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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十四章
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これのどこにっ!

「旦那様」

 と呼ばれ、エスピラは慌ててメルアの口に左手を突っ込んだ。がり、と思いっきり噛まれる。そのまま赤ら顔のメルアににらまれた。荒い息が白すぎる自身の手だけで無く、メルアと密着している胸から足の付け根にかけて感じ取れる。平時より高い体温も自ずと感じられ、水だけでなく汗でもって張り付く髪が、愛妻の顔を伝う様が、エスピラを別世界へと連れ戻そうとしてくる。


「入浴中は近寄るなと言っているはずだが」


 余裕のなさそのままにエスピラは家内奴隷に対して怒りを告げた。


 頭を下げたような気配を感じる。悪戯で挑発的な顔を浮かべた愛妻の所為で余裕のなさに拍車がかかったが、頬をこすりつけてやめるように伝える。


「申し訳ございません。ですが、イフェメラ様がすぐにでもエスピラ様にお会いしたいと申しておりまして」


 慌てたように、困ったように。あっちこっちに飛ぶ奴隷の声が風呂場で跳ねまわった。

 お会いしたいと申している、とは言うが、実際はそんなに優しいものでは無いのだろう。


「怒って悪かった。が、私がそれほどまでにメルアとの時間を邪魔されることに怒りを示したとも伝えておいてくれ。それから、待つように、とも。あと、君は、そうだな。私に私の部屋の掃除を頼まれたとでもして避難しておく良い。無理に応対しなくて良いぞ」


「ありがとうございます」


 勢いよく頭を下げた気配の後、足音がどんどん小さくなっていった。


 それを待ってから、エスピラは愛妻の口から左手を抜く。唾液がべたり、と二人の足元に落ちた。


「こんな時に他の女と話すのね」

「仕方が無いだろ」


 許してくれ、と。

 言いはしないが行動で示したがために入浴時間はさらに伸びてしまったのだった。


 その所為ですっかり疲れ切ってしまったメルアを先に寝かせ、髪の水気を取り、絹で包む。そこまでの一連を行ってからエスピラは自身の服装を整えた。


 濡れた髪は乾ききっていないが、致し方なしと書斎に向かう。その場には足を広げ、肩を怒らせ指で膝を叩いているイフェメラとぽけーとした顔で上を向き、何かを考えている風なカウヴァッロが居た。


 エスピラに気づいたのは、カウヴァッロが先。


「あ、エスピラ様」


 イフェメラが勢いよく振り向く。


「エスピラ様の曽祖父の弟の息子の娘の嫁ぎ先の娘、ですよね」


 が、何かを言う前にカウヴァッロが続けてきたため、イフェメラがカウヴァッロを睨むように止まった。


「カウヴァッロの妻なら、そうだな」


 言わば無理矢理に見つけたウェラテヌスの遠縁。


 一族、いえーい、とカウヴァッロがイフェメラに言った。イフェメラはその遠さはもう一族とは言いません、と返している。カウヴァッロは首をかしげていた。


 遠さ、で言えばアスピデアウスのあの集団はどうなるんだ、と言うのはあるが、確かにエスピラもカウヴァッロの妻は一族とは言い難いとは思っている。姓が二度も変わっているのだ。曽祖父の弟は婿入りのため、その息子はもうウェラテヌスでは無い。そして娘が嫁げば生まれてきた娘の姓もまた変わる。


 そんな、ある種どうでも良いことを考え、エスピラの軍団における武闘派の二人を見ながらイフェメラの向かいに座った。


 奥の書斎の机に座っていたカウヴァッロも席を立ち、イフェメラが姿勢を整えたことでできたスペースに座り込む。イフェメラはカウヴァッロをちらりと見たが、文句を言わずにさらに左側に寄った。


「師匠! 追放とは、どういうことですか!」


 用件を聞く前にイフェメラが吼える。

 いや、予想通りと言うべきか。


「知っての通りだよ」

「知っての通りではございません! 師匠が追放されるいわれは無いはずです。はずではありません! いわれは無い! そうでしょう!」


「落ち着け、イフェメラ」

「落ち着いてなどいられません! 師匠。おかしいです。これは、アスピデアウスの専横です。国をたった一つの家門が牛耳っているのです」


 エスピラは全てを受け入れるような慈悲の表情を保ちながら口を開いた。


「国を二分するべきではないよ」

「やらねばならない時もございます」


 対するイフェメラの目は血走っていてもおかしくは無いものだ。


「イフェメラ。君は今年の執政官だ。軽々しく言うモノじゃない。それに、例えそうして私が政争に勝ったとしても、周りから見ればアスピデアウスがウェラテヌスに代わるだけだ」


「果たしてそうでしょうか」


 虎狼の目つきでイフェメラが言う。

 その様子を見ながらエスピラは家内奴隷からお茶を受け取り、ドライフルーツを中に入れた。


「アスピデアウスは、オルニー島を奪い去りました。確かにメントレー様が占領したとはいえ、ニベヌレスに領有権はございません。しかし、ニベヌレスにも一言声をかけるべきではありませんか? 建国五門の一つにして大功のあるニベヌレスに対して、そのような行いをしても良いモノでしょうか!」


 聞きながら、エスピラはドライフルーツを家主であるカウヴァッロに回した。

 客人であり執政官でもあるイフェメラは最後と言うことになる。


「オルニー島はアレッシアのモノだ。呑み込み切れない思いはあれど、文句は言えないよ」


 それに、アダットの対応も拙かった。


 確かに一時はタルキウスが舌鋒鋭く批判した、なんて話も出たが、実際のところはどうやら淡々とエスピラの代わりに反論を述べ、正論で説き伏せただけらしい。追放の撤回は本人が認めたのならあとは元老院の判断に従うだけだ、ときちんとアスピデアウスの顔も立てたのだ。


 トリンクイタもどっちつかずな態度で。ただ、個人的にはエスピラに同情すると義兄として述べただけらしい。


 対してアダットはただひたすらに、泣きながらアスピデアウスの非を詰った。その背後にはカリヨがまたしても送った弾劾状が関係しているかもしれないが、カリヨは形式上はジュラメントの妻だ。直接国政にかかわれるわけでも無ければ、ジュラメントと不仲なのは誰もが知っている以上口うるさいだけ。アスピデアウスも攻撃すれば狭量だと罵られる材料にしかならないのである。



「師匠。アスピデアウスは、すぐにでもメガロバシラスと戦争を行うつもりです。今国土は荒廃し、兵は疲れ、物価は高くなる一方。そんな状況にも関わらずまた戦争をしようとしているのです。


 師匠、私だってメガロバシラスとはその内もう一度戦わないといけないことぐらいわかります。ですが、今ではありません。今だとしても、やるならば師匠を始めとするエリポス方面軍が中核を担うべきでしょう。今の軍拡は、徒に敵を増やすだけです。


 ですが、師匠は追放の身。ソルプレーサは師匠と同時に退き、他の者も選挙が行われるまでは元老院議員では無く、ピエトロ様やカリトン様はディファ・マルティーマに籠っているような状況です。追いやられている状況です。


 師匠。奴らには、アスピデアウスには自分の利益しか目に入っていないのです。


 師匠ならばそんなことはしなかった! エリポスの技術者に厚遇を施し、各王と協調し、マフソレイオから支援を取り付けました。一括すれば裏切り者であるカルド島の者も見極め重用し、裏切り疑惑のあったディーリーも許され、高官に留まることを良しとしました。


 師匠とアスピデアウスが入れ替わるだけ? そんなわけがありません。師匠こそがアレッシアの第一人者として元老院を引っ張るべきなのです」



 熱意は十分。

 それはもう赤子でも分かるほどに伝わってきた。


 が、熱意だけでどうにかなる問題ばかりでもない。


「心意気は嬉しいけど、ジュラメントは納得するかな」


 故に、エスピラはイフェメラ用に直接の揺さぶりをかける。


「カリヨ様への裁判の準備が進んでいると、フィルフィア様から聞きました」


 エスピラの手が止まる。


「ジュラメントも動かざるを得ないでしょう。妻を見捨てることはできませんし、そうすれば師匠を慕う者達からジュラメントは敵としてみなされます。ジュラメントには師匠に敵対する意思は無いのです。義弟として義兄を慕っているだけなのです」


 そんなことはどうでも良い。

 そうは、言えず。


「エスピラ様が思うよりもずっと建国五門とはアレッシア人にとっては特別な家門です。

 その中で、タルキウスは当主こそ中立と言う名のアスピデアウス寄りですが中身はエスピラ様寄り。パラティゾ様やエスヴァンネ様とマシディリ様およびクイリッタ様を比べてエスピラ様につくことを決めております。


 ナレティクスも基盤を徹底的に破壊しようとしたアスピデアウスよりもエスピラ様寄りです。フィガロット様を始めとする裏切り者は死んで当然ですが、それでも大勢を処刑し、生き残りも高貴な生まれでありながら奴隷として売り捌いたアスピデアウスにつくことはできないでしょう。


 ニベヌレスもこのままでは新当主はマシディリ様のご兄弟も同然。

 ならばこそ、アスピデアウスからすればニベヌレスは切り崩し、建国五門の数を互角に持ち込みたい。それが裁判の狙いでしょう。新当主後補の母親を叩き、ニベヌレスの基盤を叩き、現当主のアダット様を手中に収める。


 そのための戦いだと。フィルフィア様が申しておりました。ジュラメントも同意しております。私にも分かる理屈です。


 師匠。これの、どこにアレッシアのための行動があるのでしょうか」


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