう少し居たかったのが本音です」


 ソルプレーサの目に宿るのは憂いではなく鋭いモノ。地形の把握、人間性の把握、力関係の把握などにもう少し時間を割きたい、ということだろう。


「ならば残ると良い、と言いたいところだが、そうもいかないか」


 カクラティスがそう言うと、ソルプレーサに向けていた目をエスピラに戻してきた。


「エスピラ。また来ると良い。カナロイアはいつでも君を歓迎しよう」


 そして、拙いアレッシア語でカクラティスがそう言ったのだった。


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