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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十三章
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握った手に刃を隠し、握らぬ手にも刃を持って

「具体的にはどなたが?」


 右手のひらを見せながら、エスピラがシジェロに聞く。


「ご想像の通り、不仲によって家門同士の関係と言う結婚の目的が果たせなくなっているティバリウス一門はエスピラ様と私の婚姻を望んでおります。

 それだけではありません。

 カリヨ・ウェラテヌス・ティベリ様。エスピラ様の妹君にして、十年近い間唯一の肉親であったかの女傑も望んでおられます」


 悠々と、世間話をするようにシジェロが言った。


「カリヨが?」


 エスピラは笑いを隠すようにして返す。


「はい」


 シジェロの声のリズムは変わらない。少しゆっくりめで、聞き取りやすい音のままである。



「エスピラ様ほどの方が愛人の一人も持たないなど、体裁が悪いにもほどがあります。その狭量を笑われましょう。いえ、エスピラ様はベロルスを許され、ティミド様を味方にされました。ならばこの場合笑われてしまうのはメルア様になってしまうのではありませんか?


 カリヨ様に話を戻しますと、処女神の巫女を娶るのは家門にとって誉です。蔵を空にし、一時は落ちぶれてしまったウェラテヌス。それがエスピラ様の下で力は復活いたしました。まやかしではありますが、より強大になったとも言えるでしょう。


 だからこそ、カリヨ様はさらなるひと押しとしてこの誉を欲しているのです」



 カリヨなら思いかないな、と言うのがエスピラの正直な感想であった。

 そんな風にエスピラが構えているからか、シジェロがさらに口を動かしてくる。


「ルーチェ様も、両親の仲が元通りになる契機になると喜ばれるのでは無いでしょうか」

「元を知らないくせに良く言うよ」


 声を低くして、エスピラは言った。


「そう言う風に見たいのであれば、そうされるのがよろしいのではないでしょうか」


 言い終えて、シジェロが頭を下げる。

 タイリーの良く言っていた言葉にかけての発言だろう。「人は見たいモノしか見ない」。今のエスピラは愚かな行動をしている、と。


「兵に与える土地の件もお忘れなく。今は良くても、今後に響きますよ?」

「何とかするさ。これまでも、何とかしてきた」

「そうでしたね」


 それでは失礼いたします、とシジェロが出ていった。

 トリヨンは手つかずの状態である。


「凄腕の占い師がこのことに占いを用いないのは自信が無いからか、真実を知りたくないのか、それとも捻じ曲げてしまうと言う強すぎる思いがあるからか。あるいは、その全て」


 代わりにと言うべきか、フィルノルドがトリヨンを自分の傍まで引き寄せた。

 話も続けてくる。


「いずれにせよ闘鶏は行われることになると思いますが、準備を整えるとなると随分と時間がかかりますね。シドンはそれまで待つとは思えませんが」


 エスピラの目が細くなる。

 ずっと黙っていたシニストラからも殺気が放たれた。


「シドンが半島に入ったのですか?」

「アスピデアウスの情報収集部隊も優秀なのですよ。まあ、ウェラテヌスを出し抜けるとは誰も思っておりませんが、エスピラ様がアレッシアに害すると判断すれば一度くらいは裏をかけるだけの力はあると思って下さい」


 ははっ、とエスピラは乾いた笑いを放った。

 フィルノルドの手が止まる。


 顎は引かれたまま。エスピラから見える首の面積が少ない姿勢であり、手の位置は少し変えれば心臓の前に出る。腹は左手が近くにあって隠すようになっていた。

 目は、トリヨンの方向で固定。映してはいないようだ。


「まるで、まだ一度も出し抜いていないような言葉を選ぶじゃないか」


 エスピラの口は笑うように歪んでいる。

 目は一切笑っていない。口以外の表情筋も仕事をしていない。


「事実ですから」


 フィルノルドの視線はやってこないが、声は震えてはいなかった。


「苦楽を共にした何よりも大事な軍団から二千名と、とても優秀で体の一部とすら言えた高官二名。疑いだけで十分だ」

「これは、異なことを。情報機関を組織しているのはセルクラウスも同じことでは?」


「誰がセルクラウスを疑っていないと言った?」

「疑っているとも言っておりません」


 相変わらず視線はやってこないが、声も変わらず。

 流石は執政官と言うべきだろうか。



「元々北は私の任地。エスピラ様が闘鶏の準備で動けないのなら、私が二個軍団を率いていきます。エスピラ様は早く南に行かれて、マールバラを討たれては如何ですか? それが神に与えられた任であり、マールバラが討ち取られればシドンの軍も瓦解いたしましょう。


 何も、問題は無いかと思います。

 貴族側の執政官と平民側の執政官に優劣などありませんから。

 まさか、エスピラ様が両方を相手取ることや私の任地に介入することなどありませんよね?」



 なるほど。

 初めから、これが目的だったのだろう。


 闘鶏を認める代わりに自分が任地に行く。行くだけで、テュッレニアあたりに籠るつもりなのだ。そうすればシドンの脅威は広く知れ渡り、シドンを半島にこさせない任務を失敗したイフェメラへの風当たりが強くなる。


 同時に、弱ったマールバラをすぐに討ち取ればよかったのにそれをしなかったとエスピラを責めることができるし、仲たがいも見込める。


 傷ついた獣ほど怖いものは無いとフィルノルドも知っているであろうに、だ。


 仮に闘鶏を認めない方向に流れればそれはそれで良い。シジェロも、闘鶏を認めない方向になった時にフィルノルドを切る準備はしていたのだろうから、また違う展開になりはしたが想定内のはずだ。



「残念ながら、私の寛容とは私の愛する者に対してのみ発揮されるものでして。お気を付けを。私の優秀な被庇護者や私の意思をくみ取ってくれたネーレ、私の懐刀であり義弟であったヴィンドを奪った疑いだけで十分なのですよ。


 残念です。本当に。

 優秀であれば優秀であるほど、疑いの闇は濃くなっていく」



 机の上から身を乗り出すような圧で、エスピラは淡々と述べた。

 目は大きく、瞬きは無い。こちらを見ろと言う圧力さえある。


「と、まあ、此処までが私個人の意見。

 執政官としては、貴方ならば大丈夫だとも思っております。戦う気ならね」


 そして、雰囲気を軽いモノへと一変させた。

 無音のはずなのに少し大きなフィルノルドの呼吸音が鼓膜を揺らす。


「肝が冷えましたよ。

 貴方は間違いなく英雄だ。しかし、どんなに素晴らしい人でも一人では戦えない。そう知っているはずなんですけどね」


 顔の上がったフィルノルドが、そう軽い笑みを張り付けた。

 詰めたところで、マールバラの話だとかわすつもりだろう。

 だから、エスピラも笑みのままで次の手を打った。



「しかし、闘鶏の準備の時間すらも待てないとは。フィルノルド様はよほど切羽詰まった状況だと判断されたのでしょう。


 ならば、私もことを急ぎます。

 鶏を神との対話させるための二つの小屋。これをすぐに作るために私が軍事命令権を持つ軍団から八十人ほど呼び寄せさせてもらいます。いえ。他のモノも考えれば、もう少しいた方がよろしいでしょうかね」


「マールバラとのにらみ合いで余裕が無いとはエスピラ様の言葉では?」


 フィルノルドがにこりともせずに言う。


「いえいえ。数百名が抜けたところで大きな問題にはなりませんよ。元々歩兵第三列は軍団を任せているグライオでもそう簡単には動かせませんから」


 対して、エスピラはにっこりと笑いながら言った。

 フィルノルドとしても、闘鶏の目的はこれもあったのかと思っただろう。


 アレッシアで最も戦いなれているエリポス方面軍。その最精鋭たる歩兵第三列の者をきちんとした理由をつけてアレッシアに持ってくる。


 これは、最強の武力であり脅しにもなり得る切り札だ。


 少なくとも、アスピデアウス側からはそう見える。


「時間はありません。互いに、急ぐといたしましょう」


 文句があるのなら、この事態の間接的な原因でもあるフィアバ様にも言っておいてくださいね、とエスピラは付け加えてフィルノルドを送り出した。


 フィアバからすればとばっちりだ。

 彼女はただシジェロの説得に失敗しただけである。が、成功した時の恩恵はある程度受け取ってしまっているから質が悪い。彼女の性格も、先のエスピラの言葉が噂となるだけで彼女自身にとっての災いとなる。


 大事なフィルフィアの傍にいるのがエスピラを師匠と慕っているイフェメラとエスピラの義弟だと盛んに言っているジュラメントと言うのも、またよからぬ想像を掻き立てるだろう。ティミドもすっかりエスピラの手の内だ。


「やっと此処まで来たよ」


 エスピラとシニストラしかいなくなった部屋で、エスピラはため息を吐いた。

 左手の下では、大きすぎる二つの指輪が存在を訴えるように互いに干渉している。


「シドンも、準備不足で勝てるほど甘い相手じゃないんだけどな」


 そんな指輪たちに触れながら、エスピラは持っていかれることのない書類に呟いたのだった。


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