かけがえのない戦友
集まっている者の顔を見れば、ディファ・マルティーマ近郊に住んでいる訳では無い者も居ることが分かった。ウェラテヌスの被庇護者では無い者も居る。
誰かがエスピラの名を呼んだ。
次々と名を呼ばれる。同時に目の前の人々は、騒然とした、ただただバラバラに固まっている群衆から規律を持った軍団兵に変わった。
すぐさま列を整えるのは、日ごろの訓練の成果だろう。
「今日は、何かあったかな?」
連日のように開かれている結婚式も、空いている日はあるのだ。
流石に兵も連続で行くことはできないからである。
それから、エスピラは彼らが全員これから結婚を控えている者達だと記憶から引き出した。
(相手と何かあったか)
家格も釣り合うように考えつつ、功績を思い基本的には上と見ていたような家門の娘と結婚できるようにエスピラは結んでいるのだ。兵一人一人の功績をしっかりと書き記し、エスピラから見た性格と家門にとっての得を娘を出す方の家門にも送っているが、齟齬が無いとは限らない。
「いえ。本日はエスピラ様に頼みたいことがあってまいりました!」
声を張り上げたのはイザーロ。
昨年、ディファ・マルティーマから海路でメタルポリネイオに降り立ったエスピラを出迎えた兵だ。
何でも言ってごらん、とエスピラは声に出さず態度で伝えた。
イザーロ以下の者達が頭を下げ、それからイザーロが歯が見えるほどに口を開ける。
「私たちの結婚式を、まとめて行うことはできないでしょうか?」
空気を震わせた音は、エスピラにとって全くの想定外な言葉であった。
少し止まり、目が左下に行く。
「何か、不備があったか?」
これまでの結婚式に。
「いえ。ございません!」
慌てたようにイザーロが言う。
他の者も一瞬で背筋を正していた。
「ああ。怒っているわけでは無いよ」
エスピラは、ひょい、と手を振った。
(アスピデアウスへの刺激と引き換えに民心が得られはするか)
此処にいる者達の結婚式だけでもまとめてやると、相当に派手なモノになる。
エスピラは当然その分の手伝いはするつもりだが、それだけ大規模な集会ともなるとあらぬ噂は一つや二つでは済まない。同時に、派手さはエスピラの懐の広さを知らせることができるのだ。
シジェロによって、いや、エスピラが愛人を持たないことによって狭量ともとられていることに対する良い対抗策にもなり得る。
「いえ。こちらも、難しい話では無いのです」
イザーロが言った。
「そうか?」
エスピラは返しつつもそう言うしかないよなとも理解していた。
「ただ、エスピラ様の疲れが全く取れていなさそうなので、提案させていただきました」
否。エスピラは兵を理解できていなかったらしい。
少しばかり頭の中で修正を重ねながら、エスピラは両手を広げ、元気であるとアピールしつつ、困惑しているが元気であると言う表情を作り上げた。
「そんなことは無いぞ。今は遠征はしていないし、家族とも過ごせている。何よりも今年はメルアと長い時間過ごせているからね。おまけに、難しいことを考えなくて良い」
「はい。それは分かっております。昨年よりも顔色が良いのも見ればわかります。
しかし、不敬をお許しください。私たちはエスピラ様の追放をエスピラ様が休暇を取る好機だとも思っておりました。
ですが、エスピラ様は各国に呼ばれ、元老院がちょっかいをかけてきて、その上で私たちの結婚式のために半島を飛び回っていれば休む暇など無いでしょう。身籠られたと言うメルア様にも良くはありません。
それに、前の発言と相反するようではありますが、私たちはエスピラ様に祝って欲しいと思っております。同時に、仲間にも祝って欲しいと思っております。仲間の結婚も、できる限り直接祝ってやりたいと思っております。
だから、その、一組だけのその日の主役になれなくとも、ただ祝いあいたいのです。それに、その、言いにくいのですが、あまり結婚が後の方になると、ね、では無く、はい」
言葉が砕けすぎたと思ったのか、イザーロが真っすぐ背を伸ばした。完全に上を向いているわけでは無いが、上を向いているようにも見える。首も完全にエスピラに晒されていた。それでも、真一文字に唇が結ばれているのはエスピラにも確認できる。
「今の私も君も、ただのアレッシア人じゃないか」
エスピラはイザーロの肩を掴むと、軽く揺らした。
イザーロが心からの笑みで体をほぐす。
「いえ。私たちの中では、エスピラ様はただ一人の我らが第一人者です」
「嬉しいね」
言いながら、エスピラはイザーロの背に手を回し、集団に入った。
すぐに集団の者が距離を詰める。隊列は乱れているが、すぐに整えられる位置に全員が立ってしまうのは最早習性だろう。
「エスピラ様。お願いです」
「エスピラ様!」
「エスピラ様。俺たちには結婚式が大きくなったらどうなるのか、エスピラ様ほど分かってません。カリトン様にも止められました。でも、いっそのこと、はっきりと色を塗ってやりましょう!」
「エスピラ様は絶対に俺らが守ります! エスピラ様によって繋がれた命だと思っております!」
「俺らはエスピラ様のためならば」
エスピラは、ペリースを大きく動かし、左手を開いて上げた。
「分かった!」
声をはっきりと通らせ、それから左手を下ろしていく。
「分かった。分かった。君達の気持ちは十分に分かった」
落ち着け、落ち着け、とエスピラは全員を宥め、囲まれた状態でありながら一人一人の顔を確認した。軍団兵もすっかり静かになる。
「やろう。結婚式を、執り行おうじゃないか。盛大に。君達の門出を祝おう」
大きなざわめきが起こった。
全員に喜色が浮かんだ。
互いの顔を見合わせてもいるし、頬も少し紅潮している。その頬も普段の位置より少し高い。
「でも、しかし、エスピラ様。財の方は、大丈夫でしょうか? いえ。頼んでおきながらとは、はい。分かっているのですが。ええ」
心配してくれた兵の肩をやさしく叩く。
「財は使うためにあるんだ。それが君達のやる気に繋がり、アレッシアのためになるのなら私としても嬉しい限りだよ」
早く子供を作ってくれ、と?
それはエスピラ様と雖も危険な発言ですぞ?
と、ふざけた調子の声も聞こえてきた。
エスピラは笑いながら、何を言っているんだ、と二人のふざけた兵の名前を呼んだ。聞き分けられてしまいましたか、と二人も笑う。そんなじゃれあいの中子供たちを確認すると、ふざけた声に怒りを見せていたアグニッシモと短剣の近くに手を置いていたスペランツァはすっかり毒気を抜かれたようだ。
(純粋な好意か)
こういうのが友情かとも思う。
同時に、彼らにとってエスピラとの関係を『友情』と表するのは認められないことかもしれないとも分かっている。
どこかで分かっていても。庇護者と被庇護者の関係では無い者であっても。
きっと、この関係の中でエスピラは上にいる者で、彼らはエスピラの下にいる者。
その関係は変わらない。
だが、こういう、利益など関係のない間柄こそが友だともエスピラは思う。
今のエスピラを全力で守ったところで、彼らに益は無い。まとめてやれば彼らが一人一人狙われていくかもしれない。
それでも、エスピラに祝われたいから。皆を祝いたいから。
だからこそ、動いたのだ。
少なくとも、エスピラはそう思うことにした。そう感じられた。
「エスピラ様! アレッシアのためと言うのなら、一つ、子供たちにさせることができる面白い遊びを考えたのです!」
兵の一人が少し大きな袋を集団の上に掲げた。
自分で面白いとか言うなよ、と言う突っ込みが周りからその兵に降りかかっている。
「どんな遊びだい?」
微笑みながら、エスピラはその兵の下へと進む。
エスピラの近くには相変わらず兵が居たままだが、エスピラの動きに合わせて道もできた。
「図上演習を、遊びに落としてみたのです!」
「ほう」
兵が取り出したのは、小さな彫刻。
がっしりと横に太い男だ。いや。鎧を着ている。
「ええと、これは重装歩兵! 移動できる距離は少ないですが、どこでも戦えます」
あ、これが図面です、と別の男が板をエスピラの足元に広げた。
今のところ図面は三つあるらしい。一つ一つの図面に、山、森、川、湖、平野がちりばめられており、盤面は縦と横に線が引かれている。
その間にも袋を持った男は、これが軽装騎兵で、これが軽装歩兵で、これが重装騎兵で、これが投擲兵。これが攻城兵器でこれが対人兵器です、と全ての駒の説明を続けている。
「これで、各兵の特徴を知ってもらいつつただの一兵卒で終わらずに考える力をつけてもらおうと思っておりますが、どうでしょうか」
いつの間にかできていた包囲の内側で、男が明るい表情で歯を見せた。
ずらりと並んでいる顔も全部好意的である。
「面白いな」
言いながら、エスピラは駒を手に取る。
「しかし、アレッシアの重装歩兵とエリポスの重装歩兵。アレッシア人の投擲兵とマールバラが使っていた投擲兵も違う。軽装騎兵と言ってもフラシ、プラントゥム、アレッシア。全て特徴が違うぞ?」
「エスピラ様。それは複雑すぎるってものですよ」
いやいやいや、と売り込みを続ける商人のように男が手を横に振った。
「そうか?」
「はい。入りは、もっと簡単にしてくれませんと。皆が皆、俺らほど勤勉なわけではありませんからね」
「お前は勤勉じゃなくて、エスピラ様が根気強く教えてくださったからだよ」
と、駒を持つ男が思いっきり頭を叩かれていた。
えへへ、とその男がエスピラに笑みを向ける。エスピラも、小さく吹き出した。
「そうだな。九年前のペーゾでも熱中するようなモノにしないとな」
「ちょ、ひどくないですか、エスピラ様」
周囲も笑う。
その中で、エスピラは地面に座り込んで男、ペーゾと視線を合わせた。
「素晴らしい考えだな」と褒めるのも忘れない。
それから、ペーゾが説明を続ける。さして長くは無いルールに、エスピラが追加しようとすれば「楽しむのが一番ですよ」とその都度ペーゾが言って。
ああ、と。
エスピラは、その日の夜に頬が痛くなるほどに笑い続けていたのであった。




