家族とは
「お兄様が困っているみたいです」
相談ではなく、ただの事実として、他人事としてエスピラの膝の上のズィミナソフィア四世が言った。
「お爺様の容態は日に日に悪くなっていく一方。従者は回復した者もおりますが、お母様は未だに寝台の上で最低限の政務すらできるかできないか。お兄様は次期国王の座が見えた者として頑張っておられるようですが、何一つことを為せておりません」
部屋にはエスピラとズィミナソフィア四世。少し離れたところに世話役のエリポス人奴隷の女性が居るのみで、他に話が聞こえそうな者はいない。
「始めたばかりではそう上手くはいきませんよ」
エスピラがやわらかく言えば、ズィミナソフィア四世がぐるりと首を回した。地底への覗き穴を連想させるような目である。
「何かに頼らないといけない王は必要? 不要? あれは、邪魔者になる? それとも、あれが王になったほうがエスピラは助かる?」
口だけが動いている。
当然のことと言えば当然のことで、何かしらの不自然さを抱かせない行動ではあるはずなのに、それが妙に空恐ろしくエスピラには感じられた。
「良い王か、悪い王か。まだ判断する時ではありませんよ。イェステス様がどのような王になるのかは分かってはおりませんから。ただ……」
あえて、エスピラは語尾を濁した。
「ただ?」
ズィミナソフィア四世が瞳に光を少し戻して聞いてくる。
「共同統治者となった時に主導権を譲りたくないのであれば、現女王が在位している間に何もしないのは良くないかと。特に初動、イェステス様が上手く動けていない今は絶好の機会ではありませんか?」
「何をすれば良い?」
ズィミナソフィア四世が声量を落とした。
目が一瞬だけ奴隷の方を見たのはエスピラも確認している。信用はしているが絶対のものでは無いのだろう。
(賢い選択だ)
絶対に裏切らないことは無いと思っていた方が良いこともあるのだから。
「病を取り除くためにアレッシアから緑のオーラ使いを派遣してもらいましょう」
「それは、お爺様が返事を保留していることでは無いの?」
「その通りです」
ズィミナソフィア四世の眉間に皺が寄った。
「ズィミナソフィア様はまだ六歳。完璧な策を言えば裏に居る者の存在を疑われ、傀儡かと警戒されます。少しくらい穴があり、女王が否定することも可能な案の方が良いのです」
納得はいっていないようだが、ズィミナソフィア四世がぎこちなく頷いた。
視線はエスピラに固定されたまま。
「ただ、提案は女王にのみしましょう。王にとって若君たちは皆平等。されど女王にとっては共同統治者になり得る男子には上下関係をしっかり作っておけるなら作りたいと言う欲があるはずです」
「どういうこと?」
「船は豪勢に。使節の服は華やかに」
エスピラはズィミナソフィア四世が落ちないように抱えると、近くにあったパピルス紙を引き寄せ、羽ペンで文字を記し始めた。マルハイマナの言葉である。
「使節の主はイェステス様にしましょう。簡単に実績が手に入るはずです。空回りされているイェステス様もすぐに飛びつきましょう」
「お兄様は、お爺様が懸念していることに勝手に返事をしない?」
アレッシア使節団の目的、戦争中におけるマフソレイオの協力の許諾に、と言うことだ。
「そこは女王から釘をさしてもらいましょう。使節団が頼んだのは現女王と国王。返事はその二人のどちらかがするのが筋であると。まだイェステス様には権限が無いと。同時に、自分が権限を握るためにアレッシア元老院に次期国王であると認めてもらえば良いとイェステス様には吹き込めばかと。そのためと称して金をばらまけば、多少口うるさく協力すると誓わせようとする輩は黙らせられるでしょう。配る先は、使節団と関係が薄い貴族だけで十分です」
関係が濃い貴族は、使節団が結ばせた成果を持って帰ってくる方が得なのだから。
今後の関係にとっても、一門としての実績としても。
「イェステス様にとっては自力で王位を認めさせることができると言うまやかしを中心にすれば、重要な判断を女王に任せきりと言うことでも説得しやすいと思います」
「緑のオーラ使いにエスピラにとって邪魔者が入ってくることは無いの?」
「あるでしょうね。ですが、サジェッツァとタヴォラド様がこちらに居る限り、碌に動けませんよ。タヴォラド様は多少強引な手で貴族の一つを叩き潰しておりますので、転がり込んだ好機と言うだけでは手出しは出来ないでしょう」
エスピラと同じく運命の女神を信奉していればその限りでは無いけれど。
視線の色が変わった気がして、エスピラはズィミナソフィア四世を見た。
なるほど。不満そうな色が入っていたからか、とエスピラは納得した。
「私が王に呼ばれて女王の寝室に入って見舞いをしたのは公然の秘密となっております。そこを利用し、体調がすぐれない今は信用できる知り合いしか面会できない、としては如何でしょうか」
「でも、お母様は流行り病なのでしょう?」
「体を治すために来た者が、わざわざ悪化させるようなことを言って良いものでしょうか? 信頼関係が出来上がってからの諫言なら受け入れましょうが、その前段階、そして治療を盾に交渉するようでは信頼関係はできませんよ」
「……自己紹介?」
「私は治す者ではなく、純粋なアレッシアの使節団の一人ですから」
エスピラはマルハイマナの言葉で書き終わると、次に別の内容をエリポス語で書き始める。
「ただ、そうですね。新たに来る者たちへの警戒と共に、混乱に乗じてマルハイマナが動かないように私はマルハイマナとの交渉に赴きましょう」
「え?」
ぎゅ、とズィミナソフィア四世の小さな手がエスピラの服を握りしめた。
エスピラは子供にするようにズィミナソフィア四世の頭をぽんぽんと優しく触る。
「現在の状態でマフソレイオから交渉を持ち掛ければ足元を見られますが、アレッシアならそうはいかないでしょう? それに、アレッシアとしてはマルハイマナとも緩く繋がり、ハフモニとの戦争中にマフソレイオにもアレッシアにも刃を向けてこなければ十分ですから」
「エスピラのためになるの?」
「もちろんです。私としては、貴方の提案が女王に受け入れてもらえればスムーズに交渉が進むのでありがたいのですけどね」
ズィミナソフィア四世が力強く頷いた。
「がんばる」
エスピラは革手袋をはめている左手をズィミナソフィア四世の額に置き、革手袋に口づけを落とす。見ている可能性があるのは奴隷だけだ。
親愛とか、神を通じての口づけのため不純なものでは無いと言うのは奴隷にも分かるだろう。
だが、それ以上は分かるまい。
「金を配るのは若き王を認めさせるため、協力を取り付けるため。豪勢な船、豪華な衣服は若き王の品位を保つため。力をアレッシアに示すため。余裕ある大国だとアレッシアにマフソレイオの価値を再認識させるため。そう言えば、女王も強く否定はできないでしょう。女王が渋るようであればイェステス様も居るところで言うことができればより良い結果になるかと」
これまでのエリポス語から、マルハイマナの言葉に切り替えてエスピラは言った。
ただし、きちんと話す速度は落として。
理解ができたのか、ズィミナソフィア四世がゆっくりと頷いた。
聞き逃すまいと言う真剣な瞳がエスピラを映している。
「お金を誰に撒けば効果的かは、多分知らない方が良いでしょう。少なくとも、使節に居る者たちと同じ家門の者には撒かなくて良いとだけ言えば十分かと。頼みがあれば、女王陛下は私に聞いてきてくれるとは信じておりますので」
こくり、とズィミナソフィア四世が相槌を打つ。
「それと、もし何か不測の事態があった時や詳しいことが必要になった時はここにマルハイマナの言葉で書いてあります。読める人はほとんどいないと思いますし、勉強のためと言えば良いでしょう。こちらのエリポス語で書いてある方は読み解くヒントだと言って、怪しまれた時に提出してください。全く関係ないことが書いてあります。所々太い文字は、辿れば別の意味になりますが女王に見せれば誰にも見せるなと言うはずです。
あるいは、無理矢理にでも奪おうとした者を殺害するか。
どのみち、女王陛下とズィミナソフィアにしか見ても良い人はいない内容だからね」
ズィミナソフィア四世がエリポス語で書かれた文章の方を目で追った。
いや、太い文字だけを拾っている。
読み終わると、年齢相応とも思える無邪気で大輪の笑みを浮かべた。
エスピラの懐の中でズィミナソフィア四世が伸びあがり、エスピラの額に口づけを落としてくる。奴隷の少々慌てたような衣擦れの音がエスピラの耳に届いた。
「運命の女神の口づけがあらんことを」
ただ、そんなのを無視してズィミナソフィア四世がアレッシア語でエスピラの成功を祈ってくれた。




