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マルハイマナ

 襲撃があった日の翌日、すぐにとはいかなかったが、昼過ぎには『使節の出迎え』と言う名で十名ほどの一団がやってきた。


 高官らしき男だけが鎧の無い正装に短めの剣。馬に乗っている二名はマルハイマナ特有の重装騎兵、うろこ状の鉄の鎧を馬に被せたカタフラクトであり、歩兵の七名は身なりの整えた軽装歩兵である。


 どちらも急いできたことをアピールするためか、足元に泥が跳ねていた。

 とは言え、荷物持ちの奴隷たちに息が乱れた様子は無い。


「アレッシアのエスピラ・ウェラテヌス様ですね?」


 馬から降りて、独特の訛りが残るエリポス語で高官らしき男が言った。


 体の片側を紫のマントで隠し、その上左手だけに手袋をしている男などそうそういないと、エスピラ自身も分かっている。


「私はアブハル・アブー・ハイダラ将軍旗下リドワーン・アブー・フサームである。以後、お見知りおきを」

「エスピラ・ウェラテヌスです。いえ、マルハイマナ風に言えばエスピラ・アブー・マシディリ、と名乗っておきましょうか?」


 エスピラは、マルハイマナの言葉で返し、笑みと共に手を差しだした。

 名前がエリポス圏のモノではなく、マルハイマナのモノであったからであるが、当たりだったようで聞き取れたような反応で高官が手を握り返してくる。


 マルハイマナでもアレッシアでも個人に授けられる名前は一つである。


 違いは、アレッシアは個人の名前と共に父祖、一門の名を組み合わせたり称号を入れたりするのだが、マルハイマナはそれが父親の名か子供の名と共に組み合わされることだ。


 その法則に従えば、エスピラの名前はエスピラが自己紹介したように『エスピラ・アブー・マシディリ』、マシディリの父親のエスピラ、と言うことになる。


「こちらはシニストラ・アルグレヒト。失礼。アレッシアでは父祖の名は神に並ぶほどに重要なモノ。私の一存では彼の名まではマルハイマナの流儀に従って紹介できないことお許しください」

「構いませんよ。この通り、私たちはアレッシアにとっては大事な短剣を預けられるぐらいですから」


 高官らしき男、リドワーンが腰に下げていた短剣を紐ごと取った。シニストラがエスピラの前に出る。手は剣に。にわかにマルハイマナの兵も色めきだった。エスピラはシニストラの前に右手を出し、彼を押さえる。リドワーンはエスピラから目を離さず、堂々としていた。


「リドワーン様のお心遣いに対して失礼なことをしてしまい、申し訳ありません」


 エスピラは手を伸ばし、リドワーンの短剣を受け取った。


「構いませんよ。短剣を差し出してくれば訝しむのは当たり前のこと。信用を示すために行った行為ですが、ええ、当然の警戒ですとも」


 リドワーンが両手を広げて、シニストラに「調べますか?」と言った視線を向けた。

 前に出かけたシニストラが、足を止めてエスピラを見てくる。

 エスピラは首を横に振った。


 やらなくて良い。命を守ると言う万全を期すならするべきだが、この場合はまず仮初でも信用を示すべきである。命を懸けているのか刃を隠しているのかは分からないが、この時点では相手により胸襟を開いているのはリドワーン。


 盗賊に対する疑いと言う札を使うならば、此処で余計な疑いを相手に見せない方が良い。


(イルアッティモ様ならばひねり潰したのだろうが)


 ディティキのような小国とは違うのだから、多少の危険を受け入れなければなるまい。


「皆様がお迎えに来てくれたと言うことは、すぐにでも将軍にお会いできると思ってもよろしいのでしょうか?」


 リドワーンに並びながらエスピラが聞く。


「もちろんです。このような地ですので豪勢なおもてなしはできませんが、精いっぱいの準備をして将軍がお待ちしております」

「それは、あまりお待たせしてはいけませんね」

「ご安心を。皆様のための馬を用意してあります」


 この場合の皆さまとは、エスピラとシニストラのことである。

 それから、リドワーンが荷物の膨らんだ奴隷を見た。


「その荷物もこちらでお運びしましょうか?」

「こちらは将軍への献上品ですので私たちで運ばねば意味が無いでしょう。ですが、お気持ちを受け取らねば失礼と言うこともありましょう。代わりに紐を幾つか用意しては頂けませんか? 私とシニストラの馬の後ろに括り付けさせていただきましょう」


 そうすれば互いが互いのために運んだと言うことになりますよね、とエスピラは結んだ。


 もちろん、エスピラの意図はそこだけでは無い。


 盗賊からの武具だと中身に確信を持たれたくはない、武器を渡すほどに信用はしていない、荷物を運んでもらうと言う行為で恩を売られたくはない。最も重要なのは、奴隷からの心証を良くすること、だ。


 奴隷とは言え、此処では数少ない味方。無駄に反感を買ってマルハイマナに買収される様な自体は避けねばならない。それに、借りている奴隷とは言えここで優しく、良い主たればその後にも生きてくる。


 エスピラは馬の元へと案内されると、形だけ自分が持つと渋る奴隷から荷物を受け取り、馬に括り付けた。


 そのまま他愛のない話をしながら進む。

 作物がどうだの、良い馬だの、海路は安全だったかだの。

 当然のことながら、海賊や山賊が多くて危険な地域でもあるとも語られた。


 エスピラも適度に相槌を打ちながら会話を進める。おそらく、互いに何気ない会話から人となりや国の情報を抜き取ろうとしたのだろうが、エスピラが新たに分かったことは『兵はエリポス語が分からないこと』『駐留軍とは言え、戦闘のほとんどは賊退治であること』『マフソレイオの先遣隊とすら戦った経験の無い兵が多いこと』ぐらいである。その中でリドワーンなどの指揮する立場にある人間はマルハイマナにとっての東方戦線やマフソレイオとの戦いを経験したことがある人であるらしい。


 要するに、作戦としては兵に足りない経験を指示する者の経験で補う形で作り上げられた軍隊だ。急に大国と戦いになっても、恐らくは小さな戦いを続けて経験を積ませてから会戦に挑むのだろう。


 抜き取られた情報はマルハイマナの言葉が分かるのはエスピラだけであることと使節団は未だにマフソレイオに滞在していること。抜き取らせたこととしては『マフソレイオの豪華な船団がアレッシアに向かって出発したことの裏付け』である。


 そんなことを話しながらでもあり人数が増えたこともあり移動速度が落ち、会った日は移動だけで終わってしまったが、マルハイマナの将軍がいる砦には翌日の昼間に着いた。


 出迎えとして居並ぶのは見事に整列したカタフラクト。その数は千を超えるだろう。

 門を出てまで左右に一列に並んでいる。手には槍。馬に掛けられたうろこ状の鉄の鎧と乗り手が纏っている同じ色の鉄の鎧。これらが、景色を一色に染め上げている。


「あの装備、売ってくれないかな」


 カタフラクトの隊列を見ても驚かない馬をなでつつ、エスピラの口からつい零れた。


「買い取ることは出来るのでは?」


 シニストラが背筋を伸ばして堂々としたままアレッシア語で返してくる。


「手が出せる値段だと良いのですがね」


 内心では溜息をつきつつも、エスピラも背筋を堂々と伸ばし、声も常のままでシニストラに返した。

 シニストラが横の距離は変えず、縦の距離を変えてエスピラに近づいてくる。


「一つくらいならばアルグレヒトで買いましょうか。ウェラテヌスとの友好の品として。あるいは、マシディリ様の生誕祝いも兼ねて。関係があるとはいえ遠縁ですので、縁を結びなおすと言う意味合いでは良いのではないかと思いますが」


 跳び上がりそうになる心を、エスピラは一回落ち着けた。

 浮つきそうな声には慌てて重石を縛り付ける。


「良いのか?」

「はい。アルグレヒトの名に懸けて」

「恩に着る」


 エスピラは一度だけシニストラの方を向いて、礼を言った。


「自分で言っておいて、ではありますが、一つでよろしいのでしょうか? 実戦で使用するならば最低でも二十や三十は必要ではありませんか?」

「ハフモニとの戦争で使うつもりは無いさ。必要になってくるのは別の戦争。戦象の時のように、見たことの無い生き物だと認識すると馬はパニックになるからな」

「それは」

「生産だって間に合うだろう?」


 エスピラの見ている景色を理解してくれたのか、それとも雰囲気でこれ以上の会話はやめるべきと判断したのか。


 どちらにせよ、シニストラが何も言わずにゆっくりと最初と同じ距離に戻っていった。


(マルハイマナがマフソレイオの敵である以上はな)


 十年以内ならば知らないふりもできるが、十年後、二十年後ならばエスピラはそうも言っていられなくなるだろう。


 エスピラは前方に立派な丁子色ちょうじいろ(黄土色を少しばかり濃くした茶色に近い色)の風除けを纏った男を認めて、馬から降りた。男の足元には豹の毛皮が敷かれており、位置的にも立派な口ひげを蓄えている彼が将軍だろう。年齢は四十後半といったところか。


「豪勢なお迎え、誠に感謝いたします」


 エリポス語で丁寧に、敬意に満ちた声で言いはしたが、エスピラは頭は一切下げなかった。


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