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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
560/1592

イヨウ

 人。人。人。


 アレッシアには人が満ちており、気温を何度も上昇させていた。特にウェラテヌス側が用意した会場、運命の女神の神殿と処女神の神殿の人の入りは異常である。朝からウェラテヌス邸の台所だけでは無くトリンクイタやタヴォラドに頼んで紹介してもらった露店商たちを総動員しても、まだ働き続けているほどだ。


 初夜などのイメージから結婚式の本会場にはならない処女神の神殿にもどんどん人が増えているのが今回の結婚の豪勢さを表していると言えるだろう。


「人が多いな」


 当然のことを呟いて、エスピラは一から素材にこだわり、今回の結婚式で最も財を使って出来た衣服をまとっているメルアを抱き寄せた。


 主役はマシディリとべルティーナと言っておきながら、これである。


「しかし、マシディリも孝行息子だね」


 嫌な顔をしつつも大人しくなったメルアを通り越し、その後ろ、他の者がメルアにぶつからないように立っているシニストラに声を投げる。


「私たちの結婚式も、きっとウェラテヌスに財があれば処女神の神殿とフォチューナ神の神殿が使われていたはずだよ。しかも、盛大にね。何せ私とメルアはどちらもフォチューナ神の信奉者だから」


 もちろん、エスピラもマシディリがそこまで考えて信奉する神を選んだとは思っていない。あの時のウェラテヌスに財が有っても、どのみちメルアのお披露目にはならなかったとも思っている。


 が、巡りあわせは巡りあわせだ。


 良い巡りあわせを持っているマシディリは、神に愛されているとも感じているのは事実である。


「流石マシディリ様。エスピラ様とメルア様の血を引いているのが良く分かります」


 シニストラが大真面目に言ってくる。


「ねえ。それは、私たちの結婚式が嫌な思い出だとでも言いたいの? それとも、マシディリを利用しているの?」


 メルアの不機嫌な声がすぐにやってきた。突き刺されたのは、もちろんエスピラである。


「まさか。メルアと居る時の思い出は基本的には良い思い出ばかりだよ。まあ、若いころはメルアが本当に不倫したんじゃないかって気が気じゃなかったけどね」


 悠々と返しつつメルアの頭頂部に顔を寄せるも、腹にメルアの手が刺さった。


「マシディリの方を聞いているのだけど」

「もちろん主役はマシディリさ。ただ、思ってしまうぐらいは良いだろう? それに、そう勘違いする者も居た方が気兼ねなくマシディリの結婚式を盛大なものにできるしね」


 最早、国の一大祭事と言っても過言では無い規模なのだ。

 その規模を九人の子全員にできるかと言えば申し訳ないが無理なことであり、アスピデアウスが相手だからと言うだけで無い理由も欲しいのである。


「まあ、思ってしまったのは事実だよ。利用している、と言われればそれまでかも知れないけど、どちらかと言えば勝手な願望かな」


 小さな声で呟いて。

 メルアの手も、エスピラから離れた。ただし、体は寄りかかってきてくれている。


「そう」

「そうさ」


 返して、奥へ。

 お祝いの言葉などを受け取りつつ会場の準備を確認を進める。当然、常駐神官などのお偉方も出てきた。他の神殿の者にも挨拶をする。


 そうなれば、最高神祇官が来るのも当然のことではあった。


「お久しぶりです、エスピラ様。この度はご子息マシディリ様の結婚、父に代わり誠に誠にお喜び申し上げます」


 しかし、挨拶にやってきたのは最高神祇官アネージモ・リロウスの息子ヴィアターノ・リロウス。エスピラとはタヴォラドの子スピリッテが率いる軍団の軍団長補佐として戦場を共にした仲だ。


「久しぶりだね」

「はい。父は、このところ体調が思わしくなく、今回も直接挨拶にいけないのを深く恥じ入っておりました」


 聞きつつも、エスピラはソルプレーサをちらりと見た。


 ソルプレーサも報告漏れなどでは無く、アネージモが大きく体調を崩している訳では無いと伝えてくる。

 あるいは、此処に来ることで体調が悪くなるのか。それとも緑のオーラ使いを呼んでいないだけであり、体から来る慢性的な不良なのかも知れない。


 何はともあれ、祝いの言葉の返礼に気遣う言葉を渡して、エスピラは処女神の神殿を離れた。


 次の行き先は処女神の神殿に行く前にも確認した運命の女神の神殿。

 アレッシアの有力者、それも並大抵のでは無くまさに時代を代表するような有力者の関わる婚姻では神殿の行き交いは良くあることだ。出発は夫となる者の信奉する神殿。信奉する神殿に居る妻を迎えに行き、処女神の神殿で神託を受け、夫の信奉する神殿に戻る。最後に、住まいへ。


 それを、少しだけなぞってみたかった、と言うのもある。

 エスピラもメルアも、マシディリと同じく運命の女神を信奉しているのだ。仮に今、式を挙げるとしてもおかしなルートでは無い。実際に、疲れが見えるメルアを一度休ませるために寝室へと行くのだから。


「問題は無いな」

「そう言いきれるあたり、お兄ちゃんもウェラテヌスだよね」


 家で子供たちの着替えを見てくれていたカリヨがため息を吐いた。

 視線の先には書斎。そこで山になっている帳簿。今日の出費。


「まさか此処まで人が集まるとは思わなかったよ」


 カリヨのため息が深くなった。

 そんな妹を横目に、エスピラは楽しそうに笑う。


「二つの主要街道が完成間近だからね」


 アレッシアと二つの都市、半島随一の繁栄を誇るディファ・マルティーマ、戦争前まで半島第二の都市だったアグリコーラ。この二つの近辺にはウェラテヌスの被庇護者も多く住んでいるのだ。


「おかげで、運命の女神の神殿も此処も、見劣りしないだろう?」


 処女神の神殿は、本当に誰でも入れる結婚式場なのだ。

 それに比べて、新郎側の運命の女神の神殿はウェラテヌスに近い者が多くなる。夫婦が最後に到達するウェラテヌス邸は、より関係者だけになるのだ。


 この調子なら、新婚夫婦に合わせて多くの人が移動する必要はなさそうである。いや、できない、と言った方が的確か。


「ウェラテヌス此処にあり。私だったら、実力行使も現実味を帯びてくるかな」

「物騒だなあ」


「何言ってるの? 私がアレッシアの高官だったらお兄ちゃんを除くのに、って話だよ」

「物騒だなあ」


 今度は顔はそのままに彩度を落として言った。


「アスピデアウスは二番手で居続けるから。ウェラテヌスは度々没落するから。タルキウスは武に偏重しているから。だからこその地位でもあったのに、最近変わってきているんだよ。特にウェラテヌスは。鷲の跡を受け継ぐのは獅子だなんて、中枢からすれば脅威でしかないよ」


 エスピラは笑みに近い表情のまま口を閉じた。口角はしっかりと上がっている。

 ゆるり、と口を開いた。


「今日は結婚式だぞ、カリヨ」


 カリヨがエスピラとはまた違う薄ら寒い笑みを浮かべた。


「酒と豊穣の神の楽しい宴を」


 そして、笑顔を作り直して去って行く。


「自分の信奉する神ぐらい名前で呼べ」


 妹の背に届かない呟きを向けて。


 エスピラは、自分の部屋へと足を向ける。扉を開ければ、瞬き一つしないのではないかと言うような状態のメルアと目が合った。寝台に横になっているが、その体勢で固定されていると言われても信じてしまいそうなほどである。


「疲れはとれたかい?」


「あら。始まってもいないのに?」


 それもそうだ、と笑って、エスピラはメルアの手を取った。


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