呪い呪われそれでも続く
「父、タイリー・セルクラウスはアレッシア史に名を遺した英雄だ。
その父でもできなかったことが処女神の巫女の輿入れを止めること。家門としては名誉なことであり、セルクラウスの当主として元処女神の巫女である継母のパーヴィア様のことは尊敬している。だが、父上の本意だったかと聞かれれば違うと私は答えるつもりだ。
それを、父のできなかった拒否をエスピラ様は実行された。
しっかりと自分の意思に反する処女神の巫女の輿入れを防いだのだ。
ならば部分的には父を超えていよう。そして、任せるべきではないか?
半島の脅威を取り除くことを。第二のマールバラを産まないことを。
建国五門が一つウェラテヌスの当主にして比類なき功績を持つこの男に。
それが、今アレッシアがとれる最善の選択だ。この男に期待をかけることこそがするべきことで、その期待に応えるのがウェラテヌス。
違ったかな?」
表情の変わらないタヴォラドが、エスピラを見た。
(まるで呪いだな)
褒めているだけでは無い。
ハフモニのあとのアレッシアの脅威はエスピラだと訴えもしているのだ。そんな言葉だ。
そして、同時にエスピラ・ウェラテヌスと言う人物は使い潰せる男だとも大勢の前で言ってのけた。
「ねえ」
「メルア」
反論しかけた妻を、エスピラは名を呼んで留めた。
ゆっくりと首を横に振って何も言うなとも伝える。
確かに、メルアが動けば使い潰される危険は減るはずだ。だが、エスピラが今年の執政官になった目的の達成も難しくなる。
アレッシアが勝つための犠牲を払った意味が無くなってしまいかねないのだ。
「ウェラテヌスは期待に応えましょう。
そのためにも、民会と護民官、永世元老院議員の皆様、そしてタヴォラド様とサジェッツァ様にはお手紙を書いていただきたいのです。フィルノルド様に。一時的に私に任せることにした、と。
全てはシドン・グラムを討つため。
そのための英断をされればフィルノルド様の功績もまた非常に大きいと。執政官はアレッシアのために尽くすものですが、アレッシア史を紐解いても戦時中に自身の功を投げ捨ててまでアレッシアに尽くした者は数少ない。
フィルノルド・アステスクもまたアレッシア史に燦然と輝く人物になりましょう、と。そう、伝えていただきたいのです」
起こるは拍手。
進むは地獄。
されど、後退も交代もあり得ない。
民衆の熱意とそれを利用した永世元老院議員たちによって、エスピラの北方での軍事命令権は認められた。
「ありがとうございます」
その熱がアレッシアに広がっていく中で、エスピラは一人タヴォラドに話しかけた。
いや。エスピラの後ろにはシニストラが居るし、タヴォラドの傍にはファニーチェ・ベエモットが居る。
「これの結婚の面倒を見たのは君だったな。なら、君の被庇護者にすると良い。
これで、お礼を言われる理由ができたな」
振り向いたタヴォラドが凹凸の無い声で言った。
ファニーチェが頭を下げ、「よろしくお願いいたします」と言ってくる。
おそらく、ファニーチェは良く意味が分かっていないだろう。タヴォラドが、エスピラに対してあの演説の意味を理解しているのだろうと問うていることに気が付いていないはずだ。
「これは心強い限りです。改めてお礼を申し上げたいほどに」
ふ、とタヴォラドが鼻で笑った。
「きつい冗談だ。
フィルフィアは優秀だがティミドは救いようがない。フィアバは失敗した。あの女の血がセルクラウスの本流になることなどあり得ない。その意味が分からない君じゃないだろう?」
「メルアが怒りますよ」
「それが?」
常通り氷の返事をもらい、エスピラはおどけたように肩をすくめた。
タヴォラドがエスピラに背を向ける。
「父上がパーヴィア様を迎えた時の母上の顔も、フィアバを身ごもったという話を聞いた時の母上の顔も良く覚えている」
が、話は終わりではなかったらしい。
「直後にクロッチェを産んでもフィルフィア、ティミドとすぐに生まれ、弱っていく母上も。その結末も。
自由民が好きな人と結ばれるなど、待っているのは地獄に過ぎない。
妹にそんな思いをさせなかったことには感謝している」
タヴォラドの顔は相変わらず来ないし、体も全くエスピラを向こうとはしていなかった。
「本人に直接言われては?」
「メルアは私を嫌っているよ」
「タヴォラド様が本心をお伝えすればよろしいのではないでしょうか」
タヴォラドからの返事はない。
だから、エスピラはその背に続けて言葉を投げた。
「言わねば伝わらないこともあります」
時間が空く。
一秒。二秒。三秒。
静かな場所ではあるが、遠くからは熱気が聞こえてくる。もちろん、此処にたどり着くころにはとっくに冷え切っており、静かで暗い空気には一切の影響を与えなかった。
「君に、一つ言っておこう。
『死者の手記は読まない方が良い』
時と場合に因るだろうが、私は読まない方が良かった。だから読まなかったことにして勝手に君を恨ませてもらっている。それだけだ。そんなあさましい男を大事な妻にやすやすと近づけるべきでは無い」
(スピリッテか)
エスピラの、三歳年上の甥。
死にたがっていた優秀な男。
タヴォラドの息子。
「それに、私はメルアを恨んでいた時もある。母上を殺したとね」
タヴォラドは相変わらずエスピラには背中しか見せてこない。
「子供は母親が好きなもののようですよ。まあ、メルアは良い匂いがしますし、暖かいですし、抱き心地が良いのでそのせいかも知れませんがね」
タヴォラドが少し笑ったような気がした。
いや、笑ったのだろう。肩も一度だけ動いたのだから。
「肉親のそんな話は聞きたくはないな」
「トリアンフじゃないんですから。ほほえましい家族の姿しか浮かんでいないでしょう?」
「そうだな。私たちと違って、君の子供たちは兄弟仲が良い」
「あの下種が長兄だったのが不幸だっただけですよ。さっさとエスピアツィオーネの崖から投げればよかったものを」
「自分の子供なら捨てられまい。…………その点は、君が一番良くわかっているんじゃないか?」
「そう言うことにしておいた方がよろしいですか?」
「好きにしたまえ」
それだけ言って、タヴォラドがさっさと歩きだして行ってしまった。
いつもより早く、音も少し立てて。規則正しいが、やはり間隔が狭い。
「スピリッテが居れば、セルクラウスも安泰だったのにな」
タヴォラドに声が聞こえないと判断して、エスピラは小さくこぼした。
「それだけ優秀な後継者候補だった、と言うことでしょうか」
シニストラがやや小さめの声で言う。
「狂いだしたのはタヴォラド様も、だよ。息子を二人も亡くしたんだ。妻も隣に居なかったしね」
目を閉じ、ゆるりと開ける。
「親子そろって戦いで死のうとされるのも、夢見が悪いね」
呟いて、空を見上げた。
サジリッオ、カンクロのアルグレヒト兄弟。横に居るファニーチェ。去っていったタヴォラド。そして、ヌンツィオがずっと率いていた一個軍団。
このあたりが頼れる者たちだろう。シニストラは、南方に居る軍団の軍団長補佐筆頭であるため、今回は部隊を持てない。
(誤解を恐れずに言えば、二線級の戦力で一線級の化け物と戦うわけか)
しかも、簡単に殺さねばイフェメラの威信を下げかねない。
無駄な敵を増やし、不用意な発言をイフェメラから引き出されかねないのだ。
「どうしてこうも、大事な時に欲しい人が居ないんだろうな」
吐き捨ててから、エスピラはタヴォラドに対して正式な軍団組織の命令書を元老院にお伺いを立てる形で発行させたのだった。




