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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十四章
542/1595

憂国の士

「ああなりかねませんよ」


 エスピラは、街の中で浮いているように避けられている馬車の一団を見下ろしながら言った。


 何故見下ろしているのか。何故エスピラが一階以外に居るのか。


 単純な話である。

 人質であるアリオバルザネスに会いに行く形を取ったからだ。

 だから、三階にまでわざわざ上がっているのだ。


 とは言え、部屋は豪華にしてある。

 広く、窓を覆うための絨毯もしっかりとした厚手のモノ。燈台も部屋を明るくしきれるほどにそろえているのだ。


「覚悟の上です」


 アリオバルザネスが物腰柔らかながらも意思の硬い声を出してきた。


「エスヴァンネ様は守ろうとした民にあのように敵視されております」


 音は返ってこないが、承知の上ですと空気が返事をしている。


 エスピラも、黙って財物を運ぶ一団を見下ろした。

 一団が百メートルほど進んだところで続きを紡ぐ。


「それだけではありません。

 元老院はオルニー島をメガロバシラスとの戦いに使用する小麦を集めるために強権的に接収いたしました。サルトゥーラ・カッサリアの計算は見事なモノです。だからこそ、エスヴァンネ様も認めるしかなく、イフェメラも切り崩せませんでした」


 この場合はイフェメラでは無く、ディーリー、フィルフィア、ジュラメント、と言うべきだろうか。


「故に、エスヴァンネ様はプラントゥムから求められた支援物資を、計算に含まれていない此処、ディファ・マルティーマから持ってこざるを得なくなったのです。


 この辺りまでは自分の所為とも言えましょう。

 しかし、その手段にエスヴァンネ様は国庫に一切手をつけず、私財のみで買い付けることを選びました。


 立派な心掛けです。実にアレッシアの貴族らしい、素晴らしい決断だと思います。


 私はその心意気に応えたはずでした。


 しかし、結果はどうですか?


 私だけが得をしております。カリトン様は私への取次で名をあげましたが、ディファ・マルティーマで復権を狙うロンドヴィーゴ様は息子に余計なことをするなと叱られただけ。エスヴァンネ様も、ディファ・マルティーマの食糧を減らすためにやってきたと心無い陰口をたたかれる始末。


 もっと酷いことが、悪意を剥き出しにして将軍に襲ってこないとも限りませんよ」



「マフソレイオからディファ・マルティーマのために食糧を買い付けたのは、エスピラ様の私財です。しかも、エスピラ様はエスヴァンネ様の私財をウェラテヌスの蔵に入れず、ディファ・マルティーマの蔵にお入れになりました」


 元はメガロバシラスの財です、とはさすがに言えず。


 エスピラから見れば、メガロバシラスの宰相も間違いなく憂国の士なのだ。ただ、他の者から見た場合には異なって見えることも知っている。裏切られたと感じかねないことも分かっている。


 だから、言えない。


「民を安定させるためです。エスヴァンネ様は、アスピデアウスに潜む愚か者の暴走を防ぐのに必要な方ですから」


 多分、エスピラがそう動くことを知っていてサジェッツァはエスヴァンネがディファ・マルティーマに来ることを許可したのだろうが。


 ただ、食料の買い付けの申し出と同時に、エスピラに謝罪と姪であるべルティーナの輿入れについても話があったらしい。


 エスピラはエスヴァンネと直接会うことを拒絶。執政官と追放された者が会うわけにはいかない。それが公式な声明である。

 代わりに、同じくマシディリの伯父であり、ディファ・マルティーマに留め置いているティミド・セルクラウスをエスヴァンネとの交渉に向かわせた。


 もちろん、話し合いなんて進むわけが無い。


 エスピラの顔色をうかがいたいティミドと、ティミドでは話にならないと悟っているエスヴァンネ。

 二人の交渉は、表面的なモノに終始したと、被庇護者から報告が上がっているのだ。向かわせた者の内二人がエスピラの前で交渉を再現してくれてもいる。


「エスピラ様。メガロバシラスもまたアレッシアのために必要なはずです」


 この発言がアリオバルザネスの口から出てくるまでの間は、悩んでいた証だろう。


「メガロバシラス北方の土地は遊牧民族が多数存在しております。その中でも最大規模のモノはトーハ族。アレッシアにも一部流れ込んでおり、交渉は出来ますでしょうが、彼らは必ず約束を守ると言いきれますか?」


「言えませんねえ」


 事実、七年ほど前にエスピラは裏切られかけているのだ。


 最終的には動いたが、結局、彼らは信義よりも自身の利益を求める。エスピラの目にはそう映った。いや、利益が無ければ盟は結ばないのだろうが、それにしても酷いとは思っている。遊牧民族のままであるトーハ族は、ともすれば敵対国家よりもエスピラにとっては懸念材料だ。


「今のメガロバシラスは、まだトーハ族に攻め込まれておりません。しかし、次の戦争で負ければトーハ族も狼藉を繰り返すようになるでしょう。その狼藉がメガロバシラスを荒廃させ、アカンティオン同盟の増長を招きます。


 そうなれば、彼らは我が祖国を荒らすでしょう。


 その後、彼がトーハ族相手にメガロバシラスの領地で戦えるとお思いですか? 抵抗すると思いますか?


 メガロバシラスの次は、ディティキが狙われますよ?」



 ディティキはアレッシアの領土だ。

 エスピラの義父タイリーの弟ルキウスが執政官の時に作ったエリポスへの橋頭保である。エスピラがエリポス遠征をおこなっていた時、滞在時間は短かったが一応エリポス側の本拠地であった場所だ。


 そして、今は友好の証と言う名の挑発のためにエスピラが敷設したあらゆる防御陣地が破壊されつくしている。


(友好ね)


 友情とは、便利な言葉だ。


「トーハ族の族長は、武勇に秀でた者が『カラブリア』姓を受け継ぎ、その中から定まると聞いております。槍、剣、弓に精通し、常に馬を二、三頭引き連れて行動しているとも」

「その通りです」


「特定の住居を持たない彼らを壊滅させるのは不可能でしょう」

「おっしゃる通り」


「長く苦しい戦いの幕あけ、と言うわけですか」

「規模は小さくとも、先の戦争が短く感じられるほどの戦いになるやもしれません。撃滅するには、彼らに本拠地を与え、それから戦うしかありません」


 厳密にそれだけと言うわけでは無い。

 それはエスピラも、発言したアリオバルザネスも分かっている。


「やはり、メガロバシラスを存続させるのが最善でしょうね」

「エスピラ様。それでは、アカンティオン同盟が黙っていないと思います」


 カリトンが言葉を挟んできた。


「良いのです、カリトン様」


 エスピラはカリトンに目を向け、優しく頷いた。


(分かっているくせに)

 エスピラが本当に戦争を望んでいないと言う訳では無いことを。


 成長戦略と言えば聞こえは良いが、要するに今のアレッシアでは戦争して、領土を広げ、財物を奪わないと国が危うくなることも。


「将軍。私は、今、将軍の申し出を受ける方へと傾きつつあります」


 そして、次にアリオバルザネスの下に戻る。


「トーハ族と戦うための知識はメガロバシラスに多く蓄積されております。それに、アレッシアとの講和交渉の時も結局はトーハ族に対する守りは徹底しておりました。誰よりもその力を知っているのはメガロバシラスであるならば、メガロバシラスの力を必要以上に削るのは良策ではありません」


「ありがとうございます」


 アリオバルザネスが左ひざを折り、腰は伸ばしたまま首から頭を下げた。

 お上げください、とエスピラはおだやかに告げる。


「認めは致しますが、何も言わずに送り出す訳にはいきません。

 私は、将軍の力を高くかっております。

 故に、アレッシアの敵となるような事態は避けねばならないのです」


「分かっております。しかし、エスピラ様。私は戦争を回避するために祖国に赴くのです」

「宰相殿は私に将軍の解放を頼んでくるくらいには、開戦に前向きでしたよ?」


 そうなれば、当然引き留めも、とエスピラは微笑みに刃を隠し、アリオバルザネスの肩に手を置いた。


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