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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十三章
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家の中にいる大きな虫

 今のマールバラの軍団は一万三千。練度十分。補給不十分。

 対するエスピラの軍団は二万。うち一万一千は練度最高。九千も何年も戦っている。補給は十分。傷病者無し。


 だからこそ、マールバラが途中で軍団をばらけさせ、翻弄してくるのはある種当然と言えた。


 そうして進んでおきながら、少数になった利点と物資が少ない利点を活かして一気に引くのもある程度当然の行動ではあるだろう。そうして戦場の選択権を持ち続けるのは賢い選択でもある。


 だが、そこは怪物マールバラ。神の化身と謳われた男。

 会戦に絶対の自信を持ち、その力で劣勢を優勢に変えていた男。結局のところ、求めているのは現状を打破する会戦である。


 そんな先入観故にエスピラは反応できず、マールバラの逃走を完全に許してしまった。それどころかマールバラは近くの村の放っていたハフモニ兵も集めていたため、村のなけなしの物資が略奪され、住民はあらゆる乱暴を受ける始末。


 報告を受けて急行するももぬけの殻。

 いや、釣りだしの可能性も考えた時間のせいで捉えられなかったのかも知れない。


 兎も角、大きな戦闘の無かったこの戦いは明確にエスピラの負けであった。


「カルド島のことも学んでいるぞ、と言うアピールのつもりか?」


 精々が、そうやって吐き捨てる程度。

 問題は、エスピラの軍団が近くに居ながら被害が結構大きかったことだろう。


 挑発には乗らない。正義感はいらない。ただ機を待つ。相手の戦場では戦わないために。


 それは、軍団には簡単に徹底できるし、エスピラの軍団兵は全員が従うだろう。

 だが、何も知らない者たちは違う。元老院も違う。

 サジェッツァがそう言った大きな視座を持たない身勝手な者たちに苦しめられたという実例があったとしても、アスピデアウス派の者達は責めてくるのだ。


 だから、たとえ補償はできたとしてもそう何度も許すわけにはいかないし、そうなるとエスピラの行動がマールバラにどんどん読まれやすくなっていく。


 応手。

 エスピラは、ハフモニにいる『お友達』に新しいフラシ王国に顔を見せに行ってはどうかと勧めた。本音を言えばドーリス王アイレスも動かしたかったが、そんなことを試みれば逆に離れていく可能性もある。


(厄介だな)


 アイネイエウスと違い、ハフモニ本国の意向があまりマールバラには通じないのが。


 だからこそ、エスピラは徹底的にマールバラの補給元を断ちつつ、ディファ・マルティーマを経由してメタルポリネイオに届けられたマルハイマナからの有り余る物資を使ってマールバラの攻略不可能な都市国家に人と物資を逃がした。


 エリポスからの植民都市が発端である都市国家が半島南部には多いのだ。


 オーラを使える者の少ないエリポスでは壁が厚ければ厚いほど防御力が高くなる。だから半島南部の大きな都市の壁は厚い。厚いと攻城兵器を満足に持たないマールバラでは突破は出来ない。オーラがあるからこそ攻城兵器が発展してこなかったアレッシアの味方の諸都市を寝返らせても、マールバラは攻城兵器を手にできていない。


 故に、アフロポリネイオの植民都市であったメタルポリネイオに多量の物資を溜め込んでもマールバラは力では奪えないのだ。


 同時に、エスピラは一度でもハフモニに通じた街の、その時点での決定に関わった高官たちをほぼ全て追い出している。アレッシアに送った者もいるし、一文無しになった者もいる。一文無しにした者の財は軍団と街の衛生環境の整備に使用した。


 あくまでも参考事例だ。

 アレッシアで、無駄に戦争を長引かせようとした者たちの末路をこうしてくれと言う事例である。


 同時に、アフロポリネイオへの問いかけでもある。

 アレッシアがエリポスに作った橋頭保ディティキ。その時と同じように昔の植民都市をアレッシアが自由にすると言う行為を挑発と取るか、当然の行いと見るか。


 アレッシアの朋友であるマフソレイオを友とするだけでなんとかなると思っているのかどうか。


(反旗を翻すにしろ、恭順を誓うにしろ、すぐには動けないか)


 そう判断して、エスピラは男の首を切り落とした。


「では、死体と手紙はマールバラの軍に見つかるように捨ててまいります」


 言ったソルプレーサに「頼んだ」と返し、エスピラは剣を拭った。


 男はアスピデアウスの手の者だ。エスピラとエリポスの間に生じた溝に入り込んできていたのである。同時に、ハフモニ語で書かれた手紙も持っていた。

 アカンティオン同盟ならばくれてやるが、カナロイアやドーリス、ましてや城塞都市ビュザノンテンをくれてやる気は無い。だから、見つけたら首を斬る。


 家の中に少し大きな虫が居たら潰すのと何ら変わりはない。


 剣を拭き終えれば、エスピラは机の上の羊皮紙に目をやった。細かい字で書かれている名詞の一つを、グライオが塗り潰す。さらに二つを削り、別の羊皮紙に名前を書き写した。


「こんなことをしている場合では無いんだけどな」


「こちらを嘗めてかかってきたのはアスピデアウスです。娼婦ですら客の無礼には手を叩いて歯向かうそうですから。半島南部やエリポスに伸ばした手はしっかりと叩かねばならないのでは無いでしょうか」


 シニストラが言う。


「その結果が情報機関の半壊とは笑えないけどね」


 もちろん、基本は脅すだけに留めている。無駄に殺すつもりは無いし、アレッシアには必要な人材だと理解しているのだ。それでいて、暗号の解読は出来ていないがハフモニ語の手紙を持っていれば処分する。


 裏切り者として。

 十五年前のベロルスに対してタヴォラドが行ったのと同じように。


 効果はそれだけには留まらない。機能不全になってきたアスピデアウスのとの連絡をエリポス諸国家はどう思うのか。

 エスピラをカルド島に送っている隙に接触してきたアレッシアの多数派との紐がどんどん切れていくことに何を思うのか。


 天秤にかけ続けて利益を得られる者はごく少数。どちらかに懸けたところで冷遇の時代はやってくる。


 どちらにせよ、美味しい展開だとはエスピラも、サジェッツァも思っているはずだ。


 塗りつぶされる土地は違うにしろ、エリポスにアレッシアの直接統治地域が増えるのだから。将来的な話ではあるが、優秀であり他民族を蛮族と見下しているエリポス人をそのままにしておくつもりはウェラテヌスにもアスピデアウスにも無い。


 国益に繋げられる権力闘争なら、本気を出してくる。


 友だからこそ、互いに分かっているのだ。

 こうしてエリポスに色を塗れば、片方の色は必ずアレッシアが直接塗りつぶせると。


 そのための礎として自身の味方を切るのだけはエスピラには理解できなかったが、それを言っては軍団は戦えないことになる。


「エスピラ様」


 アビィティロの声が簡易的な天幕の外から聞こえてきた。

 エスピラは、敵性情報機関在籍者名簿から目を離しアビィティロに目を向ける。


「マルテレス様とマールバラが会戦に至ったようです」

「結果は?」


「マルテレス様が強引に会戦に持って行ったこともあり、一時は片翼包囲を敷かれました。ですが、敵の一角が崩れると同時にマールバラが撤退。両軍とも五百ほどの死者を出したようです。マルテレス様は、一時的にそれ以上の行軍を止めました」


「どう思う? グライオ」

「エスピラ様の思惑が嵌ってきているのでは無いでしょうか」


 エスピラは、少し脱力した笑みを作った。


「それをアビィティロに教えてやってくれ」


 教えるほどでもないと思いますが、とグライオが前に二歩出る。


「少数、あるいは同数で敵を包囲するだけの戦術は未だ健在。敵に対する焦りも無ければアレッシア最強の軍事命令権保有者であるマルテレス様に対しても優位に戦いを進められるだけの冷静さも保っております。

 しかし、その体と言うべき軍団が最早マールバラの頭脳に耐えられていないのでは無いでしょうか」


「長く機を待っていた理想に嵌ったと言うことでしょうか」

「そうだね。同時に、次の機を間違えてはいけないと言うことでもあるよ」


 のんびり言いつつも、エスピラの目は剣呑さを隠すことができていない。


 マールバラの軍団を削り、本国に追い返し、本国で募兵した群衆がまだ軍団となる前に『数の上ではほぼ互角』の状態でアレッシアの者がマールバラに打ち勝つ。


 それが、ハフモニの心を折る最後の一手となるのだ。


「イフェメラが怒鳴りこんで来そうだな」


 そして、完全に剣呑さを奥にしまう。


「ただ、マールバラの手元に居る兵は生き残った精鋭中の精鋭。第四軍団を思い浮かべていただければ、死ぬことはあれど崩れることはあるのでしょうか?」


 最後に、ぽつりとグライオが言ったのだった。


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