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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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半分、分かった

「ほら」

 と、目の少し腫れているスペランツァに蜂蜜につけたパンを渡しつつ、エスピラは自身の唇に人差し指を当てた。


「父を助けてくれたお礼と、恩知らずな父の所業に関する謝罪だよ」


 こくこく、と頷くとスペランツァが受け取ってくれた。

 口にしては小さな一口で、はむ、とパンを食していく。周りに人はいない。シニストラはいるが、奴隷は下げている。


 だからこそ、エスピラは甘くなり過ぎないように飲み物を自らの手で調整してスペランツァの傍に置いた。パンの合間に、スペランツァが飲む。悪くは無いようだ。


「アリオバルザネス将軍の家族の処刑だけは絶対に認められないけど、他に何か私に言いたいことはあるかい?」


 慈しむ雰囲気を維持し続けながら、エスピラは聞いた。

 スペランツァの手が止まる。


 小動物のような丸い瞳が、エスピラを映した。


「怒らない?」


 エスピラも手を止めた。

 それから、崩れていない姿勢を整える。


「私が何故怒ったのかを言ってなかったね」


 声はやさしいものを心掛けて。

 スペランツァは、手を止めて視線を少し下げてしまった。そのスペランツァをほぐすようにと、エスピラは口を動かす。


「スペランツァの言うことも尤もだと思うよ。将来を考えて、人質に意味を持たせるのは重要だ。見せしめを作ることもね。むしろ、私が良くやってきたことを良く学んでくれたね、と褒めるべきだったかな」


 ディラドグマ。串刺しの森。いや、それ以前にも投石機に捕虜を乗せて打ち出しもしたし、情報を得るためにハフモニ人の拷問だって行ってきた。


 意見を取り入れ、有能とあらば財の限りを尽くして出迎え、民には大盤振る舞いを施す。部下の功績にも報いるし、同じ軍団で戦えばありとあらゆる優遇を受けられる。強力な後ろ盾となる。そうした懐の広い為政者としての面と、先ほどの冷酷な処刑人の顔。


 それが、エスピラである。


「でもね、スペランツァ。アリオバルザネス将軍は、家族の死も織り込み済みだよ。覚悟している。その上で祖国を取った。そして、本当に家族が死ねば、その怒りはアレッシアを襲う。従軍中のクイリッタを襲うことになる。

 望んで子を危険に晒したい親などいないよ。特に、愛する者との子ならばなおさらね」


 世の中にはそう言う親がいるのも知ってはいるが。


「それと、見せしめは回数が少ないからこそ効果があるんだ。やりすぎると慣れてしまう。見せしめでは無く趣味趣向に見えてしまう。そうなれば、人は離れるし、敵になる。


 私達は庇護者だ。アレッシアの貴族だ。


 残虐趣味にあってはならないし、人々を慈しまなければならないよ。例え、それが偽りでもね。そう見えるように振舞うのが貴族の務めさ。


 第一、私はあの場で将軍の家族を『ウェラテヌスの人質』と言ったんだ。

 ウェラテヌスの名は軽くない。罪のない者を庇護し、受け入れることで名はさらに重きを為すようになる。


 寛容さもまた美徳だよ、スペランツァ。

 笑って受け入れよう。安心して戦おうと言ってあげよう。


 何より、君達の先生じゃないか。その家族を殺すなど、言ってはならないよ」


 はむり、とパンを咥えたスペランツァがゆっくり頷いた。


「半分、分かりました」

「半分か」


 まあ、それで良いかとも思いつつ。


「母上も、貴族らしからぬ行動は嫌います」


 畑仕事を絶対にやらないのは貴族らしくない行動の筆頭じゃないかい、とは口に出さず。

 エスピラは、あいまいに頷いておいた。


 半分分かりましたか? とスペランツァが聞いてくる。

 半分分かったよ、とエスピラは返した。


 言いたいことですが、とスペランツァがすっかり流れかけていた主題に戻してくる。


「先生の逃亡には、多分、父上の予定を知っていた人が関わっていると思います」


 聞きたかったことをきちんと言ってくれるあたり、やはり私とメルアの子は天才だな、と頬を溶かしつつ、エスピラは脳内を回転させた。


「私の予定、か。つまり、私を本当に貶めるのが目的では無い、と」


 それどころか、エスピラとアスピデアウスを再びぶつけるのが目的かも知れない。

 そうして得られるのは、時間。猶予。第三勢力が動ける状況。


(インテケルン)


 マルテレスの謀臣インテケルン・グライエト。

 真っ先にエスピラの内に名前が挙がった彼は、しかしエスピラの予定を知りえない。ロンドヴィーゴとの接点も、遠すぎる。


「カリトン様やピエトロ様も怪しい、と?」


 こく、り? とスペランツァが頷いた。頷いてから、また上目遣いでエスピラの様子をうかがっている。


(そんなに怖かったかな?)


 もちろん、聞いたとしても怖かったとの返事しか返ってこないのだろうが。あるいは、もういつもの少しのおふざけの入った返事になるのか。


「十が最高だとすれば、一か二ぐらいの怪しさです」


 スペランツァが小さく言い、またパンをかじった。


「血縁と言う意味での身内を除けば、エリポス方面軍の誰か、か」


 カリトンは一番可能だが、一番疑われる。何より、利益が無い。

 ピエトロはアレッシアで情報の行き来を担当している。時間を取られる不利益が一番大きい。

 ルカッチャーノはカルド島、ジャンパオロはテュッレニア。いずれも多忙の身だ。

 アルグレヒトに裏切られれば、どのみち終わる。


 他に、強力な地盤を有している者は。


「フィルフィア、か」


 フィルフィアの兄タヴォラドは予定をうっすらとは知っている。フィルフィアと良くアレッシアを論じるようになったジュラメントも、ある程度は知っているはずだ。


 そして、タヴォラドの信頼厚い身内と言うこと以外に、フィルフィア自身が誇る強大な地盤が無いのも確かだ。


「伯父上はエリポス方面軍では無いのではありませんか?」

「情報を知る手段はいくつも持っている。私が特定しようとしても時間がかかりすぎるからな。時間が狙いなら、例えアリオバルザネス将軍の逃走が失敗しても目的は果たせる」


「でも、逃走は成功しましたよ?」

「成功したからと言って、成功の確率が高かったとは思わないよ。カリトン様も居て、私の被庇護者の多くも居る。その中で成功だけを前提に作戦を立てられないはずさ。確証を得られない限りはね」


 ただ、アリオバルザネスは確証を得て動いたのだろうなとも思っている。いや、彼の場合は確証では無く自信か。


「伯父上が時間を得ることで手に入れられるモノは何なのですか?」

「タヴォラド様も無視できない基盤だろうね」


 エスピラも、自分にりんごジュースを注いだ。

 自分の考えを整理するためにも、言葉に出す。


「スピリッテ様が亡くなった今、セルクラウスに有力な後継者はいない。フィルフィア様は十歳以上タヴォラド様から離れているし、子も健在。正統にもなれるが、タヴォラド様はパーヴィア様の血が入った者がセルクラウスを継ぐのを良くは思っていないからね」


「そうなのですか?」

「そうなのですよ」


 実際に、タヴォラドが言っていた話でもある。


「それが、今回と関係あるのですか?」


 スペランツァがパンを置いた。

 エスピラは、スペランツァとは少し外れたところに視線を固定する。


「私は南方。グライオとアルモニアはプラントゥム。ルカッチャーノもスーペル様もカルド島。マシディリはプラントゥム後方。クイリッタはエリポス。ファリチェはアレッシアを動けず、ジュラメントもナレティクスを本格的に治めるために忙しい。

 仮に、北方諸部族で失態が起こった時、状況によってはウルバーニにティミド様が噛みつく可能性も高いだろうな」


 第二次ハフモニ戦争前、タイリーの次に北方諸部族に関して強い影響力を保持していたのはバッタリーセ・クエヌレスだ。

 そのクエヌレスの現当主であるウルバーニが今も北方諸部族に関わるのは当然の流れでもある。


 が、一方でそのバッタリーセの妻はタイリーの娘でもあるプレシーモ。そのプレシーモはバッタリーセ存命中から死後までクエヌレス内部では絶大な権力を保持しており、ウルバーニは何もできなかった。異母弟であるティミドが、誰も裁定者が居ない場合はウルバーニよりも自分がと思うのも無理はない。


 ウルバーニも、失態を演じているのだから。自分と同じだと。むしろ家門としてはクエヌレスよりもセルクラウスの方がと思っていても変な話では無いのだ。


「ティミドの伯父上のなけなしの土地と、フィアバの伯母上の土地。パーヴィア様の土地にフィルフィアの伯父上の土地が加われば、タヴォラドの伯父上も無視できないと言うことですか?」


「まあ、ね」


 エスピラは、愛息と目を合わせた。


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