詭弁
「しかし、アレッシアが陛下ではなく私と交渉しようとする意図が分からない」
交渉の席に着くなり、将軍がいきなりそう呟いた。
手はマルハイマナの特産の一つである乾燥してありながらも大ぶりなイチジクを弄んでいる。アレッシアに届くことの無い果実だ。
「同盟を結びたい、あるいは確約が欲しいのなら、陛下に言うべきでは無いのか?」
エスピラが答える前に将軍が畳みかけてきた。
エスピラは、赤紫色の果実の搾り汁を口に含んでから、ゆっくりと飲み下す。
「機を逃してほしくなかっただけですよ」
「機を?」
将軍の返答は早い。
「確かに国家の取り決めをするのであれば、私などよりももっと直接的に影響力のある者がはるか遠くの首都を訪ねるべきでしょう。ですが、それでは遅いのです」
将軍の眉が中央に寄る。
エスピラは、机の上に置いてあった大ぶりのイチジクを取ると、将軍のコップの北方に置いた。将軍の目がきっちりとイチジクに向いたのを確認すると、エスピラはもう一つ皿から取り、西方に置く。
「元を辿れば今のマルハイマナもマフソレイオもメガロバシラスも、大王が作り上げた一つの国家。その後継者争いで分裂したに過ぎません。故に、代替わりがあると伝統行事かのように次の国王に名乗りを上げております」
将軍は自身の手元のイチジクを見て、コップの下に置いた。
マルハイマナの領土であり、この砦に運ばれてくるイチジクを産する畑は、両国の国境から常温のイチジクを運び込める距離にある。
今は季節外のため、乾燥させたものを冷温で保存したものしかないが、最盛期には生で運び込むことが可能なのだ。
一方、首都、マルハイマナの国王がいる場所には常温のイチジクをその畑から届けることは出来ない。
「明確に和平を結んだのではなく、あくまでも休戦状態なのです。そこに、大喰らいと揶揄されているアレッシアが後ろを襲わない、むしろ支援すると言い出せばどうなるでしょう」
エスピラは二つのイチジクを将軍に手渡した。
「将軍の口で一度に食べられますか?」
「ディティキの件でメガロバシラスとアレッシアの緊張状態が高くなっていると聞いている。ハフモニを経由することで、手を結べるのではないか?」
「それはエリポス西岸を失う前にするべきでした。橋頭保を築かれてからでは遅いかと」
「メガロバシラスが出陣できないような何かがあるのであったのなら、それは今も適用されるだろう?」
「全市民が兵となり、勝つまで戦い続けるアレッシアと兵を募り精鋭とする、東方に宣戦を抱えているマルハイマナ。戦争にかかる負担はどちらの方が大きいでしょうか」
エスピラは干しブドウをつかみ取り、机の上に置こうとしたが、流石に皿に戻した。
代わりに皿を少し傾ける。
「メガロバシラスとマフソレイオが足並みを揃えることは難しかろう」
「互いが牽制し合えば良いのです。攻め込まずとも、頻繁に肉の焼け具合を確認させ、一番おいしい部分を取りあおうとすれば両国の戦費は少なくマルハイマナの負担は大きくなりますから。
そこで時間を稼いだ後、アレッシアの食欲はマフソレイオと協力してのマルハイマナの切り取りになるでしょうが、ね」
将軍がイチジクを机の上に戻した。
「それでは何のためのディティキだ?」
「反応を見るための。残念ながら、アレッシアの民はエリポスに対してはやはり憧れに近い感情がありました。攻め込む心理的な負担を考えれば、まだ攻めるべきではありません。それに、メガロバシラスの宰相とは個人的な繋がりも深い者がアレッシアには多く居りますし」
将軍の眉が上がる。
エスピラは不敵に笑ってから、両肘をついて口元を隠した。
「事実、私も近々メガロバシラスに遊学する予定でしてね。お世話になりました、今後もよろしくお願いいたしますと伝えなくてはならないのです。マフソレイオの女王陛下には、既に挨拶ができましたから」
マルハイマナの言葉を用い、低い声でエスピラが将軍に伝える。
「アレッシアではなく、エスピラ殿に忠誠を誓えと?」
将軍の怒気に反応したのか、控えていたマルハイマナの兵士から小さな金属音がなった。
つられて、シニストラがエスピラに近づいた気配もする。将軍の手の中のイチジクも小さくなった。その状態で、将軍に乱雑にいじられている。
エスピラは、笑いながら口を開いた。
「まさか。私一人で国を動かせるわけがありませんよ。だからマフソレイオは豪華な船団を用意し、次期国王をアレッシアに遣わせたのですから」
「何のために」
「流行り病に対して緑のオーラ使いの派遣を要請するために、ですね。表向きは」
将軍の手が止まり、顔がエスピラに近づいてきた。
「マフソレイオは、我らがハフモニにさせようとしたことをアレッシアにさせようとしているのか?」
メガロバシラスとの仲介にアレッシアを入れ、一時的に手を結ぼうと。
そして直近の脅威であり、分裂した国家の中では最大の版図を築き上げたマルハイマナを小さくしようとしているのか、と。
「お答えするわけには参りません」
平然とエスピラが答えれば、将軍が剣を抜いた。遅れてシニストラの抜剣音も聞こえてくる。それから、周囲の護衛兵。
エスピラの首元に刃が迫り、将軍の胸をシニストラの剣先が僅かにへこませ、シニストラの周りに五本の剣が群がって止まる。
「こちらは先制攻撃ができることを忘れるなよ。流行り病で女王も倒れているマフソレイオをすぐさま叩き、奥まで侵攻すればメガロバシラスが思い通りに動くことはあるまい」
「その先に待ち構えるのは将軍の罷免とマルハイマナの破滅。よしんば上手くいっても、ハフモニが覇権を取り戻せば二十年前と同じくエリポス諸国家を含めた国家は自由な海上交易を封じられ、その影響を受けないマルハイマナに怒りの矛先が向かうことでしょう」
国家間の過去は複雑なのである。
メガロバシラス、つまりエリポス圏の人が陸上を中心に版図を広げ、やがて分裂してできたのがマルハイマナとマフソレイオ。そして、マルハイマナとマフソレイオは現地の民を抑えてエリポス人の末裔が上層部の多くを占めている。
そのマルハイマナが抑えている土地の一部がハフモニの人が元々住んでいた集落だと言われている。政争に敗れたか新天地を求めた者達が海へ漕ぎだし、作り上げたのがハフモニと言う国家。
故にハフモニにとってマルハイマナやエリポス人はルーツを滅ぼした仇敵であるのだ。
一方、エリポス人にしてみれば頑強に抵抗し、生来の土地を失っても海上を押さえて海賊行為も行ってきたのがハフモニ。
過去の、ハフモニに抑圧される状態に戻ればエリポスの怒りはハフモニに近く見えるマルハイマナにも向けられるし、ハフモニとマルハイマナが恒久的に協力し続けるのも至難の業である。
将軍もそのことを理解しているからこそ、剣を抜いて脅してきているだけで、殺気がほとんどない。
「なぜマフソレイオがアレッシアの使節団を残したまま使節団を派遣したのか。建前が欲しかったのでしょう。一枚岩ではありませんから。同様に、メガロバシラスも一枚岩ではない。だからアレッシアを敵視しながらも絶好の機会に攻撃どころか声明も出さなかった。出せなかった。形ばかりの友好関係を維持しているのでしょう」
当然、マルハイマナも反乱が起きている以上一枚岩ではない。
軍隊で抑えれば、大軍を別の国との戦いに向けた瞬間にまた吹き上がる可能性もある。
「……既に、成った後だと」
マフソレイオとアレッシアの同盟の更新が。戦争中における協力体制の確認が。
「他国にも響き渡る立派な船団でしたよ」
エスピラはイチジクを手に取ると、首に突きつけられている剣で真っ二つに切った。
「シニストラ。下げて構いませんよ」
言い終わると、エスピラはイチジクを口に含んだ。
ゆっくりと味わい、嚥下する。
「何が望みだ」
将軍が群がっていた護衛兵に剣を押し付け、再度着席した。
シニストラも剣を仕舞い、ゆっくりとマルハイマナの兵も武器を下ろして元の位置に戻っていく。
「アレッシアの繁栄以外にウェラテヌスの望みはありませんよ」
エスピラは、さらりと答えた。




