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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十四章
531/1593

過去の過ち、今の過ち

 ではこれにて、と二人が帰った後も、グライオは書斎に残っていた。


 囲っていた机から離れ、最初に居た時の椅子に座っている。目の前には途中で呼んだ家内奴隷が持ってきてくれたさくらんぼとチーズの和え物がそのまま手つかずの状態で。ソルプレーサとアルモニアの分は完食済みだ。


 話がある、との事みたいだが、やや手は堅い。グライオの指は曲がったままである。


(ふむ)


 グライオから一度視線を切って、エスピラは大事に保管してある羊皮紙の一枚を取り出した。


「実は、私もグライオに相談があってね。マシディリが動揺することがあった時、父上はどうやって心を落ち着けているのか、と聞いてきたんだ」


 グライオの視線がエスピラに来た。

 どこかに行っている、ということは無く、本当に見た通りエスピラに意識が来ている。


「エスピラ様は、なんと?」


「親しい者と関係のない話をする、と言ったよ。家にあればメルアと。外にあればシニストラに話すことが一番多いかな。内容はほとんどが家族のものだから、内容まではマシディリに伝えられなかったけどね」


 ああ、メルアとは特に決まった話はしないよ。ともエスピラは続けた。

 それから、とろけた顔で手紙を眺め続ける。


「何はともあれ、話すのが一番だ。一人でいるのは一番の愚策だよ。無駄なことばかり考え、無駄に思い出すだけさ。まあ、あくまでも私にとっては、だけどね」


 お酒は子供たちも飲みたがってしまうんだ。それは避けないと。

 そんな風に笑いながら続け、エスピラは羊皮紙を綺麗に丸めなおした。


「酒を飲みすぎるのも体に毒だからね。嗜む程度にしているつもりだよ」

「如何にも、エスピラ様らしい」


 グライオが硬い笑みを見せ、さくらんぼの入った容器に手を触れた。

 容器が音もなく静かに横にずれる。


「しかし、十重二十重に押し寄せて来れば、いささか、難しいモノもございます」


 グライオの言葉を受け止めつつ、答えを探す。されど、見つからない。

 当然だ。

 何も情報が無いのだから。


「そうだな」


 エスピラは、ひとまず重苦しく答えるだけにした。


 グライオの目がまた逸れる。


 指は、小さく握られたまま。


「ズィミナソフィア四世は、そのあたりが非常にうまい人です。まさにマフソレイオの女傑と言えましょう」


 グライオの言葉を聞き、エスピラは大きなため息を吐いた。


 椅子から立ち上がり、念のため部屋の外を覗ってから閉める。奴隷はもちろん、子供たちも近くにいない。中庭でまだ遊んでいるだろうが、その音も届かない。


「女王陛下から直接聞きましたか?」


 扉を閉めた後で、エスピラは来客用の机を挟む形で座った。


「はい。ご自身を除けば、私しか聞いた者はおりませんでした」


 グライオの声は重苦しい。


 エスピラも、心中にて、ウェラテヌスの女と言うことか、と思い、ため息交じりに首を下げ横に振る。


「そうだね」


 語尾が間延びしたエスピラの声も重い。


 思わず家族が居る方に動きそうになる視線も、マフソレイオに行きかける視線も止めた。

 指は動かさず。体も動かさず。その状態で、もう一度何とか口を開く。


「あれの、血の繋がりの上での父親は私だ」


 次の言葉はどうしようか、と。ついにまとまらず。


 言葉は一度途切れてしまった。


「心中、お察しいたします」


 エスピラよりも気が重いはずのグライオが、丁寧に頭を下げてきた。

 エスピラは眉を上げる形で目を開き、グライオを見る。上げかけた口角はぎこちなく終わり、ゆっくりと表情をもとに戻した。ふう、とまた息を吐く。


「悪いね。でも、気にしないでくれ。前女王陛下に複雑な思いもあるが、先代陛下もタイリー様も私に良くしてくれたのは事実だ。あれがあったからこそ、今の私があるのも否定するつもりは無い。何より、ある意味ではメルアとほぼ確実に結婚できたのもそのためだとも言えるからね。

 そう悪い話でも無かったさ。私にとってはね。君にとっては、あまり、良くは無かったと思うけど」


「いえ。エスピラ様からのお許しがいただけるのであれば、私は何も」

 と言いつつもグライオの声に張りは無かった。


「許すも何もないさ。むしろ、本当に悪かった。ついでに言うなら、私が自己中心的な憤りを覚えるとすればズィミナソフィア四世にだ。これでは、私が幾らユリアンナと結婚してくれないかと君を説得しても、君はますます首を縦には振らないだろう?」


「それにつきましては、ウェラテヌスに何の得もありません。私にのみ得が生じるだけです。ユリアンナ様は聡明で、母君に似て美しく、父君に似て多くの人と交われる誰もが見惚れる女性になるお方ですから」


 いえ、失礼いたしました。とグライオが立ち上がった。

 エスピラの視線も自然と上がる。


「正直に申し上げますと、私はウェラテヌスの発展を真剣に考えているわけではありません。アレッシアに忠誠を尽くしている訳でもありません。ただベロルスの復興と、エスピラ様個人への忠誠心で動いております。エスピラ様の意思を無視してまで無理に第一人者になってほしいとは願っておりません」


「ありがたく受け取っておくよ。メルアも望んでいないだろうし、マシディリも望んで無いかも知れない。でも、クイリッタは望んでいる。それで十分だ」


「ならば御止めいたしません」


 うん、とエスピラも頷き、グライオの肩を押した。

 やさしく座らせる。手を伸ばし、さくらんぼとチーズの容器もグライオの前に出した。


「是非とも食べて行ってくれ。それから、私は少々外出の準備をしてくる。シニストラの代役を頼んで良いかい?」


「誰の代役でも。喜んで」

「頼もしいね。惜しむらくは、君の代役だけが居ないことかな」


 おだやかに部屋の外に出る。


 戻って良いですよ、と休憩がてら酒を飲んでいた奴隷に言った。酒は、一応持っていく許可は出しつつ無礼な真似はしないようにとしっかりと言いつけて。


 それから、中庭に向かえば途中で読書中のクイリッタと遭遇する。クイリッタはエスピラに気が付くと羊皮紙を置いて、近づいてきた。奴隷は少し遠巻きに。


「父上」

「どうした」

「ウェラテヌスは確かに名門です。ですが、父上が当主になる前は名しかない弱小貴族と言って差し支えなかったでしょう。それを父上が一代でアレッシア第二位の家門にされた。いえ、父上のみがアレッシアで二番目と言えるでしょう。


 即ち、ファリチェやヴィエレと言った者は一緒に育った仲間。

 しかし、アルモニア様やグライオ様、カリトン様と言った初めからある程度の力があった者達は大きく成れば好敵手と化すだけではありませんか?」


「だから警戒しろ、と?」

「はい」


 クイリッタが瞬き少なくエスピラをまっすぐに見てくる。

 そうだね、とエスピラは威圧しているように見えないよう気を付けながら、頷いた。


「敵か味方か。これは、感情による区分も大きい。こちらが敵視すれば、相手からもその内敵視される。そういうモノだよ。それに、味方は一人でも多い方が良いからね」


「それが愚かな民衆風情だとしてもですか」

「クイリッタ」

「口が過ぎました」


 何ら変わらない調子でクイリッタが言った。

 動きも無い。瞬きのペースも変わらない。


「ともに戦場を駆け抜けたんだ。今も一緒に居る。立派な仲間だよ。友情の形の一つさ。確かに、私が信じすぎているように見えるかも知れないけど、不用意に疑うよりもずっと良い。敵を作るのは簡単だけど、味方を得るのは難しいからね」


 クイリッタの目が横に行った。

 二秒ほど経ってから、エスピラの下に戻ってくる。


「ご安心を。兄上は、父上のそのお心を理解されているはずですから」

「クイリッタは?」


「父上。人が急に変わることはあり得ますでしょうか?」

「なるほど」


 頷いてから、エスピラは「ルーチェを呼んできてくれ」と奴隷に頼んだ。

 奴隷の一人が去って行く。


 ほどなくして、「伯父上、お呼びでしょうか」と元気な声が聞こえてきた。

 ただ、アグニッシモたちとは違い、エスピラに突撃はかましてこない。ユリアンナのように寄っても来ないし、リングアのように少し距離があるわけでもない。

 くりくりとした大きな目を、一杯にしてエスピラを見てきている。


 エスピラはそんな姪を見ながら言葉を選んだ。


「私はこれから父上ジュラメント母上カリヨの家に行くつもりなんだけど」


 ルーチェの顔が下がる。

 完全に下を向くわけでは無いが、エスピラに当たる視線の位置が下がった。髪も少し垂れ、腕も心なしかだらんと伸びている。


 その様子を見て、エスピラは言葉を決めた。


「もう少し此処に居るかい? 昨日さぼったから自分の所為とは言え、ユリアンナも遊べずに終わると寂しいと思うんだ。ヴィルフェットもまだ勉強中だしね。どうせなら、異父姉弟仲良くしてくれている方が私は嬉しいんだ」


 ぱあ、とルーチェの口が開いた。

 肘も曲がっている。


「はい! 是非、是非。まだ伯父上の家におります!」

「そうかそうか。好きに遊んでくれ。ここは、君達の家同然だからね」

「伯父上大好き!」


 両手を広げ、軽くハグをし、軽やかにルーチェが中庭に戻って行った。


「ジュラメント様はヴィンド様を良く思っていないようですが、私の見る限りあの異父姉弟の仲はよろしいですよ」


 クイリッタが小さな声で言い、羊皮紙を丸めた。


「ヴィンドはジュラメントの力を認め、機会があればまた仲良くなりたいと思っていたからね」

「それだけですか?」


 クイリッタを見る。

 クイリッタは、別にエスピラを見ることは無くほとんど動いていないものを片付けていた。


「ジュラメントが恨む理由はたくさんあるさ。能力もそう。ヴィンドは優秀で、私は重用した。まあ、難しいところだよ」


「ヴィンド様がジュラメント様の危険性に気づいていなかったとは思えません。と、言うことです」

「危険性ねえ」

「ウェラテヌスとは父上のことを指す言葉ではありません。その正当な後継は兄上であり、兄上を軽んずる輩は須らくこのクイリッタの敵。そう、ご理解いただければ光栄です」


「そうかそうか。アルモニアとグライオはマシディリを重んじているな」


(とは言え)

 なるほど。サジェッツァが表に出てくるまでも無いわけだ、とエスピラは思った。


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