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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
565/1596

任地で、父の

 ど、とマシディリの体からあらゆるものが抜けて行った気がした。


 しびれに似た温かさが、ようやく手足に通る。未だになれない。戦場よりも、この、父の。エスピラ・ウェラテヌスの醸し出す威圧に。普段の父との差に。


(まだまだ、足りない)


 これでどうしてウェラテヌスと等号で父上が結ばれるのが嫌だと言えるのか。

 明らかに、自分とは違いすぎるでは無いか。


 そんな感情を、何とか仮面の下に押し込める。


「しかし、べルティーナ様では無くべルティーナ、ねえ。わざわざ言い直したか」


 マシディリの感情に気が付いているのかどうかは分からないが、またエスピラの雰囲気が大きく変わった。

 マシディリの口も少し尖る。


「様付けで呼ばれたくは無いそうです。普段から言っておかないと、つい出てしまいますから」

「随分とべルティーナのことを考えているな」


「そう言う訳では」

「良いことだよ、マシディリ。妻は大事にしてし過ぎることは無い。裏切られたら、その限りでは無いけどね」


 一瞬の冷却。

 もう一度父を見た時には、既に朗らかなモノに戻っている程度の変化である。


「クイリッタも元気そうだよ」


 朗らかどころか、弟妹と従妹弟が遊んでいる庭を母を抱えながら見ている父の雰囲気にすら振れている。


「それは良かったです」

「無駄な喧嘩もしていないみたいだからね」

「それは良かったです」


 二回目は、明らかに心から出た安堵のため息であった。

 エスピラはもちろん、シニストラも少し笑っている。


「文句はたらたらだったよ。

『我らが大将は進取の気性に富むが、その目は常に曇っている』

『我らが大将は常に功名を立てることを夢見ているが、軍才は目を見張るほどに少ない』

『我らが大将は向上心を育んでいるが、心が硬く乾いているため何も吸収できない』

 ってね」


「それは……」

「あと、クイリッタは新兵たちに人気らしいね。なんでも、遠征先で良い娼館をすぐに見つけてくれる、と」


「はは…………」


 マシディリは、思わず謝りかけてしまった。

 何をしに行っているのか。そう問いたくもなるが、あの聡明な弟のことだ。本当に、取るに足らない戦争になっているのだろう。


「このままではアスピデアウスだけが得する戦争になりそうだね」


 父が呟いた。


「何故ですか?」


 息子が聞く。


「メガロバシラスは、勝てるかもと思う。アレッシアも別に私やマルテレスの派閥の者を出すまでも無いと考えだす。そうなれば、決着を求めるメガロバシラスの大軍に対して、エスヴァンネ様とフィルノルド様、ヌンツィオ様を合同して当てれば良い。そうすれば勝てる。アスピデアウスで、勝てる」


「アレッシアの勝利です、父上」


 少しの勇気を持って言った言葉は、苦笑と共に受け入れられた。


「そうだな。その通りだ。そんな戦いなら、アリオバルザネス将軍も死なずに済む。良いことづくめだよ。本当に」


 エスピラの目が細くなった。

 どこか遠くを見ているようにも感じられる。


「アリオバルザネス将軍は、大事な人材だ。将来を考えても、まだまだアレッシアに居てもらわねば困る。ヴィルフェットも直接教えてもらわないと」


 今はアグニッシモとスペランツァと一緒にディファ・マルティーマにいるけどね、とエスピラが続けた。

 ニベヌレスの次期当主とウェラテヌスの双子も、仲は良いのである。


「マシディリが居るからウェラテヌスの将来は安泰だよ。でも、ウェラテヌスだけでは成り立たないからね。だからニベヌレスにも、この機会に兄弟家門のような関係にしておきたいと言うだけさ。

 ああ、今すぐにマシディリに全てを預けるわけじゃ無いから安心してくれ。まだ私も現役で居続ける気だよ。追放中だけどね」


 だからゆっくりと力をつけてくれ、と。

 妻との関係も大事にするんだぞ、と、エスピラが締めた。


 それから、また父の表情が真面目なモノに変わる。視線も下へ。畑の土を値踏みしているようにも見える。


「心配はしていないよ、マシディリ。

 半島とプラントゥムを陸路で繋ぐのなら、此処は必ず通らなければならない道だ。そこを三つの植民都市で抑える。実に良い計画だよ。距離もエリポス方面軍なら一日でたどりつく距離。そうでなくともアレッシア軍ならば三日。海からも、さらに内陸からも。北方諸部族が移動してもプラントゥムから出てきても対応可能な立地だ。


 しかも、そこまでの大包囲を築かない限りアレッシアからの補給が途絶えることは無い。

 そこまでの大包囲を計画しているのなら、その前にアレッシアが察知できる。


 見事だ。

 多くのアレッシア人がこの偉大さに、奥深さに気づくのはしばらく後だろうけど、将来的には誰もがマシディリに敬服する。私が保証するよ」


 流石はエスピラ様とメルア様のお子です、とシニストラが大真面目に言った。

 世辞などでは無く、本心からだと良く分かる声と態度である。


(将来、ですか)


 嬉しい言葉だが、欲しいのは『今』。


 初陣を果たした。財務官にもなった。結婚もした。

 それでも、全ては父エスピラのおかげである。


 ならば、自分は父とウェラテヌスの威信を下げないためにも、自分への取り計らいが公平であると示すためにも力を発揮しなければならないのだ。示さなければならないのだ。


 それが、妻べルティーナを守ることにも繋がる。


 妻としての情はまだ薄くても、べルティーナは寝床を共にした女性であり、妹の親友だ。マシディリにとっては十分に庇護対象なのである。


「マシディリ」

「はい」


 名を呼ばれ、慌てて、されど常通りになるように返事をした。


「此処が安定するのは、本当に助かるよ。プラントゥムへの進出だけじゃない。北方諸部族への圧にもなる。


 あまりこういうことは言いたくないが、ウルバーニだけでは少し頼りなくてね。あまりディファ・マルティーマに置いておくと警戒もされるしフィアバ様の機嫌も損ねるからティミド様を向かわせもしたが、うん。心配だよ。あの方は裏方に回ればこれ以上ないほど心強いけど、表に出ようとすれば、それは失敗を招く。ウルバーニで制御できるとも思えない。


 そこで、此処が安定して、アレッシアも戦場をエリポスにし続けることができればそれだけで大きな圧になるんだ。


 ハフモニ周辺も安泰とは言えず、プラントゥムも未だに小さな反乱が多い。メガロバシラスは軍事大国で、少しでも弱みを見せればマルハイマナが剣を持って立ち上がる。


 北方諸部族は眠ったままでいて欲しいのさ。取り除けば山から別の部族が下りてくる可能性もあるからね。静かにしていて欲しい。そのためにも此処のアレッシア化は大歓迎だよ」


 まだ続きそうな雰囲気があったのに、エスピラの言葉が途切れた。

 マシディリは、思わず少し大きな動作をしてしまう。エスピラが苦笑した。


「いや、言わずとも分かっていたな、と思ってね。ハフモニでは、マールバラが政治家転向を果たしたらしくて。少々、誰かと話していたい気分になっていただけだよ」


 そう言えば、落ち着くためには関係のない話を、とも言っていたな、とマシディリは思いつつ。

 それも父上が自分を慰めるためにでしょうか、とマシディリは思ってしまった。


「心配しないでくれ、マシディリ。子供の件も了承している。悪しく言う者が居れば、私が許さないとも。それに、すぐ授かれば、孫にとって年下の甥か姪も複数人出来てしまう可能性があるからね」


 はは、とエスピラが笑う。


「父上」


 マシディリは、ため息交じりに言った。

 ただし、マシディリに同調してくれる者は近くにはいない。


(父上が全知全能、か)


 そんなことは無いな、と、マシディリは思った。


 弟妹は可愛い。が、父母の子づくり予定など聞きたくも無いことの上位である。


 そのあたりが父は良く分かっていない。しかし、知れば知るほど父は父親と言う概念を知らないのである。母親も分からない。健在の両親が何かも分からない。義父も、即ちマシディリにとっての祖父もどうだったのか。母の嫌悪具合からは、到底母が隔離されていた恨み以上のものを感じ取れる。邪推してしまう。母の機嫌を崩すこと。即ち、父に対して。


(その母上は、父上以上に親との触れ合いが無かったのでしたね)


 エスピラとメルアが普通だと思って育ったマシディリ達よりも、両親は家族について知らないのである。


 ならばマシディリも父に対してどうこうと強く言うことはできなかった。


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