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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
579/1593

酒がこぼれるだけ

 会場には酒の匂いも漂っている。


 大きな樽で、複数の種類を。


 なるほど。これは人が増えても大丈夫なわけだ。これだけの酒を、いや、酒では無く山から湧いた綺麗な水だとしても飲み切れるわけが無いのだから。


「ああ。これですか。皆様の好みが分からなかったため、用意していたらこのような量に。皆が皆、用意してくれたのですよ。この酒がアレッシア人の口に合っていたぞ。いや、こっちだ。そんな風に」


「ドルイド文化の良い点ですね」


 族長が少し黄色い歯を見せて笑った。腰から下げている武骨な剣も揺れている。


「流石はマシディリ様。良くご存じで」


 ちなみに、この会話は後ろでイーシグニスにつけていた通訳がアレッシア語に翻訳してくれている。


「まあ、まずは一杯」


 言われ、一杯だけ受け取る。


「父上はあまり飲まない方でしたので、私もそれに倣っているのですが。まあ、この一杯ぐらいはフォチューナ神も許してくださるでしょう」


 もちろん、運命の女神は飲酒を禁じてはいない。


「しかし、エスピラ様は飲まないだけで他の者が飲むことを禁じてはいないのではありませんか?」


 周囲を見ながら、族長が聞いてきた。

 アビィティロ、ピラストロ、レグラーレ、イーシグニス、アルビタ。連れてきた五人のうち、イーシグニスはしっかりと飲んでいる。飲み比べている。


 が、ピラストロはどこかマシディリを伺いつつ、でも種類を飲んで残りをイーシグニスへ渡していた。レグラーレはそもそも初陣を果たすまでは飲まないとエスピラの子供たちと同じような誓いを立てている。アルビタは無言で立ち、無言のまま北方諸部族から食事を貰っている。彼の内心はホクホクなのだろうが、料理も食べないため周りの者達は困っているようにも見えた。


 そして、アルビタと同じく帯剣しているアビィティロは、帯剣を理由に一切の飲食を断って壁の華に徹している。


「皆、それぞれの意思があるのです。尤も、私は父上のように振舞い、少しでも父上に近づきたいと思ってと言う幼い考えですが。でも、私の一挙手一投足を見て父上を想起していただければと言う思いもございます」


(違いますね)


 これでは、駄目だ。


 マシディリは表情を維持するように気を付けつつ自戒した。


 何だかんだ言いつつ、父を一番頼っているのは自分である。一方ではウェラテヌスと父が等号なのが嫌だと言っているのに、これなのだ。


「現に、父上の威光を示せば私の意見に耳を傾けようとしてくださる方も多いですから」


 しかし、マシディリは好きでは無い言葉を付け加えた。

 これではいつまでもウェラテヌスはエスピラだけなのも自然なことである。


「そうでもありませんよ。皆、マシディリ様だから集まっているのです」


 族長が言って、会場を見渡した。


 大分盛り上がってきているこの場には、多くの北方諸部族の者が居る。肌寒くなってきたと言うのに半裸の者も居り、同時にその格好も正しいモノに感じられるような熱気も出てきた。


「嬉しい限りですね」


 族長が笑う。


「時に、マシディリ様」


 小指が、僅かに反応した。

 鉄仮面に全てを隠し、族長を見る。


「近づきたい、と言うことは『まだ』マシディリ様はエスピラ様では無いと」

「しかし、同じウェラテヌスです」


 張り付いた喉で、答える。

 族長の口に、三日月が浮かんだ。族長の持つ陶器が落ちる。割れる。音が響く。


 瞬間、一気に冷えた。


「ならばエスピラ様になる前に!」


 マシディリは、すぐに手の中の酒を族長の顔目掛けて捨てた。族長が剣を抜く。視界は潰れて。その隙に、マシディリは右足で股間を蹴りぬいた。


 猛烈な足音が三つ。


 マシディリは腰を丸めて崩れ落ちた族長の手から武骨な剣を失敬した。

 振り向く。目に入るのは赤色。オーラ。

 だが、意味は無い。

 マシディリも自身のオーラを剣に纏わせると、向けられた剣を一振りずつ破壊した。


 この歳まで、自分を上回るオーラ量を直接見たことは無いのだ。

 破壊の赤のオーラ使いを集めたところで、マシディリはその全てを上から押しつぶせる。


「マシディリ様!」


 叫び声はアビィティロ。

 周りを見れば、全員が襲われていた。


 イーシグニスはピラストロの後ろに隠れるように動き、ピラストロは皿やコップを使って応戦している。レグラーレは短剣を抜いていた。


 アルビタと目が合う。

 アルビタが、のっそのっそと丸腰の二人の方へ歩いて行った。


 アビィティロは、白のオーラで身を包み、マシディリの方へ突貫してきている。


「何故ですか」


 そう聞こうと思った口は、閉じる。

 やってくるのは人人人。

 狙いは、確実にマシディリの暗殺だろう。だからこそ、余裕は無い。武器を壊しても、奴ら腕を伸ばしてくる。腕を壊しても、足が来る。足が潰れれば歯だ。


 敵地クルムクシュでことに及ぶ。

 即ち、生きて帰るつもりは無い。


(何故っ!)


 あれだけやり取りをしていたのに。


 不慣れなアレッシア語も使ってくれたのに。


 笑顔もあった。確かなやり取りもあった。動けていることから、酒に毒も無く、無理に進めてこなかったから食事にも毒は無いのに。


 迷いながらでも、腕は動く。

 悩んだ一秒で死ぬ。それが戦場だ。

 悩んだ一秒で味方が死ぬ。それが指揮官だ。


「私の主に近づくな」


 マシディリのすぐ後ろに迫っていた兵の首から、血が噴き出した。

 アビィティロが足を払い、倒し、蹴り転がして他の者を下げさせる。


 そして、最初に倒れていた族長の後頭部に踵を落とした。


「マシディリ様。偉いのは、彼で間違いありませんね?」


 やってきた剣を白のオーラを纏った左手で受け流し、一瞬緩んだ隙に持ち主の目に剣を突き刺している。アビィティロの左手から流れた血は、もう止まっていた。


「はい」

「なら、他の者に用は無い」


 首を、胸を、頭を刺す。そこが防がれるようになれば太もも。太ももも防ぐのなら足の甲。そうして相手が動いた隙に急所を突く。自らの防御は考えない。ギリギリでかわすか、僅かに受けるか。そうして血で服をぬらし、布を散らし、それでもオーラを頼みに傷を増やしていく。


 アレッシアの軍団としての戦い方を個人で体現するような動きは、まさに白のオーラ使いの戦い方だ。


 その内、剣戟が増える。

 レグラーレやピラストロ、イーシグニスも武器を手に入れられたのだろう。


 状況把握のために、マシディリが顔を動かせば、ほぼ予想通りだった。違ったのはイーシグニスは長物を奪って酒樽を倒し、それでかく乱していること。

 マシディリ以外ではただ一人の貴族なのに、どちらかと言えば野山を駆け回って石の下の虫を取っているような戦い方だ。


(好感はもてますけどね)


 むしろアレッシア人らしいか。

 皿や酒で援護して、一対一にはしない。自らは逃げ回り、必ず周りに児戯のようで効果的な援護を入れることでアルビタとピラストロ、レグラーレの内の二対敵の一を作り上げている。三人もイーシグニスの意を汲んでいる。


 こちらも同じこと。

 マシディリの赤のオーラで牽制し、白のオーラのアビィティロが突貫する。状況は二対多だが、攻撃する時は必ず二対一。


 そうしていれば、クルムクシュの人も見え始めた。何とかなるかも知れない。


(なんて)


 思考を逸らし、歯を食いしばる。目にも力を入れ、ぎゅっと絞り、剣を振る。剣を振るのに全ての感情が邪魔だ。何もかもを置いておき、目の前に集中しなければこれだけの数を捌けない。


 アビィティロは、歴戦の勇者に揉まれた伝令部隊の中でもエスピラの信任が一番篤い者。

 ピラストロは父であるステッラに厳しく武芸と心を仕込まれている。

 レグラーレはソルプレーサとシニストラが師匠のようなものだ。

 アルビタは、マルテレスの門下生。優秀な弟子の一人。


「あ? 終わった?」


 なんて、イーシグニスが血では無く酒や果物の汁まみれで言うほどには、余裕があった。

 クルムクシュが北方諸部族の監視につけていた兵力が到着するまで堪えることが出来た。


 勝ったのはマシディリ側。負けたのは北方諸部族総勢二十六名。

 六名で二十六名の攻撃に耐えたのだ。大戦果である。大小さまざまな傷を負いながらも、生きているのだ。


 だが、心が晴れる訳が無い。


「アビィティロの、言うとおりでした」


 数多に浮かんだ疑念、汚い言葉、恨み。

 それらを押しのけ、ようやく探し当てた国出来る言葉を、マシディリは吐き出すようにこぼした。


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