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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十五章
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マシディリと言う旗

「後継者争いは不快、か。本当にエスピラ様は『不快』と述べられたのだな?」


 すっかり情報のまとめ役となったピエトロが、ヴィエレを見た。

 エスピラと共に戦った軍団の最高齢のピエトロと、年少に類するヴィエレの仲が良いのはマシディリもしっかりと実感している。


「当然だろ。あ、ですよ。この両の耳で聞いたんですから」


 ピエトロが小さな唸り声を出しつつ顎下の髭をいじり始めた。

 中指だけが一定の間隔で小さく髭をなぞっている。顎は引き気味。腕は組まれて。


「完全に額面通りに取る必要は無いと思います」


 その中でマシディリは地図をまとめるとピエトロに体を向けて言った。

 ピエトロの顔が少し上がり、マシディリと視線が合う。


「父上はあの場でエリポス人に痛烈な一撃を加えることを考えている旨を話されておりました。ですが、父上の支持者にはエリポス贔屓の者も多くおります。そう言った、言い方は悪いですが余計な支持者を減らしたいと思っているのでは無いでしょうか。

 自国を第一にできない政治家は売国奴、国家の敵、ただの歪な侵略者です。そのような方々が大きな顔をするのは父上も望むところでは無いでしょう」


(父上がサルトゥーラ様を認めているのも、サルトゥーラ様がエリポスを嫌いだからかも知れませんね)


 絶対に阿らない人物。

 それがサルトゥーラだ。

 もちろん、『絶対』では無く、時と場合に因っては阿ることもあるだろうが。



「ほら、髪色が全然違うだろ」


 話を続けようとした時、そんな、たどたどしい北方諸部族の言葉が聞こえてきた。


「でも、色々な言葉が分かるんだろ?」

「あほ。そんなの、誰だって学べば出来る。親が違うんだよ」


 マシディリは、せっかくできた地図に皺が出来ないように丁寧に机に羊皮紙を押し付けた。

 視線は変えない。かたすぎるかもしれないが、どこに動かすこともできず、ただただ机に。


 ピエトロが、髭から手を下ろすのがなんとなくわかった。


「悪口なら混ぜてもらおうか」


 そして、良く通る声が鼓膜を大きく揺らす。


「なんつったんすか?」


 唸りながらマシディリを抜かそうとしたヴィエレに対し、マシディリは左手を伸ばして止めた。だが、それより先にピエトロがヴィエレの首根っこを引っ張り、引き戻している。ヴィエレは「ぐえ」と情けない声を出して足をもつれさせていた。


 ふん、とピエトロが鼻を鳴らす。


「金玉のついてない奴の話なんか聞かなくて良い」

「わーお。奥さんに言っちゃお」


 ヴィエレが服を整えつつピエトロを茶化した。


「人に聞こえるように悪口を言っているくせに面と向かって言えない玉無し野郎の話だ。誰が妻を蔑んだ」


 ピエトロがヴィエレを睨み、ヴィエレが戯れに肩をすくめてマシディリを見てきた。マシディリは苦笑いしか返せない。そうしている内に、今年になって伸ばし始めた髭に手を伸ばしていたピエトロが「いや、待てよ」とまた手を下ろした。


「おい。クエヌレスの」


 ピエトロが男を呼び止めた。

 周囲に居た北方諸部族らしき者たちも良くないことが起こっていることぐらいは分かるのか視線を少し下げ気味にしている。


「エスピラ様からウルバーニに伝言があってな。『残念だよ、ウルバーニ』。そう伝えてくれ。あと、これは私からの忠告だが、エスピラ様が直接伝えずに私たちを介した理由をきちんと考えた方が良い。多少なりとも恩義を感じているのならな」


 行け、とピエトロが右手の甲を見せて乱雑に振った。

 呼び止められたクエヌレスの者は何も返事をせずに去って行く。止まったことから、本当にクエヌレスの者だったらしい。


「勝手に父上の名を使って良かったのですか?」


 見送ってから、マシディリはピエトロに尋ねた。


「これぐらいならエスピラ様もお許しになるでしょう」

「多分、母上の方がお怒りになると思います」


 鷹揚に、音も無く。そうだなと言わんばかりにピエトロが頷いた。目は深く、マシディリに。


「その通りです。エスピラ様を騙れば、メルア様の方がお怒りになられる。逆にお聞きいたしますが、マシディリ様はあのメルア様がエスピラ様以外に体を許すとでも思っているのですか?」


 私が生まれる前のことは、良く分かりませんので。

 そんなことを容易に言える雰囲気では無く。


「マシディリ様。貴方は少々周りを気にしすぎる癖があります。何を気にする必要があるのですか。彼らは、悪口によって人を傷つけ自身の品位を下げるだけでなく、己の見る目が無いと自ら伝えてきてくれているのです。良いことでは無いですか。手間が、省けます」


 ピエトロが奴隷を呼ぶ。

 伝えたのは飲み物の用意。即ち、少し腰を据えて話そうか、と言う意思表示である。


「お心遣い感謝いたします。しかし、私を旗にするとはそういう話です。私の出生について悩むのは振る側のお話ではありませんか?」


「私は何も悩みません。どこに疑いの余地があるのか、皆目見当もつきませんから」


 マシディリの目が僅かに大きくなった。が、口は一層引き締まる。

 意図的にでは無い。ほぼ自然な流れで、内からのモノに従った結果だ。


「この一年、マシディリ様と居りまして分かったこともいくつかあります。それから、エスピラ様に苦言を呈され、エスピラ様に一時は罷免することも考えられていたことがある私だからこそ、マシディリ様に伝えたい言葉も見繕ってあります。


 マシディリ様。確かに十六年生きてきて、十六年言われ続けてきたことをすぐさま変えるのは難しいことでしょう。ですが、マシディリ様が出生を疑うと言うことは同時にエスピラ様とメルア様を疑うと言うことにもなります。信用していない、嘘を言っている。二人は嘘つきだ。


 その意図が無くともそう言うこと。『その意図が無くともそう言うこと』。


 仮にマシディリ様がエスピラ様に敵意を持ったことのある集団の長であれば、どこかでこの言葉が渡されたことでしょう。

 そうでは無いとしても、我らが振る旗になっていただくのであればその意識を持っていただきたいのです」


「あ? マシディリ様が不適だって?」


 ヴィエレがピエトロの肩を思いっきりつかんだ。ピエトロの体が動く。が、ピエトロ自身の意思では動かさなかったようだ。


「私には君達と違って時間が無い。エスピラ様ならばまだ十年待っても戦えるが、私には十年後は分からない。既に神の御許に居る可能性の方が高いのだ。だから、マシディリ様に全てを懸けるしかない。そう言うことだ」


 ピエトロがヴィエレを見て言い、ゆっくりと視線をマシディリに戻してきた。いや、新しい設計図を取り出し、そこに既に目が行っている。


(時間がかかるのなら、父上にもお見せして……いえ)


 父に見せれば、確かに資材の調達は楽になるだろう。

 だが。


「財務官は、私です。私が支持を得なくては」


 マシディリも、ピエトロが取り出した設計図を見て腰を落とした。


「それが焦りと言うモノです」


 騒ぐヴィエレを無視して、ピエトロも座りなおすような動きをしている。

 ヴィエレも「ああもう」と言い、足を大きく上げつつもどっかりとピエトロの横に座った。


「計算上では一万さえ集められれば、アレッシアが四個軍団を形成し、こちらまで来る時間を稼げます。ただし、相手がマルテレス様やイフェメラ様ならば、ですが。いえ、マルテレス様はすぐに退くでしょうね」


(あの方のすごいところは、突撃と撤退だけで誰とでも戦えるところですから)


 攻める時と堪える時を間違えない。敵の状態だけではなく、味方の状態も把握しているのだ。それも、戦場で。自らも剣を振りながら。


「イフェメラも敵か」


 ピエトロが設計図に指を押し当てた。


「念のためにすぎません。マルテレス様も同様です。私だって、敵対したくはありませんから」


 マシディリはピエトロの指先を見ながら返す。


「エスピラ様ならば落とせるように見えるのは、あえてですか?」

「そこは設備ではどうしようもありませんから」


 どうしても、現地民の力を借りざるを得ない以上は。


「ならば甬道ようどうを作り、目をそらして置くべきでしょう。試してみてもよろしいですか?」


 赤のオーラを使うマルテレス様に、わざわざ資材を使って道を覆っても意味ありませんからねえ、とヴィエレが言った。同意されたようなものではあるが、やはりピエトロはヴィエレに対して反応していない。


「あまり派手にはしたくありません。計画がある、程度にしてもよろしいでしょうか。


 名目は、あくまでもオルニー島の穀物をメガロバシラスに回すため。そのためにオルニー島無くともプラントゥムの軍団が物資に困ることが無いようにするための後背地整備です。

 物資を多く使いすぎれば、それだけ元老院からも警戒されてしまうのではありませんか?」


「無理しなくても良いが念のため、と言うことにいたしましょう」


「調整はピエトロ様にお任せいたします。トリンクイタ様の酒宴で、フィルノルド様はこちらにも大分協力的になってくださりそうですから」


 父上とサジェッツァ様が、自分とべルティーナ様の結婚式の打ち合わせを行うがために一時的にマシディリもアレッシアに帰った際の酒宴ももう一月ほど前の話になるのか、と思いつつ。


 マシディリは、新兵としてそろそろトュレムレに向けて出発したクイリッタにも思いをはせたのであった。


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