連携強度
「しかし、エスピラ様にも義弟がおりますよね?」
フィルノルドが音楽が佳境になったところで聞いてきた。
あえて、だろう。
「ヴィンドは非常に優秀な若者でした。私は、全幅の信頼を置いておりましたよ。それこそ、グライオと同じぐらいの。そして、それ以上に重要な場面で力になってもらうつもりでした。まさにヴィンドの動き次第で命運が分かれるような、ね」
「そうですね。『軍団の者の結婚が決まっていく中でカリヨ様の婚姻は決まらなかった』。そんなうわさ話も元老院では良く耳にしますから」
「聞き捨てならない言葉ですが、今、フィルノルド様がその言葉を選択されたことを苦々しく思う方もいるのでは?」
言いながら、エスピラはフィルノルドに分かるようにエスヴァンネに視線を送った。
互いに決定的なところは口にしない。でも、言いたいことは良く分かっている。
「訂正いたしましょうか」
先に目を閉じる形で視線を切ったのはエスピラ。
ゆったりと座りなおしつつ、少しだけ姿勢を楽に、崩しているのは変わらない。対してフィルノルドもエスヴァンネもしっかりと、かっちりとした姿勢で座っている。
「貴方がたと張り合える程度の実力をジュラメントは有しております。戦争に備えてイフェメラと、イフェメラを通じてフラシ騎兵を手に入れました。歩兵統括としても平民の取り込みとしてもディーリーは優秀です。貴族を批判したい者達の矛先になりにくい有力貴族のフィルフィア様も同じ派閥。女性を使い、各地に情報網を整備しつつもあります。
自らが上に立たないと言う制約を受け入れることでジュラメントは一気に勢力を伸ばしました。
足元をすくわれないようにお気を付けください。
サルトゥーラが戦うのは、果たして誰になるのか。それを見誤らないように」
エスヴァンネが視線を下げた。誰にも当たらないようにしているが、背筋はしっかりとしたまま。足も閉じている。
エスピラと会話をしていたフィルノルドは僅かに目が細くなっただろうか。手は変わらず、姿勢も不動。
踊りの方は、今人の入れ替えと衣装の着替えが行われているようだ。
間をつなぐように、別の奴隷が力強い詩の朗読を行っている。
酒宴は、まだまだこれからだ。
「そのためにジュラメント・ティバリウスを飼っていたのですか?」
奴隷がまた踊りのために並び始めたところでフィルノルドが言ってきた。
「失敬な。私としても、エリポスに渡った当初からすれば予想外に過ぎますよ」
「ですが、剣を持たないマルテレス様では時間稼ぎにもならないでしょう」
「たまたまです。フィルノルド様が警戒するような事態であるとすれば、それこそ神々の恩寵ですよ」
エスピラ様が言うと洒落になりませんね、とフィルノルドが酒を口にした。
踊りを見ていたマシディリの体が会話に戻ってくる。マシディリが飲んでいるのもお酒では無い。りんごジュースだ。
「叔父上が父上から半ば独立した勢力と化しているのなら、サジェッツァ様も使いやすいのでは無いでしょうか。イフェメラ様は父上の信奉者の一人ですが、その周りは大きく様相が異なっておりますから。対メガロバシラスに対する予備戦力として申し分ないと思います」
「と、私の後継者が申しております」
おや、これでは私はメガロバシラスとの戦後交渉に干渉できませんね、とエスピラは肩を揺らした。
イフェメラが何を言ってもジュラメントが私に通したくは無いでしょうからね、とも続ける。
「今回の軍団にはクイリッタ様も加わっております。そのクイリッタ様は、北方諸部族との交渉で大いに役立ったとか。そのクイリッタ様伝手に」
言葉の途中でフィルノルドが口を止めた。ヴィエレの口から警戒音が漏れる。犬歯も。
理由は聞かずとも分かる。
会場が一気に静まり返ったからだ。
おやおやおや、とトリンクイタも作り物の笑みのまま、まるで困っているかのような声を出している。ただ、肘が体にくっついており、腕と体の間に空間が無かった。本当に予期せぬ客なのだろう。
「随分と、派手な集まりですね」
静まり返った原因は発言の主、サルトゥーラ・カッサリアがやってきたからに他ならない。
冷たい印象を与えかねない瞳はエスピラに真っすぐ向いており、端正な顎も程よく引かれている。最初に出会った頃より日焼けが薄いのは、最近は事務仕事が主流だからか。
「宴を開くなとは申しませんが、追放中にこのように派手に遊ばれては元老院も黙っていられませんよ」
人混みをかき分けて、否、人混みが割れて、その中を一本の芯が背中に通ったサルトゥーラが進んでくる。まっすぐに。引き締まった体を伴って。
ああ? とヴィエレがそのサルトゥーラを睨む。が、その視線上にトリンクイタが入って来た。
「勘違いされてもらっては困るなあ。この宴は、私が開いたモノなんだ。確かにエスピラ君のような実力者が開くような宴だけど、私だって開ける。私の功績だよ、サルトゥーラ君」
しかし、参加者は誰であれ歓迎するよ、とトリンクイタが両腕を広げながらサルトゥーラに近づいた。
「トリンクイタ様が主催だとは知っておりますが、エスピラ様を餌に釣ったのでしょう。それは困ると申しているのです。何故だか忘れられておりますが、エスピラ様は追放中の身。こうも自由に動けること自体がおかしな話だとは思いませんか?」
「発言する時と場所を考えろ、サルトゥーラ」
トリンクイタの出迎えを真顔で受けているサルトゥーラをエスヴァンネがねめまわした。
もちろんサルトゥーラが動じることはない。
「慎みを持つようにと、今エスピラ様に告げなければならないと思ったため此処に参りました」
それどころかサルトゥーラがはっきりと言い返した。
「そのまま返すぞ」
エスヴァンネが喉を鳴らす。
サルトゥーラは変わらない。目は、エスピラに。
「島の大部分を買い取り、別荘を建てて畑を耕しながら悠々と暮らす。これだけでも多くの者が想像する追放とは大きく異なります。元老院はエスピラ様に財の制限はしておらず、元老院からの追放だけであるために違法性はございません。ですが、貴方への追及を一時的に止められただけ。説明責任はまだ残っているはずですが」
エスヴァンネが立ち上がる。
フィルノルドは真顔であるが確かに怒りが全身からあふれ出していた。
そんな中でエスピラは愛息を観察したが、マシディリの目は僅かにサルトゥーラから外れている。
どこに?
少し、ずれたところに。
そして、エスピラが止める間もなくマシディリの視線の先、クイリッタがガラスの器に入っていた何かの液体をサルトゥーラの足元にぶちまけた。
「おっと失礼。視線の大部分を奪われ、正論をたてながら人をどかして悠々と述べる。いやあ、悪くはありませんが無粋と言うモノ。楽しい酒宴を一時的に止められただけとは言え、酒が不味くなってしまいました」
けたけたけた、と愉快そうにクイリッタが笑った。
隣で笑っているのは、リロウスに近い女。最高神祇官アネージモの子にしてスピリッテの率いていた第四軍団の軍団長補佐ヴィアターノ・リロウスの妻の妹だ。
当然のことながら、クイリッタとは歳が離れているとも言える。
ヴィアターノはエスピラと同い年なのだ。即ち、あの傍らの女が本当に近づきたかったのはエスピラである可能性も高い。事実、エスピラはあの女から物を貰っている。中にクロッカスが入っていたかは、エスピラの近くではユリアンナしか知りえないが。
「クイリッタ」
満を持してマシディリの低い声が発せられた。
サルトゥーラはクイリッタに顔を向けただけで止まっている。兄に注意される形になったクイリッタは酔ったように手を大きく横に振り、また別の女性に支えられていた。
「解散! かーいさん。兄上に露見しちゃったし、酒も不味くなったからね。解散解散。またね。また。ええ。また」
それから、半ばの千鳥足で周りにいた女性を追い払っている。
「きっつ」
ユリアンナが、本気で嫌な顔をした。クイリッタに対して侮蔑的な声もぶつけている。
「なんだって?」
クイリッタがユリアンナに矛先を変えた。
サルトゥーラをごく自然に抜かしてこちらにふらつきながら向かってきている。
「いやいや、きついでしょ。兄さんは自分が人気でもあるつもり? 勘違いしない方が良いと思うなー。人気なのは、父上と兄上でしょ? 兄さんなんて、ねえ」
「あ?」
「ほらー。凄むことしかできてない」
「二人とも」
マシディリが目を閉じてため息交じりの声を出した。
クイリッタもユリアンナも、似たような首の角度で斜め上に顎を動かしている。
エスピラは、口角を上げながらため息を吐いた。
何をするべきか。いや、子供たちが何を訴えてきているのか。
それが分かったからである。
「全く。喧嘩するなら帰ると言ったよな。ウェラテヌスの恥を見せるな、と」
両ひざに手を置き、エスピラは立ち上がった。
マシディリも続く。
「お先に失礼いたします」
エスピラは頭を下げ、つん、と顔を背けているクイリッタの前まで進んでいった。しゃがみ、横抱きにして立ち上がる。
(流石にもうきついか)
持ち上げるのが。
暴れているようでその実自らバランスを取ってくれている愛息にそんな感想を抱きつつ、マシディリに連れられてきたユリアンナを待ってエスピラは会場を後にしたのだった。




