マルハイマナ
「何の。首都に比べればこんなのはむさくるしいだけですよ」
先に名乗るものかと言わんばかりに、将軍も頭を下げずに名にも触れてこない。
「精悍な部隊ではありませんか。中々に見ないほどに良い部隊ですよ。アレッシアは自身の軍隊に絶対の自信を持っておりますが、対決に難色を示すほどに良い威容です。将軍の力の賜物でしょうか」
「そう言っていただけるとありがたいのですが、陛下の威光ですよ。それに軍が整い威圧を誇っているのは兵の努力の賜物。私はそれを利用しているだけに過ぎません」
将軍が誇らしげに頷いて、さあ、とエスピラを隣に案内してきた。
エスピラは一度固辞し、目で荷物持ちの奴隷を呼ぶ。
「お気持ちばかりなのですが、先にお渡ししようと思いまして」
エスピラが言えば、奴隷がまず紫色の布を地面に広げた。
その上に、調度品の類を丁寧に並べていく。
「そして、これは個人的な贈り物です」
そう言って、エスピラは金細工の指輪を取り出し、将軍の右手人差し指にはめた。
彫刻は凝っているが装飾品の一切は省いてシンプルにも見えるデザインは着飾りたい者にも質実剛健を旨とする者にも喜ばれるデザインである。
「これはこれは……素晴らしいものを」
将軍の声が先ほどよりも呆けたものになった。
「それと、物は相談なのですが、個人的な興味がございまして、このエスピラ・ウェラテヌスにカタフラクトの装備一人分を買わせては頂けませんか? ええ。お代はもちろん改めて用意いたします。この場で受け取るのではなく、用意でき次第、で良いのです」
声を小さく、そして腰を低くしたマルハイマナの言葉でエスピラは将軍に言った。
形は違えど先に名乗り、上下関係を明白にした関係を提示する。指には先ほど頭を垂れるかのように渡された金色の指輪。目の前には素晴らしき品々。
将軍は機嫌の良さを隠しきれずにエスピラに了承の返事をしてきた。
エスピラも満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。それでは、こちらも是非お受け取り下さい」
右手を挙げて、奴隷に合図する。
動きと共に広げられていくのは盗賊から奪い取った武器、防具。奴隷が脱いだ服の下からは盗賊が装備していた胸当てや脛当ての一部。
それらも外し、ゆっくりと紫の布の上に置いていった。
周囲のカタフラクトからの視線は強くなったが、ほとんどの者は動かず。たまに動いた者は大きな音が鳴ってしまい、上官らしき者に睨まれていた。
「この地に降り立った直後に襲ってきた、不自然なまでに装備の整った盗賊から奪い取った物です。これだけの威容を誇る将軍の部隊が居ながら異国の高官と分かる者たちに襲い掛かってくるとはどれだけ剛毅な者かと身構えておりましたら、拍子抜けするほどあっけない者達でした。
いやはや、私には不思議で不思議で。胆力があるのやら無いのやら。いやいや、将軍の部隊を知っていながらの狼藉。胆力はあるのでしょうがならばなぜこんなに逃げるのか。
なるほど。武器は統一されている。つまりは、彼らは下っ端。切り捨てる対象。武器を供与した者が居て、その者たちは盗賊の長らしく彼らよりも良き装備を身に纏い、良き生活を送っている。それも、良き防御陣地の中で。
それだけの盗賊団を、これだけの兵を持つ将軍が見逃していると言うことが有り得るのか? それだけ強力な盗賊団が居るのか」
明るめの表情の中でころころと顔を変えていたエスピラだが、そこで言葉を区切ると今から抜剣するかのような鋭い目を将軍に向けた。
「あるいは、ディティキのように賊を守る法があるのか、賊が国家に認められた行いなのか」
エスピラが鋭い目をひっこめた。
顔は笑顔。満面の笑み。
「失礼。ディティキは既に賊が認められない法が敷かれましたね。何なら、同じ法をお教えいたしましょうか?」
尖った視線も敵意もシニストラの覇気も背中に感じて。
エスピラは笑みを将軍に向け続けた。
不意に、将軍がひげを揺らして笑い出す。ほっほっほ、と笑い出す。
「それはさぞかし素晴らしき法なのでしょうが、マルハイマナの法は陛下が決めるモノ。私の一存では如何ともし難いのですが、エスピラ様に私の管轄する地域の人間が無礼を働いたのであれば謝罪を致します。もちろん、その賊を捕らえることも約束いたしましょう」
(首は出してこなかったか)
「ええ、是非に。アレッシアとて、マルハイマナを攻撃したくはありませんから。マルハイマナも、後方に敵を抱えたままアレッシア、マフソレイオと大国二つを相手にはしたくないでしょう?」
仕事は済んでいると盗賊の首を出してくれば、少ないと責め立てるつもりもあったのだが、首を出す方が不利益であると目の前の将軍は判断したらしい。
「アレッシアはハフモニとの戦争準備に忙しいと聞いているのですが?」
将軍もにこやかに隣の席をエスピラに案内したまま言ってきた。
「朋友が素晴らしいアピールをしてくれましたので。アレッシアは友を大事にする国家ですから」
エスピラはもにっこりと笑いながら案内してくれた椅子に座った。
シニストラがエスピラの後ろに立つ。
「素晴らしいアピール?」
疑問を口にしながらも将軍は鈴を鳴らした。
マルハイマナの奴隷らしき人たちが現れて、酒と果物の乗った盆を取りやすい位置で掲げてきた。シニストラにも同様に一人着いている。
「将軍も既にご存じでしょう? 私が将軍の名前を知っているように」
エスピラは警戒無く酒の入った陶器を手に取り、将軍の方へ傾けた。
将軍も自身の前に出された酒を手に取り、エスピラへと傾ける。
こつり、と小さく音が鳴った。
二人だけが酒を飲む。
将軍が何かを言う前にエスピラは口を開いた。
「まあ、国家の話はまた後程すると致しましょう。大事ごとを、このように大勢に聞かせるべきではありませんから」
エスピラはマルハイマナの兵を示しつつ、将軍には目と手で奴隷たちをも指し示した。
兵に言ったように装いつつ、奴隷には聞かせるべき話では無いのだと解釈してもらえるように。エスピラとしては兵に聞かれる方がまずいし、囲まれている状況が好ましくないのだが、そちらは分かり切っているとはいえ隠して。
「それよりもカタフラクトの装備の売却について詰めたいのですが、よろしいですか? あくまでもアレッシアに流通する鉄の価格を元に算出した額をお見せしますので、それより高いか低いかをおっしゃっていただきたいのです」
それから、雰囲気を変えつつもエスピラは結局国家に関する話を進めた。
エスピラの先ほどの言葉は、鉄、即ち武器に関する流通能力や生産能力、その加工能力について匂わせつつ、それらを正確に比較できるのは将軍だけ、と言うことである。
疑っては胸襟を開いて、腹の探り合いと見せかけてへりくだる。
こちらは信用しようとしているのに、何故貴方は閉じこもっているのですか、と問いかけつつ、相手に利益を供与する。期待を裏切れば、ディティキの事例があるぞと時折匂わせて。アレッシアのやり方をアレッシア人の口から知らせて。
もちろん、それだけでは無い。
エスピラは時折高すぎる値段を言ったり、逆に低すぎる値段を言ったり。
将軍を揺さぶっているように見せかけて、その実、資金を出すシニストラの表情をちらりと窺っていた。
何のために?
今後の交渉のために。
シニストラが顔に出るタイプなのか、隠せるタイプなのかを知るために。
売却交渉がまとまったのは、カタフラクトの鎧を仕舞っている小屋に戻せば小屋の温度を上げられるようになった頃。
正式な交渉は旅の垢を落としてから、と言うことになった。




