表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
554/1592

間の悪い男

 何とも間の悪い男だ、とエスピラは思った。


 誰に対してか。


 それは、目の前で地面に頭を擦り付けているウルバーニ・クエヌレスに対してである。


 乳母曰く、今のメルアはいつ陣痛がやってきてもおかしくはないのだ。だと言うのに、こうも慌てて駆けこんでくるとは。エスピラに余裕が無い時期に慌てた様子を見せるとは。


(いや、神々に呆れられたのは私か?)


 思い、視線をずらす。その先にはズィミナソフィア四世とカクラティスがエスピラが耕している畑を見ながらお茶をしていた。アレッシアの朋友マフソレイオの女王とエリポスの古豪カナロイアの王子が畑仕事を見ながらのんびりお茶をしているのである。


 話は適当だ。


 カクラティスなんかはエスピラの畑仕事の様子を手馴れてないなと笑っているし、昔エスピラが用意してあげた本だと言うのにその知識をこれでもかとひけらかしてきている。

 ズィミナソフィア四世に至っては欲しければいくらでもお渡しいたしますのに、なんて口に手を当てて言うのだ。


 もちろん、真の用件は違うだろう。


 ズィミナソフィア四世はメルアの御機嫌取り。出産に備えてメルアに色々尋ねつつ、エスピラにとって初孫に当たる息子のお披露目に来たかったらしい。が、メルアが一枚上手。生まれた直後の子は旅できないと教えなかったため、置いてこざるを得なかったらしい。


 カクラティスは、本当はマシディリの結婚式に出席したかったらしく、その開催時期の探りにも来ている。ついでに、立場をどうするべきか迷いながら来ているようだ。


 この点はズィミナソフィア四世が上手だったか。彼女がエスピラの下に居るのなら、カナロイアも旗を変えづらい。暗殺未遂の件もあるし、ディラドグマ殲滅戦の後で一気にドーリスにまくられた苦い過去もあるのだ。


 そう考えれば、メルアの功績だろうか。

 ズィミナソフィア四世を呼び寄せ、カクラティスに此処で無為な時間を過ごすか立場をはっきり表明するかをある意味で迫ったメルアの策略が一番か。


(何か、メルアが喜ぶことをしないとな)


 義務感では無く、純粋に感謝を伝えるために。


 ふう、と妻に対する愛おしさを顔から消すためにエスピラは息を吐いた。

 ウルバーニの肩が揺れる。


「正直に、何をしたのか。君の口から聞きたいな、ウルバーニ」


 ちちうぇっ、とフィチリタの口がふさがれたような声が後ろの別邸から聞こえてきた。

 乳母、いや、口を塞ぐのであればユリアンナがやったのだろうか。


「私の従兄弟が」


 この場合の従弟とはあくまでもクエヌレスの一門を指す言葉であり、実際の従兄弟では無い。


「マシディリ様の御父上がエスピラ様では無いと言う、鎧を着たまま湖に入るようなことを言っておりました。謝ってどうにかなることではございませんが、誠に、申し訳ありません」


「一応、今のクエヌレスに対してはウェラテヌスも大分便宜を図ったと思っていたのだけどね。残念だよ、ウルバーニ。君の従兄弟の言葉は、マシディリだけではなく私もメルアも愚弄するモノ。まさにウェラテヌスを敵に回す発言だ。


 ただ、それは私の発言の後のモノじゃないかい?」


 アビィティロとソルプレーサからもたらされた情報によると、ピエトロが件のクエヌレスの者に対し、エスピラからの伝言として『残念だよ、ウルバーニ』と言ったらしいのだ。


 そうなれば、時系列的に従兄弟の発言に対してかかっていないことになる。


 それとも、常日頃から言っていることをウルバーニは把握していながら放置していたのか。


「仮に、従兄弟の発言の前にエスピラ様が残念だと申していたのでしたら、私にも言い分がございます」


(分かっていたか)


 ピエトロが咄嗟に吐いた嘘だと。

 それとも、そうだと言う確証を得るためのかまをかけてきたのか。


「バッタリーセ様亡き後、クエヌレスはあの女によって何とか支えられてきたような、逆に言えばあの程度の女に乗っ取られるような家門です。その力が強いと言えますか? 言えるわけがありません。


 エスピラ様。

 エスピラ様がお引きになり、北方に残ったのはティミド様とクイリッタ様。どちらも名門の血が流れておりますが、片や謹慎処分を食らったことのある者であり、片や未成年。しかも、今年は二人とも北方にはいない。


 ならばジュラメント様の誘いに乗るのもまた致し方が無いことだとは思いませんか?


 あの方もエスピラ様の義弟。ならばエスピラ様の支持基盤を受け継ぐ正統性はもっております。しかも、イフェメラ様を抑えている。エスピラ様の意思を受け継げる者の中で一番の武力を有しているのです。違いますか?」


「イフェメラは私を裏切らない」


 エスピラは静かに告げた。


「エスピラ様は裏切らない、の間違いです」


 ウルバーニが目を充血させるような熱量で返してくる。言い返してきた後で、左の口角が持ち上がった。


「エスピラ様の目は節穴では無いはずです。カルド島で、イフェメラ様はどのような様子でしたか? 何故従兄弟がエスピラ様を怒らせることを知りながらマシディリ様を軽んじたのですか? 


 エスピラ様。

 イフェメラ様が忠誠を誓っているのは貴方にであって、アレッシアでもウェラテヌスでも無い。ウェラテヌスがエスピラ様だけを指さないのであれば、あの男が素直に従うでしょうか。あの男は、懐が広くもありますが同時に狭いのです。特に、貴方に関しては」


「ウルバーニ」


 エスピラの喉が、地底の音色を奏でた。

 眼力強くエスピラを見ていたウルバーニの顔から一気に色が失われる。顔も下がった。また、額に土がつくのだろう。


「私を案じての言葉だと信じて、先の発言は何も問題視しない。これは約束だ。


 だが、場所を考えろ。

 この近くにいるのは誰だ?


 マフソレイオの女王とカナロイアの王子だ。まだ揺れている存在だ。


 追放された者の派閥がまた割れそうな様子を目の前で見ればどう思う。何が起こる。

 それが分からぬ君ではあるまい」


 エスピラは立ち上がった。

 瞬間、あ、と言う愛娘ユリアンナの声が届く。小さな足音も近づいてきた。音を見れば、四歳になる愛娘フィチリタがエスピラに向けて駆けだしてきていた。


 真顔を維持しつつも空気をやわらげて、エスピラはフィチリタを迎え入れる。

 後ろではユリアンナが眉間にうっすらとしわを作り、口を閉じていた。目はやや下に。手も握られつつ、時折緩み、やはり握られていた。


「行っちゃだめ」


 愛娘の言葉に疑問符を浮かべつつも、エスピラはフィチリタをやさしく抱き上げた。

 安心させるようにしっかりと密着もさせる。子供らしいあたたかな体温がエスピラにも伝わってきた。


「どこにもいかないよ?」


 背中をさすりつつ、もう一度ウルバーニを見下ろす。


「悪いね、ウルバーニ。少しくつろいでいてくれ」


 子供たちによって声が溶けないように気を付けつつエスピラは言った。


「ちちうえ。急いで。ははうえが痛い痛いなの」


 思わずフィチリタに回している手が強くなった。

 ひゅ、と体も冷える。呼吸は、どうやってするんだっけ。


「陣痛です、父上」


 ユリアンナが、静かに言ってきた。

 最初にフィチリタが呼びかけたのは、それを伝えるためだろう。ユリアンナが止めたのは状況を見てか。それでも、やはりすぐに知らせて欲しかった思いはある。


 メルア以上に大事なモノは存在しないのだ。

 それぐらい、ユリアンナも理解してくれているはずである。


(いや)


 確かに。

 先に聞いていれば、ウルバーニどころではなくなる。

 そしてそんな扱いをされればウルバーニも良くは思わないだろう。決定的な亀裂を生みかねなかっただろう。


 エスピラは痛がったフィチリタをあやすように揺らしながら、ぐるぐると円を描くように歩きだした。


「聞いての通りだ、ウルバーニ。すまないね。今の私には、何も手に付かないよ。大事な話のところ、悪かったね。

 だが、今でも言えることはある。北方諸部族は君が主体となって差配してくれ。それに変わりはない。引き続き、アレッシアのためにその力を発揮してはくれないか?」


 最後はやさしく。


「仰せのままに」


 ウルバーニも、決意をにじませた声で返してきてくれた。


「頼むよ。まあ、今は少しゆっくりしていく良い。ちょっとした休暇だと思ってくれ。ああ、何かあれば、また後で聞こう。本当に悪いね」


 では、と早口になった言葉を締めて。

 エスピラは、別邸に急ぎ足で戻って行ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ