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詭弁

「マフソレイオとの協定は不服だと?」

「まさか。朋友であれどもしっかりと互いの立ち位置を確認するのは大事なことですから」


 本当は締結されてもいないマフソレイオとの協定が、将軍の中ではすっかり締結されているものになったらしい。


 エスピラはそのことを確認して、第一段階はなったとコップを傾けた。


「不服なのはマフソレイオが戦いを起こすことです。互いに協力するのは当たり前ではありますが、アレッシアのうまみは減ってしまう。ただ、マフソレイオも好戦的な国家ではありませんから。朋友と何らかの関係にあるならば、攻撃は諦めてくれるでしょう」


 将軍が鼻を鳴らす。


「それこそ陛下に言うべきだ。私に決定権など無い」


 どっかりと将軍が横向きに座った。

 その体勢で、果物にむさぼりついている。


「ですから、それでは遅すぎると申し上げましたでしょう?」


 聞いていない風に見せながら、将軍の目は僅かにエスピラの方へと動いていた。

 エスピラもその動きは見逃さず、続ける。


「交友の薄い国が睨まれているから動かないだろうと言う話よりも、叩かれて動けない方がアレッシアとしては安心なのです。いえ。アレッシアの一部の者にとっては、と言い換えるべきでしょうかね。アレッシアも国家の御多分に漏れずに一枚岩ではありませんから」


「マフソレイオの使節団が帰り次第、攻撃が始まると? それをわざわざ伝えてくることに何の利益がある」

「私の立場は先に説明した通り。アレッシアに流れ込む支援は多い方が良いと言う立場です。朋友たるマフソレイオには戦争で疲弊してほしくないのです」


「身勝手だな」

「ええ」


 父がアレッシアのためにと家族のことを顧みずに家門を傾けた者。そんな傍から見ればどうかと思うような人物を私は尊敬しているのです。身勝手にならないはずが無いでしょう、とエスピラは続けて。


 ゆっくりと搾り果汁を飲み干した。


 おかわりは要求しない。


「備えを十全にすれば戦いは挑んでこないだろうと? それこそ、甘い考えでは無いか?」

「もっと楽な方法がありますよ」


 エスピラは将軍をしっかりと見据えた。

 こっちを見ろと、言外に圧を籠めて。こちらが上だと言わんばかりに。


「伝令をアレッシアの元老院に派遣するのです。内容は、マフソレイオに攻め込まないようにと伝えて欲しいというもので良いのではないでしょうか。あるいは、ディティキ攻略の祝い。遅れたのは服従しているわけではないから、多少無礼を働く必要があったと。この場合は、狙いはメガロバシラスとアレッシアが手を結んでマルハイマナを攻めないように、ですかね。


 マルハイマナが三つも四つも戦線を持つことを避けたいと言うのはアレッシアだって分かっております。


 その避ける戦線がアレッシアになりそうなのであれば、アレッシアも喜んで手を取るでしょう。条件は何だって良い。マルハイマナはアレッシアにとってはまだ遠い国家。そこまで頓着しませんよ」


「勝手な行為は陛下が納得しない」


 正確には、将軍の政敵が、だろう。

 マルハイマナにとってみれば辺境の枯れ果てた土地とは言え、重要な拠点だ。そこに、経験豊富な下士官と共に居座る将軍は厄介な相手。できれば、自分の息のかかった者に変えたい。


 他国との勝手な交渉は、格好のエサとなるのだ。


「兵の一部を陛下に援軍として送りましょうかと申してみては? この地では兵の維持も大変でしょう。遠くから食糧を運ばねばなりませんから。運ぶための人員、馬、ラクダに必要な食糧、金を考えれば負担は膨大なはず。


 それを、僅かな兵と言葉で軽くできるなら大きな功績では?


 一代でマルハイマナを大きくした偉大なる陛下なら、軍団を維持し続け戦線を増やす動きをすることが愚かで、将軍の行いが賢いとわかることでしょう」


 勝手に将軍がエスピラの提案を飲んだ体にしてエスピラは語った。

 周りからは異論を挟むような空気は出ず、将軍自身からも何らかの突っ込みは出てこない。


「マフソレイオと仲が良いエスピラ殿の提案でなければ、であったな」


 やがて、将軍がひげを触りながらそう言った。


「兵を減らしたところでマフソレイオが攻めてくると。疫病がすぐに収まるのは、私たちが元気なのが根拠に成り得る。だから準備は整っているはずだ。ええ。尤もな考えです。尤もすぎて、容易に予想が着くほどに」


 後半になるにつれてゆっくりと言って、エスピラは羊皮紙を取り出した。

 マルハイマナの言葉で書いたその手紙を、エスピラは静かに将軍に渡す。


「建国五門を御存知ですね? アレッシアで今最も力のあるセルクラウスですら無視できない名門のことです。御存知で無いとしても、調べればすぐに分かりますよ」

「エスピラ殿も建国五門の一つであろう?」


 将軍がエスピラを見ながら、手紙に目を落とした。


「ええ。だからこそ、良く知っているのです。彼らの中にはアレッシアの貴族は我ら建国五門しかないと思っている輩が居ると。今の、建国五門のうちアスピデアウスしか他の貴族の連携が無くとも力があると言える家門が無いことを嘆いていると。古き良きアレッシアを取り戻したいのに取り戻せない、と」


 エスピラは身を乗り出し、将軍の耳に唇を近づけた。

 やや汗臭い匂いが、エスピラの鼻にたどり着く。


「彼らにとって、マルハイマナと言う他の貴族は関りを持てていない国と関りを持てると言う蜜は、それだけで美味しい物ではありませんか?」


 それだけエリポス語で言って、エスピラは将軍から離れた。口元を右手で隠す。


「リスクが大きくは無いか?」


 エスピラは、マルハイマナの言葉で返す。


「執政官に着くような、現状でも既に十分な力がある個人は抜いてありますよ。いるのは、一門として力を認められていないと嘆いている者や、偉大な家父長に認められていない、自分の力はこんなもんじゃないと思っている者。


 そのような者たちを、砂糖で漬けて美味しくいただいては如何?


 アレッシアもその気になれば排除できる者達。されど、害が無いならば排除には二の足を踏む者達です。バランスを間違えなければマルハイマナにとってもアレッシアにとっても良い関係となるでしょう」


 言外にマルハイマナとアレッシアで戦争になった時はその者たちを消すと言う意図もあるが、露見しても問題ないだろう。


 将軍とて、永遠の平和、朋友になれるとは思っていないはずだ。


「彼らが傑物となるか否かは将軍の腕次第。もちろん、私が見落としている可能性もありますが、良い提案でしょう?」


 本当に接触するかどうかは将軍にお任せしますけれどね、とエスピラは結んだ。

 それから、ゆっくりと立ち上がる。


「ご相談があれば気兼ねなく。マルハイマナの言葉とエリポスの言葉、アレッシアの言葉を私は扱えますから、将軍の意図に近い言葉を選んで元老院に伝えることもできます。もちろん、他にも」


 エリポス語で言った後、エスピラは初めて将軍に対して頭を下げる形の礼を取り、場を辞した。


 シニストラが後ろから続いてくる。他の気配は無い。


 十分な距離ができると、エスピラは左手の革手袋に口づけを落としながら、上手く行ったことに対する感謝を神にささげた。

 その行為を見てか、シニストラも何も聞いてはこない。

 それを良いことに、エスピラは終わってもそれに近い体勢を取り続けた。


(どのみち、マルハイマナの言葉を扱えるのは数少ない。アレッシア人と触れ合うことの無い将軍も建国五門も私を頼る可能性が高いはずだ。情報にさえ触れられれば、訳すのは私の意思次第)


 いや、一つ。

 マルハイマナの言葉を学びかねない者が居たなと、エスピラは思い至った。


 処女神の巫女であり凄腕の占い師、シジェロ・トリアヌス。その妹であるピュローゼ・トリアヌス、エスピラに一晩の誘いをかけてきた女性である。


 彼女なら、マルハイマナの言葉を学びかねない。


「ああ」


 つい零れた声に、エスピラは慌てず、隠すことも無く、シニストラに意識を向けずにそのままの調子で歩き続けた。


(従弟がいたな。婚約者の決まっていない、カリヨに近い年頃の)


 ジュラメント・ティバリウス。

 エスピラがディティキへの戦争吹っ掛けの功績を譲ったイルアッティモ・ティバリウスが血縁者に居る男。そのイルアッティモからのエスピラの覚えは良い。この婚姻を元に、一番の脅威足りうるトリアヌス家を睨み抑えることは可能だろう。いざとなれば、カリヨにマルハイマナの言葉を教える教師になってもらえば良い。それで、抑えられる。エスピラの手に落ちる。


 マルハイマナまでもがアレッシアに使節を送り、友好の証を立てたならマフソレイオも渋ってはいられなくなるのだ。朋友とならないマフソレイオに元老院が何かを言う必要もなく、エスピラが情報を溢さなければほとんどマフソレイオには会談の内容が伝わらない。


 将軍と同様に勝手に勘違いして、結んでくれる可能性が高いのだ。


 女王は寝台の上、報告は無いが王は死んでいる頃。若き王は組み伏せやすく、時期女王は現女王よりもエスピラとの関係性が近い。

 多少現女王が渋ろうと、マフソレイオに居る限りはエスピラの思うがままになるだろう。


(使節団に参加した者達全員が受けられる賞賛も、マルテレスを応援する者の実績としても十分に得られたな)


 緩みそうになる口角を押さえ、下がりそうになる目じりをこらえる。

 いつもの顔が保たれているのを感覚で確認して、エスピラはシニストラに振り向いた。


「上手くいったな。待ち時間に出歩くことがあれば、詩作の極意でも教えてくれないか?」


 それでもそのアレッシア語は、非常に上機嫌なモノであった。


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