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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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目的のために、目的を見失って

「食事、身なり、そして女。この三つを刺激してやりつつ権力をちらつかせれば大抵の男は身持ちが崩れる。ああ、いや、そっちの周りが特別なだけだからな。エリポス方面軍の高官にそんなことをすれば、こっちが食われる。格上とやる趣味は無いんでね。その時は責任の生じないところにお願いしますっ」


 イーシグニスが、び、と姿勢を整えながらふざけてきた。


「ご安心ください、イーシグニス様。その時には、私がマシディリ様に責任が生じないように切り捨てて差し上げますから」


 レグラーレの言葉に合わせて、ピラストロがイーシグニスの尻を蹴り上げた。素っ頓狂な声をあげ、イーシグニスが尻を抑えて跳ね上がる。


「話が違うっ」

「上から目線」

「すみませんでしたぁ!」


 多分、冗談だろう。

 口角を引きつらせながら、マシディリはそう思った。レグラーレも別に娼館でマシディリに上から目線で話したことだけで此処まで脅せると本気では思っていないはずだ。


「おもてなしはイーシグニスにお任せいたします」

「ういっす」


「上から」

「はい! 喜んで、全身全霊でマシディリ様のために北方諸部族の方々を饗応いたします!」


(冗談、ですよね?)


「食事の方は、ほどほどでお願いいたします」


 マシディリは、表情を整えながら言った。

 尻を抑えてやや涙目のままイーシグニスが顎を引く。


 イーシグニスの視線を受け止めてから、マシディリは部屋の中を見渡した。


 ユリアンナと同い歳の、マシディリとの学友とも言えるレグラーレ。

 百人隊長としてエスピラの信頼が厚いステッラの息子ピラストロ。

 娼館大好き貴族の息子イーシグニス。

 マルテレスの弟子としてはマシディリとほぼ同期で、その後はマシディリについてきたアルビタ。


 居るのは、この四人にマシディリを加えた五人だけ。

 情報が漏れる心配は限りなく低い。


「言うまでも無いことかもしれませんが」


 此処から始めるのは、目的の共有。


「大事なのは時間を得ることです。本格的な懐柔には時間がかかりますし、今アレッシアで人質生活を送っている者達が部族に帰った後で力を得るまでにも時間がかかります。その間に民を抑えること。北方諸部族から牙を抜くことが目的です。


 そのために腹を満たす。


 幸いなことに父上はカナロイアのカクラティス殿下と親交を温めるためにたくさんの農耕の知識を文章として集めておりました。カクラティス殿下も自ら発展させたそれを父上に返還しております。私の任地での経験もあります。


 北方諸部族の食糧事情を改善させることも、その夢を見させることも不可能では無いでしょう。

 そして、土地が富めばわざわざ武に頼らずとも良くなる。むしろ、腹が減り、満たすためには危険を承知で他の者から奪う方が効率が良い山間の部族に狙われやすくなるはずです。


 ならば、防衛が必要となる。

 少人数での防衛は、アレッシアの対人兵器が効果的。


 そうなれば、ますますアレッシアに依存せざるを得なくなるでしょう。


 私達が知識を共有するだけで、北方諸部族を懐柔するための時間を稼ぐことができ、取り込むことができるのです。


 そのために、少数の者を選び、おだて、特別感を与える。北方諸部族はドルイドで繋がっておりますから情報も共有される可能性が高いでしょう。だからこそ、少数の者にしか教え無くとも北方諸部族全体が富むことになるのです。


 彼らは、味方になりえます。

 その味方に手を貸すのは当然のこと。


 その意識だけは忘れないでください」


 見渡して、一度言葉を締める。

 次の発するのは言い訳。無理矢理な理屈。法の抜け穴だ。


「仮にことが軌道に乗る前に露見した場合の釈明ももう一度共有しておきます。

 私の職責は、プラントゥムへの食糧の安定供給。そのために数々の開発を計画しておりますが、それらはいずれも後背地であるクルムクシュの安定あってこそのモノ。オルニー島をアレッシアが抑え、プラントゥムへと続く陸地もアレッシアが抑えました。ならば、最大の懸念は北方諸部族。その北方諸部族の安定に寄与するのも私の職務の一環です。


 何せ、今年の財務官に北方諸部族担当は居ないのですから。

 最北でも、テュッレニアまで。ジャンパオロ様の下に居るだけ。

 故に、これは私の職務に含まれているのです。


 そう、お伝えください」


 少し苦しいかも知れない。

 だが、嘘は言っていない。


 引き下がらなければ、その時はその時。さらなる釈明を、マシディリ自身が重ねるだけ。マシディリの下に直接来てもらうだけ。


(大丈夫。絶対に、うまく行く)


 マシディリは、左手首を掴んで心の中で唱えた。

 ぐぐぐ、とさらに強くも握って行く。


「父のように」


 その小声は誰にも届かず。


 マシディリ・ウェラテヌス十六歳。

 同じ歳の頃のエスピラはと言えば、まだタイリーに従いつつ、ウェラテヌスに残ってくれた奴隷へのこれまでの賃金とこれからの賃金の自力での支払いに目途が立ち始めた頃。優秀ではあると知りつつも、多くの者が手を差し伸べることは無かった時。


 即ち、自分の力だけでまだ何かができることは無かったのだから。


 今のマシディリは、同じ時の父よりも周りからの評価が高い。そのことに、マシディリは気づいていないのであった。


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