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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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生じるモノ

 別邸に入ったところで、エスピラにできることは何もない。

 ただただ不安な気持ちそのままに歩いたり、椅子に座ったり立ったりを繰り返すのみである。


 一応奴隷に詩の朗読をしてもらったりもしているが、聞けていない。


「初陣と、どちらが緊張します?」

「今」


 スペランツァの言葉にも余裕なく即答する始末だ。


 慣れるものじゃない。


 七回八人の経験があっても、危険は危険なのだ。愛妻の命がかかっているのだ。


 当然、赤子の命もかかっているが、一番大事なのはメルア。メルアこそがエスピラの生きる理由。

 右手は常に口元にあると言ってもあながち間違いでは無く、時折唇を叩いてもいる。


「父上」


 エスピラとは対照的に真っすぐに座ったままのスペランツァが再びエスピラを呼んできた。エスピラも視線を向ける。足はほぼ閉じられたまま。


「そこまで不安になるのでしたら、何故子を作られるのですか?」

「避妊をしないからだ」


 声に落ち着きがあるスペランツァとは対照的に、アグニッシモは庭で必死に祈りを捧げている。だが、捧げているのは自身が信奉している戦の神。少し違うのではないかと思わないでもない。


「何故避妊をしないのですか?」


 メルアが嫌がるからだ。

 だが、なるほど。確かに動物の一部を愛妻との間に挟むのは今更ながら嫌な気持ちが湧き上がる。


「メルアを愛しているからだな」


 結果、エスピラは答えを濁した。


「政略結婚?」


 スペランツァが首をかしげる。


「そうだ」


「?」


 スペランツァの首がさらに倒れた。いや、体を倒している。


「一つの家門による独裁を恐れていた者達によって最盛期を誇りながらも最も欲していた建国五門との婚姻が出来ていなかったセルクラウスと、何もかも失い名しか残っていないため力が欲しかったウェラテヌス。その両家門の結びつきだよ」


 ますますスペランツァが傾いた。

 最早、椅子に横になっているに等しい。


「そこまで考える必要は無いよ、スペランツァ。結婚できていなくても、メルアは私の子を産んでくれていたさ。それも、全員ね」


「その時には父上にも別の相手が居て、母上にも別の相手がいるのでは?」


「関係無いさ。何もね。むしろその架空の相手とやらが別の相手を作ってくれている方がありがたいね。そうなれば、仮にそうなったとしても私はメルアを堂々と連れて歩ける」


 うわ、と声がした。

 声の方を見れば、チアーラが侮蔑的な色を浮かべ、エスピラから距離を取っている。


(流石に)


 傷つくなあ、と。愛娘に思いつつ。


「チアーラ」


 ユリアンナの低い声が部屋を冷やした。

 チアーラが慌てて姿勢を整え、頭を下げて走り去って行く。


「ちょっと『教育』してくるね」

「そんなことしなくて良いよ」


 エスピラは、ため息交じりにユリアンナを止めた。

 長女の極寒の瞳がじろりとチアーラが過ぎ去って行った方向を凍り付かせる。


「父親にとっては辛い限りだけど、そういう時期もあるらしいからね」

「でも、父上。母上がそんな理由で許すと思う?」

「今はそれどころじゃないだろ?」


 瞳をいつもの子供たちの中心の花に戻しつつ、ユリアンナがソファに座った。末のフィチリタがちょこん、とユリアンナの傍に座る。メルアになれているからか、メルアが母親だからか。それともユリアンナのああいう顔もよく見ているのか。まったく怖くは無いらしい。


「姉上。姉さんの言葉で父上の気も紛れたらしいので、良いのでは無いでしょうか」


 スペランツァが手を使わずに体を起こしつつ言った。


「痛みで上書きしたのは紛らわせたとは言わないの」

「でも、父上はディファ・マルティーマで腹を切ってました」

「あれからしばらく母上の機嫌が悪かったのを忘れたの?」

「父上反省してください」

「その流れで私に来るか」


 真顔で言ったスペランツァに、エスピラは肩を下げながら応えた。

 目は、すぐにメルアが居る部屋の方向へ。あわただしい人の動きはほとんど見えない。多くが慣れていると言うのもあるが、エスピラとしても今日を想定して作っていた部屋だ。


 チアーラに、まだ作る気なの? と冷たい視線を貰いもしたが。


(思えば、あの夜にチアーラの目が真っ赤になって瞼が腫れていたのはメルアに叱られたのではなくユリアンナに叱られたからだったかも知れないのか)


 ふと、そんな考えが頭をよぎった。

 同時に、どこかで自分が叱らないとメルアやユリアンナが代わりに叱り続けることになるのかとも不安になる。申し訳なくも思う。


「もう少しメルアにやさしくするべきだったか」


 いや、何を弱気なことを。

 死ぬわけじゃ無い。死なない。大丈夫だ。

 そう思いながらも、エスピラは思わず右手で唇をいじってしまっていた。


「父上、流石に、それは、その」

「やりすぎ、ではないでしょうか」


 ユリアンナとスペランツァの十分すぎますよとの言葉も、エスピラの眼前を滑って行くだけ。


 しかし、それでも永い時を経たあとの元気な赤子の泣き声はしっかりと耳に届いた。


 顔を上げ、安堵の息を吐きだす。

 ただし、一瞬だ。顔はすぐに険しくなるし、フィチリタはぐずりだす。そのフィチリタを撫でつつも、エスピラの思考はもちろんメルアに。


 無事だとは誰も言っていないのだ。


 生まれただけ。赤子は無事だが、果たして母親は。


「生まれた?」


 そんなエスピラの耳に、今度は祈り続けていたアグニッシモの声が届いた。


 生まれた! と叫んで室内に突撃してきたのであろう足音も届く。するり、とスペランツァがエスピラの前を影となり通り過ぎた。双子がぶつかる。否。アグニッシモが土塗れの姿でスペランツァに抱き着いた。


 うっまれた、うっまれた、とアグニッシモの声に合わせて双子の歓喜の舞が奏でられ始める。エスピラの目じりも下がった。そして、冷静になったからこそ、静かに近づいてくる奴隷の足音を感知する。


「旦那様」


 呼ばれ、エスピラは顔を向けた。

 ユリアンナも奴隷に顔を向けている。双子は踊り続け、フィチリタは奴隷を見つつも顔を動かしている。


「無事、生まれました。母子ともに健康です」


「そうか」

 と、エスピラは思わず大きく息を吐いてしまった。


 元気な女の子です、と奴隷が続ける。また少し、エスピラの体に力が入った。表情にも気を配り始めてしまう。


「そうか」


 声は、普通に。


「母上と同じですね」


 九番目の子が、四人目の女の子。

 エスピラも意識したことを、しかしエスピラとは違って晴れやかな顔でユリアンナが言ってきた。


「そうだな」


 言いつつ、エスピラはユリアンナも撫でる。今回は「子供では無いのですよー」と言う声は聞こえなかった。

 エスピラの顔もユリアンナにはいかない。


 それから、と目を伏せたような状態で奴隷が口を動かし続ける。


「奥方様が、お呼びです」


 エスピラの手が止まった。


「メルアが?」

「ご安心ください。奥方様はご無事です。今は、少々会うための準備をしておりますのでまた呼びにまいります」


 そんなことを言われても安心できるはずが無い。

 メルアは、会える距離に居ても出産後もしばらくはエスピラに会ってくれないのだ。いつも籠っている。生まれたばかりの子供とはすぐに会えるが、最愛の妻とは中々会えない。それが普通。メルアから拒絶してくるのが普通。


 にも拘わらず、今回は。


 当然、呼ばれるまでも気が気では無く、呼ばれてからもエスピラはすぐに駆けだしはしないものの全てを押しのける勢いでメルアのいる部屋へと向かったのだった。


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