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疑惑の病

(人のことは言えないか)


 エスピラは、妻の出産に立ち会わず、今もあまり顧みることなく外に出ている自分を振り返って同じだと結論づけた。


「最近広がりつつある流行り病ですかねえ。宮中でも頭が痛い、関節が痛いと聞くものでして。エスピラ様も耳には挟んでいるでしょう? 良からぬ病が流行りだしたとか。いやいや、市井ではもっと前から似たような症状があったとか。一つ疑念が出ればあれももしやこれももしやとなるわけです」


 市井のは別物ですけれどね、とは口が裂けても言えず。

 エスピラは、ただただ深刻そうな顔を作って王の言葉に頷いた。


「若君たちは大丈夫でしょうか?」


 エスピラは心底心配しております、と言った口調で王に問いかけた。


「幸いなことに。孫たちは皆元気ですよ。娘も元気だったのですが、いや、疲れたとは良く口にするようにはなっておりましたかな」


 それは統治者としての激務と、年齢によるものがあるだろうとエスピラはベッドの上で寝ている女王を見ながら思った。


「ところで差し出がましいのですが」


 王が周囲を警戒しながら小さな声で言った。

 部屋にはもちろん王と女王、そしてエスピラ以外誰もいない。


「エスピラ様のオーラは緑だったり致しませんかな?」


 エスピラの耳元で、王が囁いてくる。


「仮に緑だったとして、流行り病と疑わしき者全員を救えるわけではありません。アレッシア人はオーラを発現する割合も強力である割合も非常に高くはありますが、それでも病による死亡は多くあるのです。使節団に一人や二人の緑のオーラ使いが居たとして、それが何になりましょうか」


「娘だけは救えます。そうでしょう? 仮に緑のオーラの者が居たとして、黙っているのであれば余も黙っておきますとも」


 エスピラは顰めそうになった眉をこらえ、能面を維持し続けた。


「他の者は見捨てると?」

「アレッシアの不利益にはならないようにするためには致し方がありませんな」


(アレッシアの、では無いだろ)


 それは自分の不利益にならないことをすると言うことで、自分のためには民に犠牲を強いても構わないと言う思想の元に成り立っている発言だ。


 王が性格的には善い人だと言うのは、エスピラとて分かる。女王の好きにさせ、鷹揚で、懐が深い。だが、その中にはメガロバシラスの有力者であり神格化した祖先への歪んだ誇りがあり、選民思想がある。

 王と言う隔絶した立場上仕方が無いとはエスピラも分かってはいるが、だからと言って好印象を持つわけでは無い。


 エスピラにはエスピラの、ウェラテヌスとしての思想が根付いているのだ。


「アレッシアのためだと言うには、もっと良い手段がありますよ」


 さも考え中だったため言葉を少し止めていましたと言わんばかりにエスピラは言った。

 堂々とした、対等であると示すような態度でエスピラは椅子に座る。


「アレッシアに使節を派遣するのです。緑のオーラ使いを派遣してはくれませんか? と。民を病から救える緑のオーラ使いは非常に大事ではありますが、戦争に役立たない緑のオーラ使いは他の色に比べて立場が低い。豪華な船と豪華な衣服、それからそれなりの立場の人を集めれば、簡単に派遣してくれるでしょう」


 流石に王も統治者だ。

 その裏の意図に気づいたらしく、顔色を変えた。酒ではなく顔がやや赤らんでいる。


「それは、その使節が此度の返答を急かされると言うことでは無いか!」


 エスピラは静かに、とジェスチャーをして、女王に視線をやった。

 王の肩の上下がややゆっくりになり、赤みを少しばかり引いていく。


「そうでしょうね。この使節はアレッシアを代表しているとはいえ、政敵はおりますから。我らを貶め自らの手柄にしたい者だって元老院には居るのは明白です」

「女王が倒れている現状で国の大事を判断せよと迫るのがアレッシアのやり方か?」


「アレッシアの不利益にならないようにするならば、これが最善ですよ。まあ、正直。答えが出ない状況でそんなことをされれば、私にとっても不利益が大きいですし、使節団もあの手この手で止めに来るとは思いますがね」


 王らしい覇気で迫る男に、エスピラは平然と返した。

 勝手に机の上のコップを二つひっくり返し、水を注いで王の前と自分の前に置く。


「私個人としても避けて欲しい手ですが、ウェラテヌスとしては民を見捨てマフソレイオが分裂するのは避けなければなりません。これが決断を迫る神の思し召しであるのなら、猶更結論を急かしたい気持ちはありますが、女王が倒れている状況では人として最悪の手段ですので」

「神の思し召しならば死には至るまい」


 王が女王を見て、安心したように一息吐いた。


「神の怒りでなければ、でしょうが、マフソレイオの方々は非常に良き方々。信心深く、異邦の私たちも深い懐で受け止めて下さっております。私も、王族を救うのであれば焦らなくても良いと信じております」


 そう言って、エスピラは胸の前で革手袋をはめている左手を握りしめた。

 祈っているフリも行う。


 王は満足したのか、椅子をひいて、エスピラの対面に座った。コップが持ち上がる音と、喉が動く音、そしてコップが置かれる音がしてから、エスピラは顔を上げた。


「ですが、仮に使節、もといマフソレイオにもアレッシアにも関係ない怒りであった場合、アレッシアの使節にも病にかかる者が出てくるでしょう。そうなった場合、使節は全体引き上げか一部引き上げか……。いずれにせよ、私にも女王陛下にも不幸な結末しか待っておりません」


 エスピラは一切の手柄を立てられず、マフソレイオはハフモニの次のメニューとしてアレッシアの食卓に並ぶだろう。


 実際にマフソレイオを倒し切るのは難しい所はある。国土も広く、資金も潤沢。小麦の生産量だって有数だ。だが、馬の数は多くはなく、交易が盛んな性質上海軍力が高い。即ち、軍隊に於いて平民の力が強い方の国家だ。


 貴族なら既得権益を守るために本気にもなるが、漕ぎ手などは待遇が保証されるならば、生活が変わらないならばアレッシアにだって簡単に着く。


 そうして一度ひとたび陸地に上がれば世界最強のアレッシア軍が十全の状態で暴れだすのである。亡命政府などは作られてもおかしくは無いが、元々が余所者である王族のこれからは考えるのも酷なのだ。


「まあ、脅すようなことを言ってはしまいましたが、神へと祈る時間ぐらいは十分にありますよ。マフソレイオとは方式が異なりますが、アレッシアも神へ祈りを捧げますから。王族ともなれば、様式や供物もまた大掛かりなモノになりますよね?」


 エスピラとてマフソレイオでの相場は知っている。


 アレッシアに使節を送れと言うのが鞭なら、これは飴なのだ。

 即時の解決手段を取らず、合理的な判断を捨て、アレッシアの機嫌を損ねるようなことをしても『私が』『マフソレイオのために』時間を稼いでおきましょう、と。


「弱みに付け込むのは、朋友にすることではあるまい」


 王が立ち上がって言った。


「ええ。ご尤も」


 エスピラは落ち着いて言って、コップの水を口に含む。

 そして、ゆっくりと腹に収めた。


 普通の会談なら部屋から出ていくところではあるが、此処は女王の寝室。王はエスピラを呼んだ者で、エスピラは見舞いにと呼ばれた者。


 ぽつり、ぽつりと話題を国政から身近な話題に変えて。

 二人は女王が目覚めるまでの間、個人的な関係としての彼我の距離を測っていった。


 もちろん、エスピラが慕う側、下手に出る形で、王の自尊心を満たしながら。


 神の怒りでは無いと王が安堵したのはこの会談の二日後。ニベヌレス兄弟の兄の方が同じ病で倒れたことによって。


 王がその考えを翻したのはさらに一日後の夕方。

 関節の痛みを訴え、高熱を出しながら王は政務の途中で倒れたのだった。


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