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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十四章
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陛下の『兄上』ですから

「兄上。兄上兄上!」


 イェステスが馬車から降りるなり、そう言ってエスピラに駆け寄ってきた。


 畏れ多いことでございます、と膝を曲げて頭を下げつつ、エスピラは供の者を振り払って寄ってきたイェステスを受け止める。イェステスもエスピラの両肘を掴み、良かった、お会いしたかった、と繰り返してきた。


 そんなイェステスの後ろではアレッシア側の護衛の代表である昨年の執政官フィルノルドが深々と頭を下げてくる。エスピラは、フィルノルドの応対にテュッレニアから呼び寄せたジャンパオロを向かわせた。相応の対応を。そして、建国五門の内二つをウェラテヌスが手にしていると示すために。


 そうして、自らはマフソレイオ国王イェステスと並んで街の中心地と化したディファ・マルティーマのウェラテヌス邸に入る。


「母上に代わり、ご挨拶申し上げます」


 エリポス語でユリアンナが頭を下げた。

 後ろに並ぶアグニッシモとスペランツァも同じように丁寧に頭を下げる。


「いえいえ。妊娠中とは、大変でしょう。私もズィミナソフィアがなるまでは分かりませんでしたから」


 本当に、男とはこういう時どうしたら良いものか、と言いながらイェステスが手ずからユリアンナの頭を上げさせようとした。


「畏れ多いことにございます」


 ユリアンナが慇懃に断りを入れる。


「いえ。いえ。受けてください。余は、エスピラ様を実の兄のように慕っているのです。ならば皆は私の姪であり甥。そこまで丁寧にされると、私が狭量のようだ」


「王を狭量と言わせるわけには参りません、姉上」


 エリポス語で言いながら、スペランツァが頭を上げた。アグニッシモがスペランツァを覗いながらも頭を上げる。


「それもそうですね。ありがとうございます、陛下」


 そして、ユリアンナも頭を上げた。


「うむ。皆、兄上に似ている」


 イェステスが両手を肩の高さまで上げ、好青年そのものの笑みを見せた。

 ありがとうございます、と三人が膝を曲げる形で礼を言う。


「後で話す場を設けるから。少し下がっていなさい」


 エスピラもエリポス語を使った。

 子供たちもエリポス語で返事をし、ずらずらと、されどほぼ足音を立てずに間隔を揃えて下がって行く。


「兄上に似て、聡明そうな子供たちですね」


 いや、左の男の子は聡明と言うよりも元気な、と言うべきですか? とイェステスが続ける。


「ええ。本当に元気で。うるさくならないように人から離れた場所に居を構えたのですが、このあり様です」


「発展している良い街ではありませんか。民の顔も明るい。民に活気があれば国も富む。国が富めばさらに発展を促せる。発展すれば国主に尊敬が集まる。余は王ですから。それぐらいは分かっております」


 イェステスが胸を張った。


「ええ。ごもっともです」


 エスピラは丁寧に返す。

 入ったのは応接室。用意してあるのは精巧な銀細工を施した食器と新鮮な果物。飲み物は、これから運ばれてくる。客人を迎えるために作られた部屋だ。


 だが、全体的に豪華な飾りは無い。


 ほとんどは壁そのままで、その壁を傷一つ無いように丁寧に修繕は施してあるがそれだけ。

 明かりを十分取り込めるだけの窓と、かざりっけは無いが座り心地は良い椅子。壁の絵画の類のほとんどは無名の者が書いた風景画。あとの飾りは夜に窓にかける用の絨毯。天井に絵は無く、ただ白い。


 しかし、燭台にも彫り細工の銀を採用している。


「兄上らしい簡素ながら凝らされた部屋ですね」


 素晴らしい燭台だ、とイェステスが触りながら言う。


「陛下ともなれば、ただ贅を尽くしただけの部屋は見慣れておりましょう」

「いえいえ。そのようなことはありません」


 悠然と、両腕につけられた金の腕輪に陽光を反射させながらイェステスがエスピラの前に座った。

 エスピラの後ろにはシニストラ。イェステスの後ろには護衛兵が二人。


 ただ、それしかイェステスの御付きの者がいないのだ。


 それによるものでは無いと思うが、イェステスが少し横を向き、手で自身の膝を一度叩いた。

 唇も巻き込み、息を吐いたかのように胸が少し動いている。


 一国の王をこのような部屋で出迎えられるのはエスピラぐらいのものだが、そう言う話でもない。


 エスピラは、奴隷が飲み物を持ってきて、去るまで待った。

 その間、イェステスは飲み物の質問をしてきたが、話はそれだけ。随分と切り出しにくそうにしている。


「申し訳ありません。メルアは今、少し不安定になっているのと私があまり多くの男に見せたくはないため出迎えできませんでした」


 エスピラは茶に手を伸ばしながらほとんど本音の冗談を口にした。

 イェステスの目がエスピラにやってくる。


「いえ。問題ありません。本当に、妊娠中の妻と言うのは大変です」


「そうでしょう。思いもよらないところで怒りを買い、思いもよらないところで暴走を始める。それでも子を宿し新たな命を生み出そうとしているとなれば男はただ隷属するのみ。例え陛下と雖もその道には逆らえないのでしょう?」


「全くです。しかし」

 しかし、とイェステスがもう一度続けた。

 勢いは完全に失われ、視線もどんどん下がって行っている。


「陛下。マフソレイオのアレッシアへの援助は誰もが忘れることの出来ないモノです。大功も大功です。アレッシアの者は感謝してもしきれません。そのことは誰もが理解しておりますし、それを忘れた日にはアレッシアは神々に見捨てられ、父祖に顔向けができなくなることでしょう」


 イェステスの顔が諦めに似た苦笑いと共に戻ってくる。


「流石は兄上。耳がお早い……」


「メガロバシラスとの戦争になっても、マフソレイオは支援をできない。そういうことですよね」


「はい」


 力なくイェステスが肯定した。


「当然のことです」


 エスピラもやさしく、寄り添って肩を支えるような声を出した。

 視線も表情もしっかりとそれ相応のモノに変える。


 イェステスの表情は、少し硬くなった。


「それだけでは無いのです。ズィミナソフィアは、功労者を追放するような国に協力できることは何もない、と。どうせ見捨てるつもりだと、言っているのです。いえ。あまつさえ、それを元老院で言うようにと言ったのです。サジェッツァ・アスピデアウスに直接叩きつけても良いとも言っているのです。


 余は、確かに王だ。

 だが、王とて横暴は許されない。


 そうは思いませんか?」


「その通りでしょう」


 エスピラは、全面的にイェステスに同意した。

 その裏でズィミナソフィア四世が本気で怒っている訳でも無いとは知っている。いや、怒っているのは本気だろう。だが、あくまでも打算あってのこと。妊娠中と言う不安定になりやすい時期であることも計算の上。


 あるいは、妊娠することも計算の上でグライオと無理矢理ことに及んだのか。

 その可能性が最も高いだろう。


「兄上。アレッシアがマフソレイオと戦う気になった時、アレッシアの味方になるのはどこだと思われますか?」


 イェステスの声が力なく床に落ちる。


「マルハイマナは確定でしょう。ハフモニがいつマフソレイオの味方だと宣言するかに寄りますが、ハフモニの宣言が早ければエリポス諸国家はマフソレイオを見捨てるでしょうね」


 エスピラは正直に答えた。

 イェステスの顔が険しくなる。


「ですが、そのようなことにはなりませんよ。マフソレイオは豊かで国土も広い。兵も多く、水軍の練度も十分あります」


 エスピラは椅子から腰を上げた。

 机に右手をつく。その状態で、イェステスの耳に口を寄せた。唇はほとんど動かさない。


「ディファ・マルティーマへの支援さえ通れば、落ちるのはアレッシアの方です。戦えば信義にもとり、威信を著しく低下させます。ご安心ください」


 そして、緩慢な動作で椅子に戻った。

 悠々と果実を手に取り食べ、静かにお茶も飲む。


 どうぞ、と護衛の者達にも果実を分け与えた。

 イェステスにあまり喜ばしい方向の変化は無い。


 エスピラは、果実を置いて少し座りなおした。


「そこまで不安なのでしたら、一つ、策がございます」


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