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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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好敵手の遺した宝物

「彼が」

 と、エスピラが尋ねれば、「そうです」とスーペルが答える。


 ありがとうございますと礼を言い、エスピラは丸腰で椅子に座らされている男に近づいた。


「グノート。アイネイエウスの友の、グノートであっておりますか?」


 そして、ハフモニ語で尋ねた。

 男の髪が崩れる。脂ぎっておらず、顔にも体にもそれほどひどい汚れが見受けられないことから、それなりの扱いは受けているのだろう。


 尤も、タルキウス親子が粗末な扱いをするとは思っていないのだが。


「エスピラ・ウェラテヌスか」


 推定グノートがエリポス語で返してくる。

 彼が確認したのは。紫色のペリースと左手の革手袋、栗毛の髪だろうか。


「近くで見ても、アレッシア人にしては線が細いな」


 アイネイエウスとは何度か直接会っているのだ。

 アイネイエウスの信頼厚いグノートがエスピラを認識していてもおかしい話では無い。


「ですから、こうして剣を連れて歩かないといけないのです」


 エスピラもエリポス語に変えて、推定グノートの前に座る。シニストラはエスピラのすぐ後ろに立った。威圧しているように見えないことも無い。


「お名前をお伺いしても?」


 じろり、と推定グノートが睨んできた。

 重そうな口もゆっくりと開く。


「グノートであっている」


「それは良かった」


 対照的にエスピラは朗らかな笑みを浮かべ、彼に水を、と綺麗な水を持ってこさせた。

 グノートが水を一気に飲む。毒を警戒していないのか、死んでも構わないと思っているのか。恐らく、後者か。


「では、将軍」


 エスピラは、少しだけ体を前に出した。


「いくつか質問しても良いかな? 無論、これまでと被ってしまうモノもあるだろうけどね」


「好きにしろ」

「そうさせてもらうよ」


 にこやかにエスピラは言う。

 グノートの顔は険しいままだ。


「まず、大前提としてアレッシアとハフモニでは既に和約が結ばれたことは知っているかい?」


「ああ」

「捕まる前に、ですよ」


 少し時間が空いた後、また「ああ」と返事が来た。


「それでも戦い続けた、と」

「最後に受け取った命令を遂行したまでだ」


(最後の命令ね)


 それがどのようなものかは推測しかできないが、内容は大事なことでは無い。


「その命令は、アイネイエウスから受けたものかい?」


 大事なのは、こっち。

 返事は肯定。


「それ以降、ハフモニからの命令は途絶えた、いや、命令どころか支援も途絶えた状態で戦い続けたのかい?」


「だったらなんだ」

「すごいことだと思ってね。支援も無い状態で戦い続けることは、そう簡単なことじゃない。難業だ。しかも、国から見捨てられたとも言える状態でも祖国のために戦い続けた。いや、この場合はアイネイエウスのために、かな」


 今度は数十秒待っても返事は無かった。顔もやってこない。そっぽを向いたままである。


 だが、完全なる拒絶では無いだろう。

 体もエスピラとは正面を外してはいるが、足は組まれていない。きっちり閉じてもいない。指も握りしめられている訳でも無く、荒波のような空気も無い。口周りからの推測だが、歯も思いっきり噛みしめられている訳ではなさそうだ。


「私は、何かのために尽くす人が好きでね。君のように限られた条件の中で力を発揮する才能も好きなんだ。特に、アイネイエウスが敗死してから三年弱、講和が結ばれてからも一年半もの間アレッシアを苦しめた人物なんてのは、是非とも近くにいて欲しいぐらいの人材だ」


「アレッシアは、随分と極刑の決断が遅いんだな」


 グノートの目がじろりとやってきた。

 前に出かけたシニストラを、エスピラは手でとどめる。


「停戦協定を無視した戦闘行為の数々。これだけでも重罪だ。その上、こぶであり続けた。そこに居るタルキウス父子だけではなく、イフェメラ・イロリウスの軍もかく乱し、数を減らしながらも戦い続けている。ハフモニで無くとも極刑に処し、蓋をするのが筋じゃないのか?」


「だろうねえ。だが、私は元老院議員でも無ければアレッシアの決断に口を出せる立場じゃなくてね」


「その甘さが、アレッシアの寛容さだとでも?」

「君がハフモニに帰れば、必ず死刑になると言えるのかい?」


 死刑はあり得ることだろう。だが、必ずではあるまい。

 そんな文字を言外に示し、エスピラはグノートに目をやった。


「法。判例。政敵。そう難しいことでは無い」

「私は言い切れるかどうかと聞いたんだ。それこそ、君の名誉にかけて、ね」


「名誉をかけるほどのことだと思うのか?」

「はは。確かに。私の言い方が悪かったな。でも、言いたいことは分かってくれただろう?」


 笑みを浮かべつつ、エスピラは右腕の肘から上を横に広げた。上半身はグノートに向けつつも下半身は逸らす。グノートは、エスピラを一瞥しただけで顔を少しずらしてきた。エスピラの下半身と同じ方向である。


「敗将であり、カルド島で敗れ去った将軍の内生きている者は皆、敗戦をアイネイエウスの所為にしているとは想像に難くない。嫌でも一緒に居た連中だからな。俺も、フィフィットもトランテも悪者扱いしているはずだ」


 フィフィットとトランテもアイネイエウスに忠実だった者だ。

 エスピラとアイネイエウスの明暗を分けたのは、彼ら以外の部分。後ろからの援護と自分に忠実な者以外の軍団の意識の差。そして、出生。


 アレッシアの名門貴族の嫡流であるエスピラと、武の名門の生まれだが冷遇された庶子のアイネイエウス。その差もじわじわと各方面で出ていたのである。


「その上、本国の意向を無視した戦闘行為。マールバラの敗北の遠因の作成。しかも本国の政治家の一部はアレッシアの御機嫌取りをし始めた腐り外道。俺が死なない理由が無い。この首が送ってこられれば、喜ぶ者がアレッシアにも居るだろ?」


 エスピラは笑みの質を変えることで肯定を示すと、牢の入り口で話を聞いていたスーペルを呼んだ。

 スーペルとルカッチャーノ父子が数歩だけエスピラに近づく。エスピラの後ろにいたシニストラも、少しだけ位置を変えた。


「お聞きの通り、敗軍の将として扱えばグノートは処刑されてしまうそうです。戦勝国と雖も、流石に敗戦国の将軍を裁く権利など普通はありませんから」


 アレッシア人に話しているが、エスピラはエリポス語で言った。

 さらにエリポス語のままで続ける。


「ならば戦利品として私が買い取ってしまっても構いませんね? いくら、欲しいですか? 青天井ですよ」


 グノートの眼力が強くなった。

 が、何も言ってこない。


 スーペルでは無くルカッチャーノが口を開く。


「ハフモニの将軍では無く、ただの反乱勢力の頭として見ている、と言う建前を用いるのですか?」

「タルキウスはそちらを使うと良いよ」


 この会話はアレッシア語だ。

 グノートの様子を見るに、理解している様子は無い。眉間に薄く皺は寄っているが、やや耳をこちらに突き出すようにしているのだ。理解していて黙っているのなら、もう少し隠そうとするはずである。


「健康で軍事に関する知識のある成人男性の相場で売っても構わないが、先にハフモニに手紙を送らせてもらう。カルド島で暴れているグノートは、ハフモニの将か。それともハフモニでも裁くべき罪人か。もちろん、威圧的にやらせてもらうつもりだ」


 エスピラは、スーペルの言葉にうなずいた。


「そうされる方がよろしいでしょう。私は、特段焦っておりませんから」


 返答はエリポス語。

 言い終わった後で、のんたりとグノートに顔を動かす。言葉の行き先はあくまでもスーペルを意識したままだ。


「時間が無いのは、グノートです。ハフモニに居る『友人』の話では、政治家に転身したマールバラの成長速度は末恐ろしいそうですから」

「復帰されるのでは?」


 聞いてきたのはルカッチャーノ。きっちりとグノートにも分かるようにエリポス語で質問してくれている。


「グノートだけならね。でも、この男は自分の命を守ることと引き換えに大事なモノを失う様を黙って見ていられない人間だと思うよ」


 どういうことだ、とグノートが低く唸った。


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