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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十四章
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危険地帯で踊りましょう

 ふう、と息を吐き、エスピラは深く腰掛けた。

 イフェメラはなおも熱い。


「メガロバシラスの討滅。これが成れば、アスピデアウスの功績が積みあがるだけではなく師匠の功績を一つ潰せるのです。第三軍団と第五軍団はそう認識しております」


「既に解散命令は出ているはずだ」


 ひとまず、危険な発言に対してエスピラは注意した。


「でも、皆言ってますし、意識してますよ。俺は第一軍団、俺は第二軍団。第四軍団も仲間だから困ったことがあればすぐに言えよ。まあ、エスピラ様にすぐ言うけどさ。みたいな感じで」


 しかし、カウヴァッロも危険な発言を重ねてきた。

 イフェメラも、だよな、とでも言うべき頷きをカウヴァッロにしている。


(まずいな)


 五万の精兵。

 それは、脅威を抱かせるには十分すぎる。


「ヴィンドの、エスピラ様にとって特別とも言える男の遺言を、アスピデアウスは破ろうとしているのです! 無視しようとしているのです。功労者を大事にしない者に国を預けるのですか。師匠。それは、不忠と言うモノです! 奴らはニベヌレスを食い物にしようとしている! ヴィンドは私にとっても親友なのです! それが踏みにじられるなど、私は我慢できない!」


 がん、と机にイフェメラの拳が叩きつけられた。

 目は赤い。膜を張っている。

 怒りか。それとも、執政官でありながら思うように出来ない自分自身への不甲斐なさか。


「師匠! 私は。私は戦争になれば誰であろうと蹴散らして見せましょう。アスピデアウスであれ、アスピデアウスが例え十万の兵を用意したとしても第三軍団と第五軍団の二万で片づけて見せましょう。今、すぐにでも! この英雄の兵で以て武力討伐をして見せます!」


「駄目だ」

「師匠!」


「半島で半島に対して兵を起こせば、それはどう言い繕ってもアレッシアへの反逆罪になる。多くの者が敵に回らざるを得なくなるんだ」

「師匠。私は、マールバラを完全敗北させた英雄ですよ。私こそがマールバラを完全に倒したのですよ。誰も成し遂げらえなかったことを、この私が完遂させたのです」


(危ういな)


 その勝利が、誰の支えによるものなのか。理解していたとしても言葉に上がらないことが拙いのである。


 マルテレスが勝ったからこそ、アレッシア人にも再び戦う気概が起きた。

 サジェッツァが無駄な戦いを避けていたからこそ、こちらは兵力を温存出来た。

 エスピラが不和をばらまいたからこそ、マールバラの軍団がどんどん崩れて行った。


 マルテレスが殺していったからこそマールバラの意思が伝わらなくなっていった。

 オルニー島をメントレーが奪ったからこそ、相手の補給が十全になることが無かった。

 プラントゥムをペッレグリーノが抑え続けたからこそ、兵を補給し訓練しなおす時間が無かった。騎兵や投石兵に補充が利かなくなった。


 それらがあっての、イフェメラの勝利なのだ。


 例えイフェメラの功績が一番大きいとしても、その前後の働きは無視できるものでは無い。


「イフェメラ。自分の下に功績を積み上げ、高くなった時こそ転びやすくなるというモノだ。

 それに、アスピデアウスの狙いは最初から私だ。私に出てこいと挑発してきている。英雄になった君が政治生命をかけてはならないよ」


「そんな……。でも、師匠は、アスピデアウスの言う通りに」


 言葉に詰まったのを見て、エスピラはおだやかな顔をイフェメラに向けた。少しだけ困った感じを入れておくのも忘れない。


「第一次メガロバシラス戦争で、アリオバルザネス将軍が降伏してきた時のことを覚えているかい?」


 一気に決着をつけるために王と宰相を襲いたかったが、ゆっくりと降参してきたために追撃ができなかった戦いを。

 その後もその名声故に奴隷として売ることも解放しないことも許されなかった戦いを。


「もちろんです」

「似たようなことを私がしたんだ。勝者であれ、これ以上攻撃ができないように。傷を最小限に抑え、反撃のための力を保持する。そのための追放だったんだが。そうか。私を許しはしないか」


「それなら出るべきではありません!」


 先ほどまでの言を翻し、またイフェメラが吼えた。

 だが、今度はすぐに勢いをなくし、でも、と口にしてソファに腰を落としている。


「その通りだよ、イフェメラ。でも、君の危惧通りニベヌレスや実の妹を無視すれば求心力を失う。次なんて無い。例え無理矢理であり、自分が多少の悪評を負ってでも私に止めを刺したいんだ」


 どうするかなあ、とエスピラは顔をあげた。視界に天井が映る。


(違うな)


「アレッシアに行くのは、確定だな。罠であり、向こうが望んでいる展開ではあるが、私が行かねばならないし、行かなかった私を私は許せないだろうからね」


「師匠……!」


「期待しないでくれ。向こうが揃えているのは追放されても良い者達。いや、私に攻撃されて追放されることすら想定内。むしろ好都合に思うかもしれないね。国政に参加するべきではない口だけの輩を、嘘か真かも分からない悪評しか口にできない愚か者を排除できる、と。

 それに、醜聞を武器に攻撃したところで、こちらの品位も下がるだけだ。そんな者が国を動かすなどあってはならない。そんな風に持っていくこともできるしね」


 さてさて、と思い、エスピラは肘をついた。


 顎をのせ考える。


 現在の元老院議員、および次の元老院議員の有力者に対する個人的な攻撃手段は各種取り揃えてあるのだ。問題は、それを使うことを向こうは想定しているであろうと言うこと。


 既に見せているのだ。

 カルド島を取るために執政官になった時に。なる時の演説で。


(幸いなことは)


 向こうもそれらを把握するために時間をかけていることか。

 いや、昨年はそのための時間か。


 そうなれば、まさに死地だ。エスピラへの対抗策を練りに練ったうえで戦いを挑んできているのだろう。いつもは研究する側だったエスピラが、完全に。いや、既に戦争の後半では研究される側にもなっていたが、彼ら以上の敵だ。


 しかも、エスピラは仕事量を抑えてきた。

 それでも多すぎると言われるほどではあるが、予想していたことをほぼ全て網羅することはできていない。ソルプレーサとシニストラも一時的に離れている。


「メルアに怒られそうだ」


 はは、と。少しだけ楽し気な色も混ざった声をエスピラがこぼした。

 イフェメラの表情が険しくなる。


「またあの女が、何か?」


 放たれたのは低い声。


「イフェメラ」


 エスピラも、不快だと音色で伝えた。



「師匠。流石に言わせていただきます。


 国家の重鎮の妻として、メルア・セルクラウス・ウェテリは相応しいのでしょうか。


 確かにセルクラウスは優秀です。フィルフィア様を見ても分かります。ですが、悪評の多い女を妻としておけば、その内エスピラ様の悪評に繋がります。

 エスピラ様の妻たるもの、些細な疑いも許されるべきではありません」


 イフェメラもひるまない。

 毅然とした態度で伝えてくる。


 エスピラも、顎をあげ首を見せつけるような形で口を開いた。


「国家の重鎮の妻として相応しいか相応しくないかで言えば相応しくは無いな」

「なら」

「だが、私の妻としてはメルア以上の者はいない。


 それに、メルアは決して私の名を騙らない。私の名で横暴を振るうことも無い。権力者の名で権力者に近しいモノがお気に入りを集め、騒ぎ、便宜を図ってもらうなど腐った国家の典型的な例だ。国が乱れる前兆だ。


 昔の、東方に居た武で鳴らした王はそれを防ぐために後継者を産んだ妻を殺したほどの者も居る。

 だが、メルアは決して私の名で何かをしようとはしない。


 それに、ああ見えて子供たちには優しいんだ。良い母をしている。厳しい面もあるが慕われている。文句を言うのはやめてもらおうか」


 ぐ、とイフェメラの拳が握られた。

 膝付近の布も皺ができている。寄っている。


「…………申し訳、ありませんでした」


 心は籠っていない。

 だが、何を言っても無駄だろう。それが分かるぐらいの付き合いはあるのだ。


「イフェメラ。君と敵対することはアレッシアの損失だ。君の私を心配する気持ちは嬉しいが、私にとってはメルアこそが全てなんだ。気を付けてくれ」


 さて、こちらからも詳しく聞きたいことがあってね。

 と、エスピラは雰囲気をがらりと変えた。軽くした。


 手紙で読んではいたけど、是非とも直接聞きたいんだ。イフェメラの、英雄譚を。


 そう、伝えもする。

 イフェメラの顔も一気に明るくなった。

 カウヴァッロが「その前に夕飯ですかねえ」とこぼす。続けてさらりと「メルア様は起きられますか?」なんて、先ほどのやり取りを気にせずに聞いてきた。


 その良い感じに抜けた調子に救われつつ。


 エスピラは、メルアの様子を確認した後、男三人で話に花を咲かせたのだった。


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