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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十三章
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神話から人の世界へ

 飛び降りるべく足に力を入れる。

 そこでようやく木々が揺れ、葉と共に音が落ちた。しかし、それだけ。エスピラの着地音は、成人男性が飛び降りたとは思えないほどに静かなモノ。音と姿が歪とも言え、静かすぎる音のため当然のことのように、猫や虫が着地したのと同じように世界に流されたとも言える。


 が、なるほど。


(流石だな)

 とエスピラが思うくらいにはすぐにハフモニ兵がエスピラの方へとやってきた。


 エスピラもすぐにペリースの下から投石具を取り出す。石は拳ほど。兵が一気に引いた。


 怖気づいたのでは無い。

 マールバラを守るためだ。


 もちろん、推測に過ぎないが。


「遅いよ」


 だが、エスピラの投石具は既に石を放っている。

 直撃。人に? いや、馬に。


 外したか、と思いはしたが、エスピラはすぐに剣を抜いた。マールバラの乗っている馬は暴れている。目が潰れて、出血し、蹄で近くの兵を蹴り飛ばしていた。

 マールバラは最初はこらえていたが、次には地面に落ちている。ただし、衝撃を吸収するように受け身を取っていた。あえて落ちたのだろう。


 肉壁となるためか、兵が三人エスピラの方へ向かってきた。きっちりとマールバラとエスピラとの直線上に入っている。

 汚れた鎧が音を立て、ちらちらと入る光は一切反射させずに。しっかりと臭いも近づいてきている。いや、鼻ではなく目で感じ取った匂いかも知れない。確実なのは音が近づいてきていること。


 そしてエスピラまであと少しとなった時に、地面が陥没した。


 悲鳴は上がらない。剣も放していない。されど、目は大きく焦点はエスピラから外れた。

 その隙に、エスピラは一番近くの男の目に剣を突き刺した。そのまま深く差し込み、手を放して剣を蹴り込む。


 草から放たれた投石が残りの二人の頭に直撃した。

 血が噴き出し、兜が飛ぶ。兜をつけていなかったもう一人は目がうつろになってきた。

 石の射出先に目が行っている間に出てきたシニストラが二人にとどめを刺す。


 すぐに、無音。

 確かに兵は隠れているのに、何一つ音は立てない。


 地面は土であり、木の根も所々に張っている。此処はまだそれなりに猟師なども歩く道だからか地面は固まっているが、横はそうでもない。現に暴れた馬は足を取られるような形で倒れ、今は無音だ。


 もちろん、周りにいた兵も。


 がさりがさりと葉が音を立て、土煙が舞っている内に暗殺者が殺したのだ。

 当然、エリポスでの運用を見据えて育て始めた暗殺者である。アレッシア人である以上はほとんど使う機会に恵まれなかったが、今、こうして森の小道の戦場で出番に恵まれたのだ。


 異様なほどに、無音。


 エスピラは道の中央に立ち、シニストラが右斜め前に居る。

 対してマールバラは他の兵の中におり、代わりの馬も今は足を止めていた。その馬はエスピラが運用している軍団の馬よりも痩せている。


「そういえば、落とし穴はこう使うって伝えた方が良かったかな」


 エスピラがハフモニ語で言った瞬間、エスピラの後ろの土が跳ねた。

 四人のアレッシア人が出てくる。手には投石具。エスピラを飛び越え、敵兵に石が突き刺さった。防ぐのに左腕を使った者も居たが、誰も戦闘不能にはなっていない。


「大事なのは、土の中では呼吸ができなくなるらしいってことさ。次は無いが覚えておくと良い」


 マールバラと思しき男の目が一度上に動いた。

 シニストラの剣先が動く。マールバラの前の兵のつま先が追随した。


「一騎討ちの申し込みがあったな」


 馬から落ちた男が右足を前に出した。次に左足。右手も横にやり、他の者から剣を受け取っている。


 誰の剣か。


 見間違えるはずはない。


 土と血に塗れた絹の布に覆われていたのは、エスピラの義父にして師匠のような存在であるタイリー・セルクラウスが大事にしていた剣だ。


(切り札か)


 エスピラは、自身の右手に強く押し付けられる形になった剣の柄を感じて、ゆるりと指から力を抜こうとした。


 挑発だと分かっているのにうまくいかない。


 アレッシア人の性格を良く知っている、と心の中で余裕ぶって褒めてみるも、手の感触がいつもと違うのは否めなかった。


「仇、と言えばお前は私にとって大事な人ほぼ全ての仇だが、シドン、グラウ、アイネイエウス。三人の弟の仇なのは否定しようがない事実だ」


 じっくりとエスピラに見せつけるようにしてマールバラが剣を抜いた。

 声は、存外低い。だが指揮官らしく良く通る素晴らしい声だ。


「マールバラ・グラム。一人の男として。兄として。この命を賭して弟の仇を討つ」


 そして、マールバラがハフモニ語で高らかに宣言した。

 完璧な挑発の言葉だろう。アレッシア人の好きな言葉を並べたつもりだろう。

 アレッシアが父祖を重んじるのなら、自分は弟を大事にするぞ、とでも言うささやかな反抗もあるのだろう。


 エスピラは、真剣な表情を維持したまま剣をしまった。


 怒れるハフモニ兵を前にして抜くのはウーツ鋼の剣。カナロイアの王子であるカクラティスからの貰い物。秘宝とも言えるべき価値の高い、それだけで誰から奪ったのか良く分かる戦利品になり得る剣。


 ハフモニ兵の踵が地に着いた。

 代わりに口角は少しばかり上がる。


「遅い」


 しかし、エスピラの声は低く、冷たく、鼻で息を吐き捨てるモノ。


「弟が死んだのはいつだ? グラウの時は逃げ、アイネイエウスの時は見捨て、シドンの時に出てくるのか? 私には弟を餌に私を姑息な罠にかけようとしているようにしか見えないぞ?


 良いことをもう一つ教えてやろう、マールバラ。

 アレッシアは、アレッシアを苦しめた者を貶す輩など許さない」


 ゆっくりと、エスピラは剣を目の前に立てた。


「我が友、アイネイエウスの名誉にかけて」


 エスピラが言う。

 マールバラの腰が落ちる。


「あくまでも、私たちらしい決着をつけようじゃないか」


 そして、剣を真下に振り下ろした。

 マールバラが前に出る。エスピラは棒立ち。音。草の音。風切り音。


 マールバラ目掛け、横から後ろから土から木の上から。石の一斉射が襲い掛かった。


 その全てがマールバラには当たらない。だが、確実にハフモニ兵の体に石が埋まる。


「アイネイエウスがこだわったことだ、マールバラ。

 まさかアレッシアのことは知っていても弟のことを知らないとは言わないよな」


 エスピラは目を大きくし、瞬き一つせずに言い切った。


 グラム家の実情は知っている。その上で言ったのだ。

 マールバラは能力値としてのアイネイエウス、作戦傾向としてのアイネイエウスは知っているだろうが、趣味は何かや何もない部屋が落ち着くだとか言うことは知らない。絵のうまさも知らない。どれだけ家族を大事にしていたかも知れない。


 それを知ったうえで、エスピラは言ったのだ。


「その剣を使うことよりも、お前の自己満足にアイネイエウスの名前を出したことの方が私にとっては良い挑発だったよ。名を出すなら、せめて仇と言った者よりも故人を偲べ」


 草の揺れは一回だけ。

 あとは静かに。


 確かにエスピラの兵が周りを囲んでいるが、誰も音を立てない。

 奇しくもマシディリとは逆の状態。音で大軍を作った息子と、音からは全てを隠した父親。


 独特のひりついた空気が肌を刺激した。


「前進せよ」


 空気を動かすのは静かな声。マールバラの声。

 次いで地響き。


 エスピラは剣を構え、目を細めた。ハフモニ兵は一丸となって突っ込んでくる。

 足は揃ってはいないが、距離はある程度揃っている。しっかりと整えられた部隊だ。


 その部隊が、落とし穴を越える。

 それを見届けて、エスピラは一気にシニストラ側に退いた。


 シニストラがエスピラを守るようにして後ろに下がる。逸れてきたハフモニ兵に迷いはなく、シニストラとぶつかった。シニストラが白のオーラを纏い剣の下をくぐる。肉薄し、気迫の一撃。


 肉塊が、どさりとシニストラに持たれつつも跳ね除けられた。

 ずろり、とエスピラを守るようにアレッシア兵も草むらから出てくる。ハフモニ兵は数人だけエスピラの方にやってきたが、ほぼすべてが駆け抜けて行った。


 ちらりと、一瞬だけ再びマールバラと目が合う。

 しかし、すぐに視線は切れて走り去って行った。


 音だけが残る中を見送り、エスピラは剣を鞘に戻す。


「捕まえたぞ、マールバラ・グラム。次は私の舞台で死合おうか」


 そして、エスピラは誰も理解することができないハフモニ語で指さしたのだった。


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