出会い
見送られたその足で、エスピラはサジェッツァの元に向かう。
本来なら使節団長であるタヴォラドの元に向かうべきなのだろうが、そこは『険悪に見える方が良い』という判断のためだ。
「マルハイマナに、か」
サジェッツァがこぼす。
手元に積まれている書類も、何かの用事できていたのであろうシニストラ・アルグレヒトもエスピラの言葉の途中で外に出してサジェッツァがエスピラに応対してくれた。
「交渉自体はそう長くはかからない。むしろすぐに終わるだろうさ。マフソレイオが混乱し始めている今ならな」
サジェッツァが口元に手を当て、目を斜めに落とした。今後を計算しているのであろう。
サジェッツァとしては使節団としての結果が欲しい。マルテレスを護民官とするためにも。
果たして、エスピラがマルハイマナに赴くことが使節団の結果にも結びつくのか。本当にマフソレイオが緑のオーラ使いの派遣を求めたとして、来た者が功績を奪おうとはしてこないか。抑えられるのか。
「明日、また来てくれ」
タヴォラドとも相談するような結果に至ったのか、サジェッツァがそう言った。
(書類もたくさんあるしな)
紙も安くはない。それでも溜まっているのだから、重要な事柄が多いことは察するに余りある。
「分かった」
エスピラは退出しようと足を動かしかけたが、サジェッツァの手が紙に向かわなかったため足を止めた。サジェッツァの顔もエスピラを見たまま。
「そう言えば、マルテレスがアレッシアに連れて帰りたい娼婦を見つけたそうだ。エリポス語しか話せないが、客を選び、見目麗しく、機知に富んでいると評判らしい」
評判らしい、は既にサジェッツァが周りから集めた情報だろう。
マルテレスは不確かなことで「連れて帰りたい」までとは言わないはずだ。
「政治的な側面を補うのが目的か」
「だろうな」
どうする? とサジェッツァが目で聞いてくる。
「エリポスへの憧れか? その昔は、高級娼婦が政治的な助言を行うことも珍しくなかったらしいからな。いや、今もその文化は残っているか」
エリポスでも三本の指に入る歴史ある国家カナロイアなどは海軍が発達した結果平民が大きな力を持っている。
だから、マルテレスが自身の欠点を補うためだけではなく平民からの支持を取りつけ、力を得るために模倣していてもおかしくはない。
あるいは、そう言って娼婦がマルテレスに取り入ったか。
「エリポスは文化的でアレッシアは野蛮と言われている。あくまでも他国でのイメージだが、アレッシア人もそのように言われることに憤りながらもエリポスを讃えているのは事実だ」
だから、選挙には役に立つ、とサジェッツァは言っている。
「私も否定するつもりは無い。むしろ多様な意見をマルテレスが聞けるようになるならば歓迎するべきことだろう。マルテレスだけでなく、アレッシアのためにもなる。
ただ、何度も言うことにはなるが彼女の意見が絶対だとなってはならない。頼り切りになってはならない」
マルテレスなら心配ないと思うがな、とエスピラは結んだ。
とは言え、絶対では無い。
すり寄ってくる者達自体が、と言うこともあるが大きな力を持てば変わることも往々にしてあることだ。友なら心配ないとエスピラは思うが、それは冷静な判断か盲信かと聞かれれば答えに窮してしまう。
「いざと言う時は」
サジェッツァの眼光が鋭くなった。
「それがアレッシアのためになるならな」
エスピラは頷いて、右の腰元に差している短剣に触れた。
マルテレスが悲しむことにはなるだろうが、マルテレスが破滅へと歩むくらいならエスピラに迷いは無い。
「私も、エスピラの邪魔にならない範囲では協力すると約束しよう」
言ってきたのはサジェッツァの方ではあるが、特には何も言わずにエスピラは退出した。
すぐには決められないから明日来いとは言っていたが、マルハイマナに行けるのは確実と思って良いだろう。後は政治的な判断で他の者も同行するかどうか。きっちりとした使節の体を取るか、密使に近い形にするか。
どちらにせよ、エスピラのすることに大きな変更は無い。
「終わりましたよ」
エスピラは、外で待っていたシニストラに声をかけた。
シニストラは剣のような雰囲気のまま、小さく頭を下げてくるものの、部屋に戻る気配は無い。
話があるのだろうか、と思い、エスピラは
「何か?」
と問いかけた。
シニストラの頭が上がる。
「私はエスピラ様の妻でありますメルア様の遠縁にあたります」
知っている、とエスピラは目でシニストラに言った。
同時に、遠すぎてシニストラのアルグレヒト一門はセルクラウスからの恩恵もほとんど受けられていないことも知っている。
(今回の使節団に入っている時点で受けてはいるか)
たとえそれが荷物持ちや護衛的任務であっても。
「腕にも自信があります」
そうでなければ選びませんよね、とエスピラは思ったが言いはしなかった。
「腕は私も少々覚えはあります」
ハフモニからの刺客と戦った時は三人すべてに組み合えば押されていたような気がしたが、エスピラはとりあえずその事実を心の棚にしまい込んだ。
「腕だけでなく、詩作にもそれなりに自信があります」
慌てたようにシニストラが言って、服の中から粘土板を取り出した。
重いのに持ち歩いていると言うことは、アピールの機会があれば逃さないためであろう。
(ほう)
エリポス語で書かれたその詩の出来は、シンプルでありつつも分かりやすくてエスピラは好きだった。
詩作がそのまま外交で重要視されることは、マルハイマナなどの実力主義国家ではほとんどあり得ないだろう。だが、シニストラの教養を示すものでもあり、外にも興味を持っている証である。
「マルハイマナに着いていきたい、と言うことですか?」
エスピラの直球の質問に、シニストラが頷いた。
「功績は一切主張致しません。交渉にも口を出しません。ただ、エスピラ様のお子、マシディリ様にも私と同じアルグレヒトの血が流れていることを思い出してほしいのです。ウェラテヌスの血に、ごくわずかにですがアルグレヒトも入っている。エスピラ様の血の繋がった子供たちが使える縁戚にはアルグレヒトもいるのです」
アレッシアの名門であるウェラテヌスと繋がりを持っておきたい、強固にしたいと言うことだろう。
婚姻を持ち出さないのは、アルグレヒトもウェラテヌスを値踏みしている段階だからか。あるいは既に婚約者が居るのか。そこの情報は、不足している。
「この使節団における私の元々の役割は荷物持ちや護衛と言った雑務です。功績が欲しいとは思っておりますが、このような役割を受け持った私が欲深くなることがあるでしょうか」
慌てて丁寧になるように取り繕ったかのような必死さのある声であった。
エスピラとしては、特に拒絶する理由は無い。
と言うよりも、マシディリを完全にエスピラとメルアの子だと信じて疑わない姿勢に絆されない訳が無い。タヴォラドやタイリーですら苦言を呈してきている子なのだ。
計算があるのか、心の底からなのかでシニストラへの評価も変わるが、その辺りを見極めるためにも共に行動する方がエスピラにとっても得なのだ。
「分かりました。と返事をしたいところですが、私には決定権はありません。サジェッツァには私から話しておきますので、タヴォラド様には貴方から話してもらっても良いですか?」
シニストラの目がゆっくりと大きくなった。
「ありがとうございます!」
そして、シニストラが頭を叩きつけるんじゃないかと言う勢いで頭を下げたのだった。




