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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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呪いを恵み

「お久しぶりですね、エスピラ様」


 そう言って、たおやかな動作でシジェロ・トリアヌスが現れた。


 元処女神の巫女は、此処ではまるで女主人のように奴隷を従えている。衣服も立派なモノだ。豪華な、セルクラウスが好きそうなモノ。ウェラテヌスの趣味とは異なるモノ。


「何故、此処に?」


 エスピラは左手を軽く握った。痛い。革手袋の下についている出来立ての噛み跡が、確かな痛みをエスピラに伝えてきている。


「本当に私に興味が無いのですね。でも、そのようなことも言っていられなくなると思いますよ」


 セルクラウス邸。重婚の許される元処女神の巫女。居座り慣れている態度と、周囲の敬い方。

 すぐに出てくる結論は、一つだ。


「結婚の御予定があるのでしたら、義姉上と呼んだ方がよろしいでしょうか?」


「子を為すべきか否か。そこが迷いどころのようでして。いえ。迷われてはおりませんね。タヴォラド様も私も、二人の間に子を作るつもりは毛頭ございません」


 だから、子づくりの義務が生じる結婚はしない。

 そう言うことだろうか。


「そうですか」


 それ以上に興味は無い。

 あるが、それはあくまでも目的を知りたいがため。しかし、その目的を知りたいと言うのも自惚れに近い感情に基づいているので口には出したくないのである。


「タヴォラド様はどちらに? 証人喚問が終わり次第お伺いするとお伝えしていたのですが」

「お待ちですよ。こちらへ」


 そう言って、シジェロが奥へと進みだした。

 完全に自分の家のように振舞っている。背筋も伸びているし、歩みに迷いが無い。


 タヴォラドの寝室に入るのにも、躊躇いも何も無かった。

 当然、風情も無い。


「エスピラ様が来られましたよ」


 シジェロが、少しだけ優しい声を出した。


「相手にされなかった。違うか?」


 声をかけられたタヴォラドが、寝台から起き上がる。エスピラの記憶にある姿よりも、随分と細くなっていた。少々の心細さもある。だが、目の怜悧さは変わらず、芯もしっかりと残っていそうだ。


「下がれ」


 そのタヴォラドが、手首を二度振った。

 シジェロが頭を下げ、追い払われていく。


「驚きましたね」

「最高神祇官と、処女神の巫女の勧めだ。今のセルクラウスに断るだけの力は無い」


「断る力自体はあるのでは?」

「継母が裏で動いていないと思っている訳では無いだろうな。あの女、最近は誰かれ構わず生気を吸っているのかますます元気になっている。断れば、次はフィルフィア、フィアバ、ティミドが動き出すだろうな。対抗したいところだが、トリンクイタでは何を要求されるか分かったものでは無い。クエヌレスに頼るようではセルクラウスも終わりだ」


「……神殿の、力を削がねばならない、と」

「流石。話が早いな」

「もう一つ越えたらどうです?」


 タヴォラドが鼻で笑った。


「君の力だけで歴戦の百人隊長がウェラテヌスに竈を変えると思うか? 違う。比較するべきモノがあって初めて人は他人の力を認識できるのだ。


 あの時、最も君の近くにいたのはティミドだ。ティミドは明らかに経験で勝っていた。だが、話にならなかった。ティミドも、父上を支えていた優秀な文官だったのにな。それどころか、ペッレグリーノ様と父上と言うアレッシアの誇る戦上手が負けて分解しかねない軍団を君がまとめた。分解しかねなかったアレッシアにまとまるための最初の綱を投げ入れた。


 これが、私の不幸の一つ。


 いずれマールバラに惨敗を喫するとは思っていたが、それがコルドーニだとは思わなかった。サジェッツァの独裁官はもう使ってしまった上に、あの状況で最も戦果を信頼できる者などメントレー様しかいなかった。ならば、私が嫌われ者になり内部を立て直すしかなかっただろう。


 これが、私の不幸の二つ目だ。


 本当は、オルニー島にも君を派遣したかったよ。本当に、アスピデアウスは二番目を維持し続けてきた家門なだけあってかわすのが上手い。前年の失敗を君に被せ、インツィーアで現当主を抹殺する。誰がすぐさまの重責を負わせられる? 誰も、そんなことはできない。

 そう考えると、二つ目はコルドーニとサジェッツァに負けたことになるな。


 三つ目は、オノフリオを失ったことだ」


 オノフリオは独裁官時代のタヴォラドの副官だ。奴隷で軍団を作り、それを統率して戦果を挙げるなどの離れ業をやってのけた優秀な人物である。エスピラにとってのグライオやヴィンドに当たるとも言える人だ。


「まさか、あのような結末を辿るとはな……。一部の者は、散って山賊になった元奴隷をセルクラウスが責任をもって処理するべきだと今もうるさいんだ。もう終わったことなのに、彼らの中では盗賊騒ぎは全てそこに起因するらしい」


 ふう、とタヴォラドが息を吐いた。


(政敵になり得る存在の、優秀な右腕)

 思考に蓋をして。


 エスピラはコップに水を注ぎ、差し出す。礼と共にタヴォラドが受け取り、喉を潤した。


「優秀な息子を二人とも失った。アイネイエウス。マールバラ。カルド島では君も息子を二人とも連れて行っていたが、どちらも名を上げて帰ってきている。その上、私はスピリッテが死にたがっていることを真に理解できなかった。


 不幸とも、違うか。

 おかげで妻も死んだ。流石に、子供たちが立て続けに死んだのは応えたようだな」


 タヴォラドの声が、僅かに変わった。

 表情も少しばかり力が無くなっている。目じりは下がり、口元は閉じ切らず。目の下も重そうだ。


「ただでさえ標的にされやすい大勢力。それを継いだ初期の行動が如何なる想定をも下回る結果となり、後継者も失った。何も言わずに私を支えて来てくれていた妻にも先立たれ、母を悲しませた血がセルクラウスに今も残っている。


 神に祈って残りの生涯を終わらせたい気持ちもあるが、まだそうはいかない。

 だからこそ私は、最期のその間際にあれを妻とするつもりだ。そうすれば、一気にあの女の優位性は失われる。大きな目的は異なれどもその過程では共有する部分も多い。それに、あれも神に愛されている女だ。少しばかり、縋っても良いだろう?


 それが理由だよ。答えになったか?」


「慰みの言葉も用意できないほどに」


 返しつつ、エスピラはタヴォラドからコップを受け取った。

 今度は水を入れずに脇に置いておく。


「久々の元老院はどうだった?」


 タヴォラドは体を寝台に沈めるようにしている。


「当たり障りのないことしか聞かれませんでしたよ。これまでの行動と、どのような環境で人質を生活させていたのか。警備が甘いなどと言われたこともありましたが、アレッシア人としては正しい行動だとすぐに弁護が入りました。

 まるで、何かに恐れているように、ですけどね」


「アネージモ、ブレエビ、エスヴァンネ。君に噛みついた者は皆一気に評判を下げている。他にも大勢、愛人が出来なくなった者が居るからな。誰も、無駄な怒りは買いたくない。

 君に責任を押し付ければフィルフィアやジュラメントが力をつける。フィルフィアやジュラメントに押し付ければ、君の無実が天下に明らかになる。

 程よく疑いあっている状態の方が都合が良い」


「でしょうね。少し、安心いたしました」


 一番気をもんでいたアリオバルザネス将軍の逃亡、その後始末。

 それは、何とかなりそうだと言う見通しが立ったのだ。アレッシアにとってはまだまだ大変な時期が続いているのだが、ひとまずは、と言うやつである。


「形を変えた君への攻撃はまだ続く」

「それも知ってました」


 タヴォラドの忠告に、エスピラはおだやかに返した。

 新しいコップに水を注ぎ、少しだけ頂いている。


「今度は、最高神祇官に君を据えるつもりらしい」


 エスピラの手が止まった。

 表情も引き締まる。目は細く、壁を睨み。


「最高神祇官、ですか」


 間を詰め、そう呟いた。


 最高神祇官。それは、アレッシアの宗教的立場の最上位。

 オプティアの書の管理委員。守り手。神官と経験していれば資格は得られるため、年齢制限は無いが、三十七歳で候補者に名前が挙がることはこれまで無かった役職である。


「いつかはと思っておりましたが」

「今はうまみが無いか。それは、サジェッツァが一番理解していると思うが、違うか?」

「でしょうね」


 だからこそ、今なのだろう。


「アネージモ様の治らない体調不良は、このための布石ですか」


 緑のオーラ使いの腕次第ではあるが、アレッシアに居れば多くの病は癒すことができる。

 しかし、体が弱ってしまえば治してもすぐに次の病がやってくるし、心が弱り切ればタヴォラドの妻のようにもなってしまう。


 なるほど。アネージモは高齢で、精神的疲労も多かった。だから納得はしていた。しかし、演技の可能性も多分に出てきたのである。


 エスピラは、あえて音を立ててコップを置いた。


「最高神祇官はタイリー様の官職。タヴォラド様も欲しいのではありませんか?」


 そして、タヴォラドとしっかり視線が交わった。


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